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1,2,3,4のその先へ。

ものすごい勢いで秋に向かっている。

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あ、もうそこまで冬が来ている。そう感じる時さえある。とくに朝方など。薄い毛布とじゃれ合うと心もとなくて目が覚めてしまう。納涼のルーフトップに吹いた生ぬるい風もミルウオーキーのミシガン湖から吹く涼しい風も、今思うと秋を引っ張る風には充分な前触れだった。夏を思い出に押しやる為の。

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『LTNY』を作り始めたのが2月のはじめ頃だったから、あれから本を出してアルバムを出して日本盤の配信も始まったのだ。ゴミを出しにつっかけで外に出る。ひんやり気持ちいい空気にしばし顔を上げ「ここに越したのは今年の1月15日だったなあ」と懐かしむ。前の場所から車で移動する時運転手の男の子とコロナ濃厚接触した。あんなの可愛らしいエピソードだったなあと思う。今や友達の数人は新型で入院しているし、ワクチンをきちんと打っていさえすればコロナは風邪のような症状で収まるのをみんな知ってる。そんな現実にも自分の気持ちは追いついて行っていない。漠然とただただ孤立する。

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ワクチンパスポートがないと店の中で食事ができない。これだけじゃもちろんダメで、きちんとした顔と名前が認識できるIDも必要だ。家から外に出て毎回思う。「あ、またパスポートとIDを忘れた」と。NYでIDを携帯するということほど危険なことはないので絶対にしない。仕方ないのでそんな時は店が外に作ったスペースでのダイニングになるし、運よくパスポートだけ持ってる時はネットで 

peaceneverdie.com 

の自分のページを出して「実はジャズピアニストなんだ」とカミングアウト。これで本人確認は充分なのだ。要するに顔とパスポートの一致、これだけなのだ。顔が見えないことが問題。今の時代最もNGは顔が見えないこと。

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8月5日に誕生日を迎えたぴは毎日食欲旺盛で、相変わらずパパを支配さえするビッグタイムもありパパは目を細めてそれに従っている。9月6日に61歳になったパパは勝負だった仕事(サマーフェスタ2021)を大成功させて心静か、神様に手を合わせながら過ごせる日々を慈しむ。誕生日当日には中村ラーメンを食べた。天気が良く外の席でビーガン餃子をつけて。毎日CDの配送をやり散歩をして自炊の買出しに走る日々は平凡極まりないが幸せだ。

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昨日ユージンスミスというカメラマンの映画を観た。「MINAMATA」というジョニーデップ主演の映画の元になった人だ。彼がお金と名声を手放してNYマンハッタンに移り住んだのがある1950年代のジャズマンたちが集う典型的なNYのアパートだった。6番街の。

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そこでセロニアスモンクがダリが集い、数多くのジャズマンたちがセッションして多くの影の名作とも言える素晴らしいセッションテイクがとれる。とれるというのは音楽に魅せられた彼がピンマイクで隠し撮りするものが現存するのだ。それってすごくない?モンクが自分の10本の指の奏法をビッグバンドアレンジする時ダンスを踊るんだよ?

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ジャズとはほんと面白い。こんなアパートがブルックリンにもあった。僕が学生の頃だからかれこれ10年前になるけれど、学生仲間の間で「セッション大会があるらしいよ」と口コミが流れ僕はそこへ顔を出した。ブルックリンのタウンハウスで裏庭がある大きな物件だった。そこに普段クラスではおとなしいデイブもサラもジョニもナンシーもみんないた。一見若者のピッザをつまんでのマリファナパーテイのていを擁しているその場所にはいくつもの隠し部屋があってジャズセッションの巣窟だった。もういまやストックホルムへ帰ったサックスのジョナサン(結構嫌な奴だった)、尺八にはまって日本人の僕より詳しいアダム(うちにも時々遊びに来る)、ロックで活躍するサム(先生を口説く20歳で禿げてたイケメン)、母国デンマークじゃ有名、今や一時の母親で癌治療中のシンガーノーラ(才能の塊)、、、みんなみんなあのアパートにいた。

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気後れして早めに退散したあまりの僕は、NYの時間の進み方の早さに圧倒されゼイゼイ息をついた。あそこで化学反応が起こった音楽はもはや次の日には別の顔を持っている。その中心にいれるものだけがNYでは生き残る。ユージーンはおそらくLIFE誌での報道写真を終わらせた頃にマンハッタンに見つけたそのアパートで行われたセッションに同じような凄み、アメーバーさ、分け隔てのない奔放さ、革新性、カケラのジャーナリズム、そういった肝が震える瞬間を見つけたのだと思う。あっ。

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通りの畝る様子、人が「What is the hell(馬鹿野郎がさあ)......」などという汚いカース(隠語)を叫ぶ人たちの声を窓越しに中からキャッチして音楽が生まれる。そのエネルギーを演奏に変換する。通りで起こるドラマをミュージシャンは家の中でピックアックしてセッションに還元するのだ。

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『LTNY』を作る日々は冬の寒い頃だった。ちょうど雪が多くNYらしい街角からは全て転んですってんころりんな人たちのカース(隠語)が飛び交っていた。救急車の往来もまだまだ多かった。そのストリートのテンションを窓越しにキャッチし音に変える、即興性と瞬間の芸術。理性や理論が入り込む隙間のない時間。あれが季節が夏だったり場所が前の家だったりするとまた違ったものになっただろう。必然か?デッキのない広い家に無理やり越して。

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ユージーンスミスの移り住んだアパートにはある日、セロニアスモンクがやってくる。そしてこの家のオーナーであるアレンジャーとセッションを始める。それがのちのモンクの伝説のタウンホールでのライブになるのだった。

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『LTNY』は面白い。新しいジャズ世界にとどまらない出会いを僕にくれているし、1年前には考えもしなかった挑戦を僕に投げかけてくれている。窓の外、冬に見た通りには今や秋の始まりに吹き出す水道やアイスクリーム屋がいる。夏の名残を讃え季節はゆっくりと次へ次へ進んでいるのがわかる。慣れない花を飾ったり近所に見つけた魚屋で買ったネタで焼き魚料理をしたりルーフに出て会計士のマーレーとビールを酌み交わしたりイタリアの風を運ぶカップルの作るポモドーロに舌鼓をうったりも。そういえばあのDavidたちは無事にミシガンに着いたのだろうか?(彼らの家はそっちなのだ)ボブジェームス氏への伝言は伝えてくれたのか?(Davidのお父さんはボブさんのミシガンの森にあるスタジオの設計士なのだ)

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Kayは「よかった。PCR検査が陰性で」ミルウオーキーのフェスタがあまりにみんながみんなノーマスクだったもので心配でしょうがなかったのだ。彼女の比じゃないくらい僕はノーマスクだったので僕こそPCR必須だろう。彼女いわく「今や数日に一回のPCRはエチケット。コロナはもはや風邪です!」わずか一年で還暦の赤いヤッケを着て20歳の女の子と踊った僕は一年経った今は全く違う更にファンキーな時代の景色のセッションを強いられている。しかしこれ、悪くない。カタチじゃないジャズはアメーバーだ。

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You tubeやSpotifyでも大江千里とSenri Oeが繋がってセッションをしている。過去と未来と現在はシャッフルされて次に何が作られるかを待っているのだろうか?

気がつくとぴはすでにベッドルームへ。パパはこの後この前のミルウオーキーのことをズームで話すインタビューが控えている。

文・写真 大江千里 (c) Senri Oe, PND Records 2021


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