見出し画像

夏を待ちきれなくて

夏には毎年、反核平和の火リレーという取り組みがある。1982年に広島で始まり、いまや全国に広がっている。広島平和公園の「平和の灯」をトーチに掲げて、街から街を走り繋ぐ、聖火ランナーのようなスタイルで、北海道においては今年で33回目となる。

実施主体は、連合加盟産別の中でも旧総評系の労組
青年部と市民団体、政党など。各県段階で実行委員会を組織し、地区毎に組織される実行委員会が現場を仕切る。7月の半ばからスタートし、8月の6日周辺に札幌での集約集会がゴールとなる。

目的はいくつかある。一つは住民アピールと世論の喚起。3.11以降の原子力発電をめぐる情勢や、北海道においては、幌延の深地層研究センターと泊原発の問題がある。
もう一つは、労組青年部の組織の強化。全市町村を巻き込んだ大規模な取り組みになるので、各地方組織の役割は大きく、準備や当日運営にかかわる人数も多い。また、「運動」として取り組むからには、一部の指導者がトップダウンで物事を決めるのではなく、新人やベテランも一緒に学習し、議論しながら成長していき、結果的に組織も強化される、という仕組み。

さて、いよいよこの運動も正念場に近いと感じている。反核反原発への是非は置いても、関心自体は高まっていると感じている。しかし、肝心の運動の実施主体がかなり危うい。

まず、地方に組織された労働者がマジでいない。だいたい、昔強かった労組、特に官公労は徹底的に叩かれ、自前の組織を維持するだけで手一杯になっている。民間労組も合理化が進み、若い人はほとんど都会に勤めていて、地方の出先は廃止か、あってもベテランか非正規労働者が配置されている。

そして、地方にいるわずかな組織労働者は人員の削減と年々増える新たな業務。自分の生活を成り立たせることで精一杯になっている。

自分がこのリレー運動に携わったのは、いまの職場に採用された2012年。新人で、なにも知らされずに走らされて不快だったのを覚えている。

2016年には労組青年部の役員になっていたので、あて職で地区実行委員長の副実行委員長、翌年には実行委員長になった。実行委員会とは名ばかりで、実行委員長と副実行委員長、事務局長を長年務めていた他産別の先輩の三人だけで運営していた。運営自体もやっつけで、住民アピールも組織強化もクソもないような、有様だった。
性格的に、筋が通ってないと嫌だったので、それまでの体制を改め、実行委員会を立ち上げ、少しずつでも意味のある運動にしていうとしていた。と、思う。

それから4年が立ち、自分は地区の実行委員会を離れていたが、後輩たちが頑張っている姿は見えていた。しかし、この間地区内で運動を支えてきた先輩達や仲間の相次ぐ退職や転勤が重なり、去年からまた運動が立ち行かなくなりつてあり、今年度から自分に事務局長のお鉢が回ってきた。

昨年秋まで二年間、地区を離れて上部団体に派遣されていた折に、他地区でリレー実行委員会の再建に携わった。一度崩れると今までどおりの運動をしていくのはかなり骨が折れる。

前回実行委員長だった時には、ガリガリやったが、継承が上手くいかなかったと反省している。ここはひとつ腰を据えて20代の現役青年たちとイチから運動を作っていきたい。  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?