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ブルックリン物語 #76 「Summertime」

夜明けに肌寒くて何度だろうと携帯のスクリーンを見ると摂氏17度。そりゃそうだ寒いはずだ。足元を見るとぴがツルツルの肌触りの夏仕様マットを逆さまにしてくるまっている。毛羽立ったほうを内側にした方が暖を取りやすいのだろう。そんなぴは8月5日に15歳になった。

15歳は人間でいえば100歳を超えると聞く。いや、そんなことは僕とぴにはどうでもいいことで一瞬一瞬力を合わせ暮らしている。手のひらをぴのくるまったマットにそっと載せると気配を感じたのか少し背中が動く。起きてるけどまだ外には出たくないんだよとでも言いたげだ。語らなくとも通じ合える、生き物の連動。不思議な共感。言葉を超えた感情が混じり合う。

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最近日本語よりも英語の方が伝わるなと思うことがある。それはアメリカの仕事に慣れてきたこともあるけれど同時に自分の英語が片言だから通じるのだと冷静に分析するようになった。日本で長く生活してきた僕にこの先もペラペラはあり得ない。口周りの骨格も食べものもアメリカ人とは違う。そんな僕が日本人の癖のあるアクセントで、I love you. と言う。移民だから漂うエキゾチックな文節の切り方や母音や子音の伸ばし方は、言葉本来の意味を超えた独自の体温を持つ。

ぴは言葉を話さなくても様々なピッチや抑揚の「ワン」でパパに「おしっこ行きたいからベッドから下ろしてよ」なのか「お腹がそろそろ空いちゃったから早く作って」なのかを僕に伝える力を持つ。もし甲高い「うおーん」だと別に大した用事じゃないけれど、ただパパに背中をちょっぴり触って欲しかったり構って欲しかったりするわけだ。長年をかけてお互い知り合えた音のキャッチボールは二人の間に見えない深い絆を生んでいる。通じ合えると言うことはなんと安心で豊かで、胸の奥がキュンとするほど素敵なことなのか。

2日ほど前にTHATというWeb SiteのインタビューをZoomで受けた。最近はZoomが多いが、その際画面は映らないことが多い。間を取り持ったPRのジェニファーもシェアするその画面の一つにいるけれども彼女の音声と画面はオフにされている。日本の取材を受ける時も全くこのパターンだ。最初この無音無映像なのにそばに人が大勢いる事態になかなか慣れなかった。でもだんだん「ねえ、そう思いません?ジェニ?」とか声をかけるとその時ジェニの音声だけがオンになり「そうね、賛成。そうだと思うわ」と返事が来てまたすぐオフになることがわかり結構面白くなった。日本語であろうが英語であろうがこうやって真剣に楽しく心を通わせた会話のエネルギーが記事やユーチューブになりやがて世界に届くのだと思うと胸がときめく。伝えたいことが山ほどある。

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NYの夏は短い。7月の終わり頃からすでに「なんか、涼しくなったなあ」と感じる瞬間があって窓を開ける回数が増えた。涼しい風がそこから入ってくるとぴが顔を上げる。「そうだよね、気持ちいいよね」と声をかけると遠くを見ながら「ふ〜」とため息をひとつついた。ついこの前だと思ってた。グイグイリーシュを引っ張って、どこまでもどこまでもユダヤのコミュニティ地区を胸を張り歩いた日々。友人の別荘に泊まった時も草を足でかき分けて獣に戻って走った走った。新しい家に引っ越したのが今年の初めだが、すぐに間取りを覚える賢さはパパを驚かせた。そして8/5の誕生日を迎える頃になると少しずつ家の中で道に迷う回数が増えてきた。耳も左のほうが聞こえづらくなった。ご飯が終わって朝風呂にパパと入りリラックスした体を特大のふわふわバスタオルで拭いてもらうと瞬く間に姿を消す。パパがパンツを履いてぴをさがすとキッチンの食べ残しをペロペロ舐める背中を見つけた。そう言う時は道に迷わない。

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