猫は全ての言語を理解する
僕の家の窓からは、エッフェル塔が見える。エッフェル塔は夜になるとライトアップされて、1時間おきにキラキラと派手なライトアップがされる。結構綺麗なので、友達がパリにきた際は必ず見せようと決めた。
「パリといえば?」といろんな人に尋ねれば、「エッフェル塔」という答えはたくさん帰ってくるだろう。エッフェル塔はパリの象徴ともいうべきものであり、そのものが観光地として、ミニチュアがお土産として、広く人々の間でパリのイコンとして認められている。
ここに、『エッフェル塔』というロランバルトが書いた本がある。彼によると、エッフェル塔とは基本的に合理的なな意味を持つものではない。1889年に建設されたこの塔は、建設前からその有用性を非難された。建築家ギュスターヴエッフェルは、そのような反対意見に対してあげられる限りの有用性を列挙して対抗したという。しかしバルトによれば、そのような有用性はエッフェル塔が全世界に対して持った人間的意味に比べればとるに足らないものなのだ。
この本が面白いのはここからだ。バルトは、エッフェル塔の無意味さを重要な点とみなし、そして、何の意味も持たない鉄塔に、次々と(人間的)意味を付与していく。まず以って、エッフェル塔とは見るものと見られるものの視点を逆転させることが可能な装置である。エッフェル塔とは、パリ市民にとって常に「見られる」対象である。その一方で、エッフェル塔はエレベーターで登ることができ、展望台から街を眺めることで、今度はその人がパリを「見る」主体として現れる。
エッフェル塔は、時に男性的にも女性的にもなりうる。空に向かう塔の形は、男根に見えなくもない。バルトはまた、パリを天高くから見守るエッフェル塔に母性を重ね合わせ、エッフェル塔の女性性も指摘する。
他にもバルトがこの塔に付与した意味、象徴は多岐にわたる。足をもぎ取られた昆虫の象徴、バロック存在、人間のシルエット…。ここまで多くの意味を持つことができる建築物は、稀と言っていいだろう。なぜこれが可能なのか。
それはずばり、先ほども述べたように、そもそもエッフェル塔がなんの役割も持たないものだからである。言い換えれば、エッフェル塔は1つの確立された意味を持たないため、そこに人間が様々な意味を自由に付与することができる、ということだ。中身が空っぽ故、なんでもその中に入れることが可能となる。
ところで、あなたは猫(犬でもいいが猫派なので猫を選んだ)を飼っているだろうか?あるいは、友人の家に泊まって猫と生活したことがあるだろうか?自分は後者だが、その友人の家が日本ではなかったということもあって、面白い体験をした。
猫を飼っている人ならわかると思うが、人間は猫に話しかける。「かわいいね〜」「ご飯だよ〜」「そこでうんちをするな」「今は忙しいからあっち行って」など、人間に話しかけるかのように、我々の言語を用いて話しかける。当然、猫がそれらを理解し返答してくるなど思ってもいない。
僕自身はイタリアの友人の家に泊まっていたのだが、そこでは猫が飼われていた。住んでいる人はイタリア人なので、猫に話しかける時もイタリア語である。他方、僕はイタリア語を話せない。しかし、猫を愛でたいという気持ちは同じなので、僕はその猫に日本語で話しかける。もし仮に中国人がその家に泊まったとしたら中国語で話しかけるだろうし、ベトナム人だったらベトナム語、チェコ人だったらチェコ語で話しかけるだろう。
これはさも猫がスーパーマルチリンガルかのようである。猫は目の前の人間が話す言語を瞬時に習得し、意味を理解しているかのように思われる。しかし当然そんな訳はない。猫はどの人間言語をも理解しない、ということは我々の総意である。
しかし、何も理解しないからこそ、我々が猫に話しかける際に任意の言語を使うことが可能となる。もし1%でも猫が英語を話す可能性があるとしたら、我々は自分の英語のレベルに関わらず、英語で話しかけるだろう。何も理解しないという前提があるからこそ、好き勝手な言語でかわいいねえ、so cute、t’es mignonne と声をかけることができる。猫は何語も喋り得ないから、我々の頭の中で何語を喋らせるかは自由なのである。
エッフェル塔と猫の共通点が見えてきた。どちらも中身が空虚だからこそ、人間がいくらでも性質や意味を付与することができる。エッフェル塔に確定した意味がないからこそエッフェル塔は男にも女にもなり得うように、猫に人間の言語を操る能力がないからこそ、猫はイタリア語話者にも日本語話者にも解釈可能となる。
空虚だからこその意味の充満。この話はいろんなところに応用が可能だと思っているが、ここで書くと長くなりすぎるのでここで終わらせる。また別の機会に。
反省
不可知論+主体(の悟性)による意味付与+相対主義とかいう、ありきたりなゴリゴリポストモダンになってる。けど多分これが今の僕の限界で、もっと面白いことを言うには多分ヘーゲル全体論とかRelational Aesthetic とかActor network を学ぶ必要があると思う、多分。そしたら多分、猫は我々に話かけているとか、エッフェル塔は移民政策に賛成しているとか、そういうことが言えるようになるんだと思う。多分。関係とか相互作用がキーワードになりそうな気がしているんだけど、どうなんでしょうね。
よろしければぜひ