たまご工場



筆者。若かりし頃。


たまご工場で働いた事がある。ええ、卵工場。
上京したばかりで、知り合いもツテも全くない僕はとりあえず求人誌に載っていた、当時有名だった◯ッドウィルという派遣会社に登録した。
その頃(1997年)日本は超氷河期と言われていて、就職はもちろん、アルバイトも完全に買い手市場でカッペで資格も愛想も無い僕に割のいい仕事を見つけるのは難しかった。

池袋で、相当テキトーな研修を終え、簡単な書類を書き終えるとあっという間に登録完了。
後は会社からの電話を待つだけだ。
その日のうちに連絡がきた。ノリの良い感じの男性の声だ。

「山田君!明日の朝、埼京線の〜駅に来れますかぁ?」

「はい、、、仕事の内容は何ですか?」

質問した途端に相手は一気に不機嫌な声に変わった。本当にこういう時代だったのだ。

「チッ、、、たまご工場での作業だよッ!行けるの行けないの?」

東京こわいな。

たまご工場ってなぁに⁇

僕はこれ以上質問するのを諦めて
「はい、行きます」とだけ答えた。

次の朝、指定の場所に行くと垢抜けない二十歳前後の男たち(もちろん僕もその1人だが)が20人ほど集まっている。
集合時間になると日焼けした岡本信人みたいな顔したお兄さんが「◯ッドウィルから派遣された方、集まって下さーい」と呼びかけた。
先頭の岡本信人の後ろを若い男たちがモノも言わず、ゾロゾロ歩いている。まるで敗残兵の行進、昭和枯れすすきが流れてきそうだ。

30分は歩いただろうか、辺りはすっかり広々した田舎の風景。上京して早々にこんなど田舎でバイトかよ、、、他の皆もまだ着かないのかとイライラしているようだ。

そんな矢先。

懐かしいニオイがした すみれの花時計、、、ではなく

「コッコッコ、コケーッ!!!」

ニワトリが鳴いている。懐かしいニオイは鶏糞の臭いだった。たまご工場⁉︎まっ、まさかそこから?
ニワトリ小屋の掃除や餌やりは絶対にキツい。
◯ッドウィルのヤロー、早く言えよ!
僕はかなり焦った。

が、僕らが案内されたのは食品加工場の方だった。白衣に着替えさせられて、工場の社員さん達に適当に仕事を割り当てられる。

「じゃあキミは卵焼きお願いね」

卵焼きだいすき❤️じゃなくて。えっ?

そこは巨大な鉄板がある20畳ほどの部屋だった。暑い。
焼けた鉄板の上に卵液がジュウジュウと流しこまれて、3メートル四方の巨大な薄焼き卵が出来上がる。それを大きなヘラでクルクル巻いて長〜い卵焼きの出来上がり。

完全にオートメーション化されている。
その様子を気難しそうな60歳位のおじさんが見つめている。職人の眼差しだ。
「あの〜、僕は何をすれば、、、」
おじさんは少し困ったような顔をすると
「ああ、、、じゃあね、ベルトコンベア見張ってて」
ベルトコンベアに先程の長い卵焼きが、30センチ程に切り分けられて、乗せられていた。

ボヨンボヨンと軽くバウンドしながら、運ばれてゆく卵焼きは、中学生の時に友達の家で観た、無修正洋物ポルノの白人男性のアレのようで、僕は吹き出しそうになった。
「あのね、コイツらたまに、落っこちちゃうんだわ」

おじさんは卵焼きの事をコイツらと呼んだ。やはり我が子の様に可愛いのだろうか。

「落っこちない様に見張ってて」
「はぁ、分かりました、他には、、、?」
「他?それだけだ。頼んだよ!」

おじさんは吐き捨てるように言うと、出て行ってしまった。
僕は何時間もベルトコンベアの上でバウンドしている外人のチ◯ポ、、、いや、卵焼きを見つめていた。

たまに落っこちてくるチ◯ポをキャッチ。
あっちでキャッチ、こっちでキャッチ。

どの世界にもはみ出し者はいるものだ。

何本?か落としてしまった。ヤベェ。
戻ってきたおじさんに、床に飛び降りて崩れてしまったはみ出し者達を見せると。
「ああ、それね」
ササッとホウキとチリ取りで掃いて隅にあるゴミ箱に放り込んでしまった。
怒られなくて、ホッ。

おじさんはコイツらに大した愛情は無いようだ。
その後、僕は夕方まで、8時間ベルトコンベアに乗って旅立ってゆく卵焼きを見つめて過ごした。このバイトを続けると頭がおかしくなる、そう思った僕はそれっきりたまご工場に行かなかった。
そして僕は別のバイトが見つかったので派遣自体行く必要がなくなった。
が、しばらくして再び◯ッドウィルから連絡があった。

「山田君?また、たまご工場お願い出来ないかなァ?」

「イヤです」

はっきり断った、18歳の春でした。

あれから20年以上経ったが、僕の脳裏にはボヨンボヨン踊るバウンドチ◯ポが今も焼き付いている。
もしかすると皆さんのご家庭に旅立った卵焼き君もいるかもしれませんね🥚

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