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【いい店の人と考える、これから先のいい店って? vol.9】堀内隆志さん(カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ 店主)

時代の波とコロナ禍を経て大きな転換期を迎えている今、お店というもののあり方も大きく変わりつつある。
 
お店というのは、住まう人や訪れる人と地域を結びつける、街にとっての窓みたいなものなのではないか。そう考えたとき、これから先の街を、社会を、そして住まう人を元気にしていくような「いい店」とは一体どういうものなのだろう。
 
お店を始めたい人も、既にやってる人も、いい店が好きな人も、みんなが知りたいこれから先の「いい店」のことを、実際に「いい店」をやっている方に聞いてみたい。今回登場するのは、鎌倉にある〈カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ〉の堀内隆志さんである。

いろんな人が集い、思い思いに過ごせるカフェを

常に観光客でにぎわう古都鎌倉。駅から伸びる小町通りは特に人通りが多く、休日には歩くのもやっとという近年の状況だが、一本脇道に入ると少し落ち着いた空気が流れる。その一角、横須賀線の踏切近くにあるのが〈カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ〉だ。
 
広い店内にはテーブルと椅子がほどよく間隔を空けて並べられ、大きな窓からは湘南の日差しが降り注ぐ。フランソワ・トリュフォー監督によるフランスの映画『日曜日が待ち遠しい!』(原題:Vivement dimanche!)から名付けられたように、いつ訪れても”日曜日の気分”でゆったり過ごせるカフェは2024年で開店からちょうど30年を迎え、鎌倉の街にすっかり溶け込んでいる。

常連のイラストレーター、小松原めぐみさんの手による「おじさん二人」の看板が目印。

「もともとフランスが好きで、学生時代はパリに映画のポスターを買いに行ったりしていたんです。フランスにはカフェが街のいたる所にあって、訪れる度にすごくいいなと感じていました。
 
でも自分が学校を出て就職したのは流通関係で、希望通りの職種ではなかったので悶々としていたんですね。そんな折、学生時代に知り合った美術作家の永井宏さんからお知らせをいただいたんです。新しいギャラリーを葉山に開くと」(堀内さん)
 
その〈サンライト・ギャラリー〉は、「誰にでも表現者になれる」という永井さんの信念のもと、自由でユニークな運営がなされたギャラリーだった。20代の堀内さんはこの場所に足繁く通い、永井さんや訪れる人たちから大きな影響を受けることになる。
 
「同世代とも長い時間語らう中で、自分は彼らのように表現方法を持っていないことに気づかされた。じゃあ自分は何ができるんだろう、と考えたときに、このギャラリーのようにいろんな人たちが集い、思い思いに過ごせるカフェならできるんじゃないかと。
 
でも当時は〈スターバックス〉が日本にやってくる前。各地で昔ながらの喫茶店が姿を消し、紅茶を出すティールームが流行していた時代です。当然周囲からは反対されましたが、会社を辞め、知人が経営していた飲食店で働き、湘南を中心に物件探しを始めました。やっぱり湘南で暮らす人たちって、自由で眩しく見えるんです。こういう環境で暮らしながらカフェをやれればって」

当初希望していた逗子や葉山ではなかなかいい物件と出会うことができず、堀内さんのお母さんが鎌倉の街中にある現在の物件を探してきたという。
 
「当時の鎌倉は、土日は混雑するものの平日は静かでしたし、小町通りから一本入ったこの辺りは今以上にひっそりとした通りでした。いろんな人に“ここは地元の人しか通らないよ”と言われたし、こんな広い店でやっていけるのかなあ、と思いましたが、広さの割には家賃が安かったこともあり、まずは地元にアピールできればいいや、と決めてしまいました」

大きな窓から差し込む日差しが、ここで過ごす時間をより一層心地よくしてくれる。

全てが手探り。それが楽しくて仕方なかった。

かくして、94年4月にオープン。ジャック・タチの映画に出てきそうな明るい風通しのいい雰囲気にするべく、黄色い壁紙を貼り、オープンさを前面に押し出した新しいスタイルのカフェは、昔ながらの喫茶店が多かった鎌倉において異彩を放った。しかも、堀内さんが触れたように、当時はスターバックスも未上陸。日本にカフェ文化が根付く前である。
 
