プチDAYS 「根っこがバブル」
「根っこがバブル」だ。
ニュースクールに入学した頃、マンハッタンで佇むと何かハプニングが欲しくて、ついタクシーに手を挙げている自分がいた。根っこがバブル。
使わなくていいところにお金を使ってしまう。ここじゃないどこかになにか面白いものがあるような気がして。ついつい目移りしてしまうのだ。
それがいつの間にかタクシーには滅多なことがない限り乗らなくなった。不思議なもので習慣とは意識して変えていかないと変わらないものなのだな。
服を買う時つい「別の色も買っとくと着回しが効くじゃない?」とかどっちがいい? って迷うときは「取り急ぎ高いほう買っとくと問題ないんじゃない?」とかいちいちお金をたくさん使うことで安心を買っていたようにも思う。根っこがバブル。
バブルな時代の恩恵を受けて生きて来たような世代と言われる僕だけれど、意外や意外地味で堅実な人生を送って来たとは思う。しかし根っこはやはり深くて頑固だった。N Yで学生生活を始めるといきなり「大人買いのクセ」が抜けない自分にほとほと困り果てた。
授業でなかなかジャズが身につかず、自分だけが「除け者」になった気がして寂しくて学校から遠ざかってちょっとしたリストランテで昼から赤ワインとタリアテッレをついばんだ。チップを弾む食べ慣れたマチュアな(成熟した)客に、お店は限りなく優しく親切だ。学校に居場所のない僕はしばし心ゆくまでこうしてget awayしたサンクチュアリーをお金で買って自分のプライドを回復させたのであった。
贅沢とは一旦身につくとなかなか手放せないものだ。先ほども書いたが習慣とは恐ろしいもので、ついついうちにものを増やす底なし沼にハマっていることに気づかない。そうやって毛布やラグや犬のベッドや自分のアウターを買っては気がつくと小さなアパートのクローゼットはパンパンだった。根っこがバブル。
ブルックリンの最初10年住んだアパートには大きなクローゼットが2つあったので、さほどその金遣いに気がついてなかったのだが、引っ越してクローゼットが1/3ほどになり一気に額に縦線が入った。
「いらないものが多すぎる」
どこかジャズになりきれない自分を励まそうとお金を使って、空虚感を埋めようとしていた浪費の数々が行き場を失って彷徨った。しょうがないので表の道に「Take me freely!」と書いたメモを添えて誰かに貰ってもらった。
ごそっと失って初めて一個キラッとしたものが手に入る。悲しいかなそれが現実。持ってるうちは煩悩の渦だ。足して増やしているうちは本質というものは残念だがなかなか見えない。ダウンサイズしてこそ初めて自己変革が始まるのだ。
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