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偏差値との上手なお付き合い

今回、偏差値について取り上げたいと思いました。

どのような評価方法なのか。
受験においては大変便利である一方、人生の長い期間にわたってとらわれかねない危険性のある「ツール」であるということをお伝えしたいなと思いました。

相対評価と絶対評価

絶対評価

ある基準にもとづいて、合否や評価を決める方法です。
例えば、

  • 「80点以上は全員合格」

  • 「まじめに取り組んで頑張った人は全員〇(マル)」

など。

メリット:
 他人は関係なく、自分としての頑張りが評価されやすい点
デメリット:
 入試のように定員がある場合などに対応できない

相対評価

SとかA、優とか良など、それぞれ評価に対する人数(あるいは割合)があらかじめ決まっている評価です。

メリット:
 集団の中での自分の立ち位置がわかりやすい
デメリット:
 「自分なりに頑張った」は評価されにくい

テーマである偏差値も相対評価に基づいています。
偏差値50は全体の何%、60は何%、70は何% というように定員が割り振られます。

ちなみに私たちの時代は、通知表の成績も相対評価でした。
例えば1~5の5段階評価をつける場合、
5は何人、4は何人、、、というふうに割り振りが決まっていました。

自分なりに真剣に取り組んで頑張ったとしても、みんなのレベル(平均)が高ければ、成績としては評価されないということになります。
学校成績において「自分なりのがんばり」は評価されにくい時代でした。

入試においても、基本、試験の点数が1点でも高い方が合格です。
内申書は、同点が二人いて、どちらかを合格、不合格にしなくてはならない時に参考にする程度、と言われていました。

シビアとも言えますし、学生生活が堕落してしまった人でも試験で逆転のチャンスをもらえる、とも言えます。

現在は、絶対評価に基づく内申点が入試に反映されますので、普段の頑張りも評価してもらえるのはメリットといえますが、
先生に好まれるような生徒、ふるまいといった恣意的になりかねない要素が気にならないといえばウソになります。

偏差値の概要

偏差値は平均を50として、平均からどのくらい上なのか、下なのか、自分の位置がわかるようになっています。

さらに「まあ一応、偏差値の優れている点」は、単に平均からどのくらい離れているかだけではなく、バラツキも加味されている点です。

例えば、100人がある試験を受けました。

  • 「99人が50点で、あなただけが100点でした」という場合

  • 「50人が0点、あなたを含む50人が100点でした」という場合

どちらのケースも、平均点はだいたい50点、あなたは100点ですが、この場合、後者は前者の場合よりも偏差値は低く算出されます。

定性的に説明しますと、同じ平均点であったとしても、
「全員が50点のなかで一人だけ100点をとった人は、0点が半数を占めるとはいえ、同じく半数が100点をとってしまうような試験で100点をとった人よりも優れている「確率が高い」と思われる」
というようなことを加味して偏差値に反映されています。

相対評価、絶対評価は目的によるので、どちらが良いとは言えませんが、
入試というレースがある以上、相対評価(偏差値)は、受験生にとっても、保護者の方にとっても、教師にとっても、便利なツールだと思います。

偏差値の内容をもう一度考えてみたい

まず、偏差値は値ごとに定員制だと説明しました。具体的には、

偏差値70・・・100人中 2~3位(おおむね44人に一人の逸材)
偏差値65・・・100人中 6~7位(おおむね15人に一人の逸材)
偏差値60・・・100人中 15~16位(おおむね6人に一人の逸材)
偏差値55・・・100人中 30~31位(おおむね3人に一人の逸材)
偏差値50・・・100人中 50位(2人に一人の逸材)

大まかにこんな感じです。

100人中 2~3位ですから、多くの人にとって、偏差値70は「高嶺の花」のように感じると思いますし、もちろん偏差値70はすごいです。
また、それをずっとキープし続ける子もいますので、その努力に対して素直に称賛すべきだと思います。

でもちょっと考えていただきたいのは、
100人中2 ~3位って、2~3クラスに2人程度の秀才ということですし、
私の時代は、1クラス40人以上が当たり前でしたので、クラスに一人の秀才だったということになりますが、これって人生にわたってドヤれるほどのことではないのかも、という観点は大事です。

また、偏差値に限らず、統計を使うときは母集団を検討することが重要です。

中学時期においては、母集団の中には、
 ・勉強が得意な人・苦手な人
 ・勉強が好きな人・嫌いな人
 ・勉強をやる必要がある人・ない人
様々な人が強制参加の上、入り混じっています。

ちょっと極論めいたことを言いますと、
 ・中学出てから就職する人
 ・海外の学校に行く人
 ・音楽やスポーツ等の夢を追いかける人
など、日本の高校に進学しない人もいますよね。
このようにレースに参加する必要がない人も、偏差値70を頂点とした44人の中に含まれています。

実質的には、44人に1人とは言えないような印象を持ちます。

逆の視点で説明しますと、
中学生の皆さんが、自分の偏差値でどのくらいの大学に行けそうかを検討する場合、偏差値を10くらい差し引いて見なくてはいけない、ということを聞いたことがあると思います。

ざっくり、中学の時、偏差値が70くらいの人が順当にいけば、偏差値60くらいの大学に合格する感じ、ということです。

これはなぜかというと、
高校では、ほぼ大学進学の意志のある人のみが模試を受けます。
つまり、大学進学の意志があり、受験勉強している人たちのみが母集団になるためです。
(それ以外にも、浪人生の割合も、高校受験時よりも格段に増えることも要因だと思います)