「最初のうちは暇な時間も多かったけど、20代の若造が鎌倉でカフェを始めるというのが珍しかったのか、永井さんがいろんな人たちを紹介してくれて、ディモンシュを応援してくれたのがとても心強かった。営業に関しては、開店当時は母に手伝って貰いつつ、正しく、まっとうな仕事をやろうと。これさえ徹底していれば、次第に信頼されるお店になるだろうと思っていましたから、それほど心配はしていませんでした。
 
おそらく、以前から飲食業に就いていたら、計算が先に立ってそもそもカフェをやろうとは思わなかったでしょう。でも僕の場合、飲食の素人だったのが逆によかったのかもしれません。とにかく、お客さんに嘘をつく商売はやりたくなかったんです」

丁寧にコーヒーを淹れる所作からも、堀内さんの開業当初からの思いが垣間見える。

開店当初から、店に集う編集者やライター、ミュージシャン、写真家らが協力して『ディモンシュ』というフリーペーパーを発行。当時としてはユニークな試みで、新しいカルチャーが生まれる場としてディモンシュの名は徐々に知られ始める。さらに、97~98年頃になるとカフェブームが訪れる。数多くの雑誌で紹介され、遠方から訪れる人も増え、地元にも根付いていった。
 
「もともと永井さんのギャラリーがきっかけだったので、店の一角で展示を行ったり、サマーストアをやったり、語学教室やライブを開くなど、いろんな試みをしました。その意味では、最初は少し広すぎるかなと感じたこの場所でオープンしたことはとても大きかった。
 
何より、日本でこうしたスタイルのカフェがなかったわけで、すべてが手探り状態だったのですが、それが楽しくて仕方なかった。お客さんにとってもウチのポップな感じは新鮮だったと思うんです。
 
旅先で入ったお店で店員さんの感じが良かったら、それだけでその旅行自体がハッピーになるじゃないですか。観光で鎌倉を訪れたお客さんにも、そういう気分で帰ってもらえればと思いながら接客していました。その気持ちは今でも変わりません」

「ポップな感じ」は今なお健在。一見さんから常連客まで買いたくなるグッズ類も目を惹く。

何度かの転換期。”ブラジル期”を経て”自家焙煎期”へ。

 大きな窓から30年間鎌倉の街を見続けてきた堀内さんは、街の変化をどう見ているのだろう。

「観光客が増えたのはもちろんですが、周りの建て替えが進んだり、住んでいる人たちもだいぶ世代交代しましたね。実は2001年に運行が始まったJRの湘南新宿ラインの影響が大きくて、従来東京都心から鎌倉に来るには東京や品川経由で横須賀線に乗る必要があったのですが、新宿や渋谷、大宮の方からも乗り換えなしで来れるようになった。観光にも便利になったし、鎌倉に住んで都心に通う若い世代がかなり増えたと感じています。それは即ち、“鎌倉の東京化”ということにもつながる話なのですが、いい意味で風通しは良くなったのかな、と」

街の移ろいとともに、堀内さん自身も、お店も積極的に変わっていった。

「1990年代後半からブラジル音楽が好きになり、そのうちコンピレーションCDの選曲をしたり解説文を書くようになりました。僕は凝り性なのでどんどんハマっていき、2000年代前半にはブラジル雑貨のお店とブラジル音楽のCDを扱うお店をオープンして、ますますコアな方向に進んでいったんです。

ただ、僕がブラジルにのめり込んだ結果離れたお客さんもいましたし、3店舗経営することで、全体の売り上げも少しずつ落ち込む結果になってしまいました。

カフェの方は、同じく90年代後半に札幌の〈斎藤珈琲〉さんとの出会いがあり、斎藤さんの豆ならディモンシュのコーヒーは大丈夫、と絶対的な信頼を置いていました。でも2009年頃に斎藤さんが病に倒れてしまい、いよいよ自分で焙煎しないとダメだな、と。そのタイミングで妻から“そろそろカフェに集中したら?”と言われたこともあり、マスターとしてもっと努力せねばと気持ちを切り替えました」

