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大江千里の「ジャズって素敵!」いよいよ最終回!

こんにちは、ぴーすです。
毎月お届けしてきました集英社新書プラスの「大江千里のジャズ案内 ジャズって素敵! 」がいよいよ最終回!  
「これはジャズじゃない」…..あ、このセリフ、『9番目の音を探して』にも登場していましたよね。でも、ジャズは何でもありの音楽だって教授が言ってましたし。
渡米してから見聞きしたすべてを、ほとんど全てが綴られているといっても過言ではありません。渾身の最終回!!

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大江千里のジャズ案内 「ジャズって素敵!」 最終回

新世代の新しいジャズの潮流


「これはジャズではない」を更新し続ける

ジャズは時代と共に変化してきました。その時々でヒップホップやクラブミュージックなど新しい音楽と結びつきながら、滅びそうになりつつも市民権を取り戻してきたのです。

それが連載で度々定義している「ソーシャルミュージック」として一貫している点だと思います。

「ジャズ」の誕生は19世紀終わり方から20世紀初めの頃のアメリカのニューオーリンズ。これには2種類の黒人が関係していると言われています。

まず奴隷としてアフリカから連れてこられ綿畑で働いていた黒人たちが、唯一許された時間と場所の中で、自分達の想いやメッセージを、ワークソングや黒人霊歌に込めて歌い演奏していました。一方では、スペインやフランスなどヨーロッパからの移民と黒人との間に生まれた混血「クレオール」の存在もあります。彼らの間でヨーロッパ由来のクラシックをベースとした室内学的音楽が人気となりました。

奴隷解放宣言(1862年9月)と南北戦争終結(1865年4月9日)により黒人奴隷は解放され、クレオールは白人同等の身分を剥奪され、黒人と混じり始めます。戦争中に音楽隊が使っていた楽器が街に放り出されているので、それを手に即興性が高い新機軸の音楽が発生したのです。これがニューオーリンズジャズ。

1930~40年頃にジャズはスウィングジャズとして経済成長と共に隆盛を極めますが、40年代にサックス奏者チャーリー・パーカーがビバップと呼ばれる演奏形態を確立することにより、現在のスタイルがほぼ根付きます。

そのあとはクールジャズ、ウエストコーストジャズ、さらにハードバップ、モードジャズと、常にジャズはスタイルを変えて“既成概念への反発”として社会へ産声を上げ続けます。ジャズは新しいスタイルが生まれるたびにファンの間で「これはジャズではない」という言われ方をされ、傷つきながら発展した音楽でもあるのです。

ピアニストのバド・パウエルの『The Bud Powell Trio (バド・パウエルの芸術)』(1949年)はピアノ、ベース、ドラムのトリオによる、ビバップをピアノに取り入れた独特の演奏を展開して、強烈な印象をリスナーに与えました。そのスタイルは以後のビル・エヴァンスなどみなさんが知っている多くのピアニストにも大きな影響を与えました。

ジャズはモダンミュージックであり常に社会の主役でありました。少なくとも60年代にビートルズが出現するまでは。

ジャズと社会の距離感

チャーリー・パーカーの弟子のようにくっついてた、ジュリアードの学生でトランペットボーイのマイルス・デイヴィスは、当時先鋭的な作風で知られた3人の音楽家(ギル・エヴァンス、ジェリー・マリガン、ジョン・ルイス)をアレンジャーに迎えて、問題作『Birth of the Cool(クールの誕生)』(1957年)を発表します。
ここには、師匠のバード(チャーリー・パーカー)のビバップが根底にありつつ、チューバやフレンチホルンといった、ジャズでは珍しい楽器のホーンセクションを用いて不協和音ギリギリのハーモニーにチャレンジ。このアルバムが与えたインパクトは相当なものがありました。

その後もマイルスはジャズ界の風雲児としてアコースティック主体のジャズにエレクトリック楽器を導入したり、「1発録り」のジャズにダビングやデジタルの発想を持ち込んだりします。ジャズに限らず、他の音楽ジャンルにも新しい機材や楽器が発明を生み出した黎明の時代に突入するのです。

一方で、マイルスと並んで論じられがちなサックス奏者のジョン・コルトレーンが挑戦したのは、本来のジャズを突き詰めるあまり、よりストイックにラディカルに即興性が増した新しいジャズでした。カリスマ性のあるミュージシャンでしたが、抽象的で若干難解とも取れるスタイルで賛否両論が巻き起こり、一気にファンが離れます。

この流れからわかるのは、「常に社会と関わろうとするがあまりに、逆に社会に反発し続けた」側面が、ジャズが持つ独自の「大きな現象」であるということです。
そして60年代にロックの台頭により、ジャズがだんだんメインストリームから傍へその道を外れはじめて、70年代に入るとさらに混沌として人気は衰退するものの、「フュージョン」と言われるポップスとの融合に流れつきます。もちろん「こんなものはジャズじゃない」と言われましたが、叩かれれば叩かれるほど変化し「起き上がり小法師」で続いていくのです。

そんな中生まれたチック・コリアの『Return to Forever』(1972年)はメロディアスかつリリカルで、ラテンリズムを取り入れた名作として今も多くの音楽家を捉えて離さない作品です。フュージョンには名作が多く、ハーブ・アルパート『Rise』(1979年)、ラリー・カールトン『Larry Carlton(夜の彷徨)』(1978年)、ザ・クルセイダーズ『Those Southern Knights (南から来た十字軍) 』(1976年)などがあります。

でもやはり、チックの世界観はジャズの金字塔と言える芸術だと思います。ジャズの持つ外向きの力、透明感、体が自然と動く楽しさが溢れかえっています。そして優しさが詰まっています。争いや排他勢力からまるで音楽で解き放つような、その包み込む優しさ。これこそソーシャルミュージックとして「聖書のようなアルバム」だと思うのですが、いかがでしょう。

ロバート・グラスパーの衝撃

さて、ここまで述べたジャズ史観はいちジャズファン目線でした。

2008年の春、ニューヨークのジャズ大学「ニュースクール」へ留学した僕が、アメリカへ渡って最初の夏に面白い体験をしました。毎年夏にマンハッタンの二ヶ所で行われている無料のイベント「チャーリー・パーカー ジャズフェステイバル」へ足を運んだ時のことです。

多くのジャズミュージシャンが詰めかける賑わいのあるイベントで、バードにゆかりのあるアーティストがいっぱい演奏します。そこでメインの出演者の合間に、MCが一人の黒人青年を紹介したのです。

「もう知ってる人は知っているとは思うが、彼はこれからのジャズの世界を変える男だと私は思う」

MCにそう言われて、恥ずかしそうに一人の男がソロピアノを弾きにステージに上がりました。その人物こそが、現在のジャズの世界に大旋風を巻き起こしているロバート・グラスパーだったのです。

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じっくり、梅雨入りの週末をお過ごしください。(ぴ・時空を超えて)

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