偏差値70を恐れすぎず、自分にも到達できるかもしれない、という気持ちで勉強に向き合ってもらいたいと思います。
(あくまでもシンボリックな数値として偏差値70と言ってますが)

勉強というレースは他人が作った土俵での強制参加レースです(これはこれで無駄にはならないので頑張ってください)。
興味ある人・ない人、経験者・未経験者、全部ひっくるめて2~3クラスに2人くらいの上位に匹敵するあなたの特技、知識、特徴、何かあるはずです。
いまはなくても、見つかった時はそれを大事にしてください。

偏差値大好き日本人

まず前提知識として持っておいていただきたいこと

  • 偏差値は日本で発明されたものであること

  • 海外では偏差値は使われていないこと(全くかどうかはわかりません)

よくよく思い返してみたとき、偏差値にとらわれている(いた)ことに心当たりのある方も多いのではないでしょうか。

「偏差値低っ!」というようなツッコミが散見されますし、偏差値だけではなく、漫画やアニメでは強さや能力を数値化したり、占いからなにまでランキングが大好きです。

みんなで一緒に共有すべき、「誰かが用意してくれた」評価対象とその軸の上で、自分や他人が平均以上なのか平均以下なのかに、非常に高い関心を持っている国民性であるといえます。

「和をもって尊しとする」
「出る杭は打たれる」
という言葉もあり、日本人は「みんなで同じことをやる」を美徳とします。
そのため、人それぞれの特徴や得意なことを評価することが苦手なのだと思います。

学校の勉強というたった一つの分野について、それが評価のすべてであると刷り込まれ、それをシンプルな数字で表現してくれる。
偏差値にとらわれる人ができてしまうのも無理がないように思います。

偏差値の有効期限と有効範囲

偏差値の有効期限

結論から言うと、
「新卒採用試験まで。会社に入って社会に出た後は一切関係ない」

会社の中で、「偏差値いくつ?」とか「〇〇大学出身」といった会話は普通はありません。

仕事は成果と結果がほぼすべてです(もちろん犯罪や不正はダメです)。
成果と結果が出なくても、「〇〇大学だから」「学生時代の偏差値がいくつだから」という理由で評価されることはありません。
逆に高校を出てなくても、大学を出てなくても、結果を出している人は評価されます。

転職の場合も同じです。
基本、転職は次の会社のために何ができるかと、それを証明するためのこれまでの成果の実績のみです。
極論、どこ大出身よりも、実績があって即戦力になる人を雇います。

一方で、企業は否定すると思いますが、新卒採用時の学歴フィルターは存在します。
新卒は実績がないので、仕事ができるかどうか判断できません。
学歴が重視されるのは、統計的、経験的、傾向的に以下の相関があり、仕事での成果を残せる可能性が高いためです。

  • 学校の勉強ができるということは、他のことの理解力も高い可能性が高い

  • 学校の勉強内容を基礎知識として、発展、応用知識の習得に役立つ

  • 学校の勉強を通じて、何かに取り組むときの努力の方法、時間の使い方、集中の傾け方がうまい

これはこれで事実として、学歴を意識することは全く否定しません。

偏差値の有効範囲

ずばり、「日本国内のみ」です。

そもそも、海外では新卒という概念も偏差値という概念もありませんので、当然、日本のみで有効です。
また、高校くらいまでは入試という概念すら、無いに等しい国が多数です。

普通の外国人は東大をはじめとした、日本の名門校と言われている大学すら、名前を聞いてもわかりません。
その大学がすごいのかすごくないのか、日本人が使っている偏差値はどのくらいだとどうすごいのかまったく見当もつきませんし、そもそも興味もありません。

偏差値はツール、とらわれる何かではない

「偏差値は10代の半ばから後半にかけて人生の一時だけ使う、受験においてのみ便利な指標であって、ましてや人を測るための普遍的な指標ではない」

もし保護者の方でこれを読んでくださっている方がいたら、このような認識を持ちつつ数字を活用するようにサポートしてあげていただきたいのです。

まれではありますが、大人になっても大学や偏差値の話をしたがる人がいるのは事実です。たいてい、

  • 本当は〇〇高校 / 〇〇大学に行けた

  • 〇〇高校 / 〇〇大学を受験するはずだった

  • 本当は偏差値〇〇くらいあった

  • 知り合いに〇〇大学の人がいる

「本当は、本当は」と実際に起きなかったこと、自分のことではないことまで「自分のことのように」話しているという傾向を感じます。

「中学に戻ってもう一度高校受験をやりなおしたい」

そんなことまで言っていた人も実際にいました。
子供や家族がいる方ですらです。

大学出たばっかりの20代ではなく、40代、50代、60代の人が言っています。偏差値に一生涯とらわれてしまっています。

このような考えは、人を測る指標であると思いこんでしまっていることと、強烈なコンプレックスから生まれてきているように思えます。
その源泉はやはり学生時代、とりわけ受験期にさかのぼると思います。
その子供にかかわる家庭や周囲の大人の影響も大きいはずです。

偏差値以外の評価軸をしっかり持たず、数字の持つ意味も本来の用途も認識せずに、偏差値至上主義的になってどこかで敗退してしまうと、社会人になっても燃え尽き症候群から抜け出せなくなります。

仕事にも身が入りませんし、人からも避けられてしまいます。
結果、心身ともに健康にすごせなくなってしまうかもしれません。


自分の失敗を子供にさせたくない、という想いまではまったく悪いことではないと思いますが、代理で「リベンジ」してもらいたい、とはならないようにしていきたいですよね。

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