「ブラジル期」が過ぎた今も、FMヨコハマ『SHONAN, by the Sea』(毎週日曜朝6時)に「COFFEE & MUSIC」コーナーを持つなど、ブラジル音楽に関する仕事も続行中。

大きな焙煎機が置けて、いつでも機械を動かせる家に引っ越した堀内さんは、2010年からいよいよ自家焙煎をスタートさせた。

「焙煎は想像以上に難しかった。なかなか理想の形にならず、豆をたくさんダメにして、何度も何度も、それこそノイローゼになるくらいやり直しました。

僕の理想は、あくまで斎藤さんの焙煎した豆の味。その後もかなりの時間を費やしましたが、試行錯誤の末ようやく店に出せるレベルになったタイミングで、東日本大震災が起こったんです」

鎌倉でも計画停電で電気が使えなくなったため、ガスでお湯を沸かし、手挽きのミルで豆を挽き、来てくれた地元のお客さんにコーヒーを提供したという。

「あの頃、不安な気持ちで過ごした方も多かったと思うんですけど、1杯のコーヒーで気持ちが和らいだという声を耳にして、改めてディモンシュと地元鎌倉との結びつきを強く感じることができたんです。

同じことは4年前のコロナ禍でも実感しました。外出自粛期間中、家で飲んでもらうために〈#Stayhome〉というブレンド豆を販売したのですが、通販はもとより、店で近所の方がたくさん買ってくれた。それだけ皆さんウチのコーヒーを好きでいてくれているんだなって……。
 
いずれにせよ、自家焙煎を始めたことが店の大きな転換期になったのは間違いありません。今では豆の卸売りもできるようになったし、コロナ禍のまともに店を開けられない状況を、豆の売り上げなしに乗り越えることは不可能でした」

店頭にならぶ自家焙煎の珈琲豆。季節によって、限定のブレンドなどがお目見えすることも。

一杯のコーヒーすべてに自ら関われるカフェ店主の理想を追って

これからもディモンシュの看板は掲げつつ、その中身は柔軟に変化させていくつもり、と堀内さん。
 
「あくまでコーヒーの味に拘りながら、いかにお客さんに喜んで貰えるかというのを考え、時代に合わせて変わっていく。パフェのバリエーションを増やしたり、パフェとコーヒーとのペアリングを提案したりといった試みはそうした思いが形になったものなんです。
 
風通しのいいお店でありたいとの思いは30年間変わっていなくて、初めて訪れた観光客の方にも、いつも来てくれる常連さんにも、ディモンシュが居心地のいい場所であってほしい。そのためにはただ同じことを続けていくだけじゃだめなんですね」
 
レベルアップのためには焙煎のセミナーにも通うし、最近では水選びにも凝り始めた。
 
「水のpH値や成分によってコーヒーの味はかなり変わるのですが、現時点では丹沢からの水が地下に蓄えられて街中に湧いている、神奈川県秦野市のボトルドウォーターがすごく良いと感じています。
 
豆選びから焙煎、水選び、抽出、サービスまで、一杯のコーヒーすべてに自分が関われる。だから、その一つ一つに納得がいくまで向き合っていく。これがカフェ店主として一番理想の形ですね」
 

堀内隆志さん
●ほりうち・たかし 1967年東京生まれ。94年に〈カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ〉を開店。並行して執筆やブラジル音楽の選曲など幅広く活動。著書に『珈琲と雑貨と音楽と』(NHK出版)、『コーヒーを楽しむ。』(主婦と生活社)、『鎌倉のカフェで君を笑顔にするのが僕の仕事』(ミルブックス)など。文中の番組のほか、FMヨコハマ『キイテル COFFEE TALK SESSION』(第2・4木曜26時30分~27時)でパーソナリティーを務めている。

カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ
住所:神奈川県鎌倉市小町2丁目1−5 1階
営業時間:11:00~18:00
水・木曜定休
https://dimanche.shop-pro.jp/
WEBショップではコーヒー豆やオリジナル雑貨などが購入可。

写真/石原敦志 取材・文/黒田創 編集/木村俊介(散歩社

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