ヤマノイ國
photo; Psychologists in 浦安
take'n by seno
サイエンス&テクノロジー(株)の落合さんから、xR技術(AR, VR, MR)に関する(産業応用への)技術書として、「分担でベクションのことを書いて欲しい」と、執筆依頼をもらった件を、そろそろまとめます。
以下は、ラフです。
以前に5回に分けて書いたものを
寄せ集め、教科書として不要な部分を
削ぎ落としました。
並び替えて順序も変えましたが、
あくまでも”ラフ”です。
教科書としてお金を取るに足る、
校正と個人的な考えの削除を経ます。
売りモノに仕上げてから
世の中に出てくるはずです。
ご理解とご期待をよろしく
お願い申し上げます!
いつもありがとうございます。
妹尾武治より
xR技術者のための”ベクション”の教科書
妹尾 武治 (九州大学芸術工学研究院)
村田 佳代子 (神戸学院大学)
ベクションとは、視覚誘導性自己移動感覚のことを意味する。広域な視野に、一様な運動刺激が提示されると、刺激の運動方向と反対の方向に自己身体の錯覚的な移動感覚が生じる。この錯覚のことをベクションと呼ぶ。ベクションは身近な生活の中にも頻繁に現れる。例えば、電車に乗り込んだ状態で、対面の電車が発車する様子を見ていると、自分の乗り込んでいる電車が動き始めたのではないかと思い、はっとした経験は無いだろうか。これはトレインイリュージョンと呼ばれるベクションの好例である。その他にも、自動車運転において、信号で停車している際に、隣のレーンの車(特に大きなトラックなど)が自分の車よりも先に発進した際に、自分の車が下がってしまったと思って焦った経験は無いだろうか。これもベクションの好例である。
現在では、映画やアミューズメントパークにも、ベクションのCG映像やデジタルデバイスを駆使したアトラクションが多数存在している(徳永ら、2016)。日本を代表するテーマパーク、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン内にあるアトラクション「アメージング・アドベンチャー・オブ・スパイダーマン・ザ・ライド 4K3D」や「ハリー・ポッター・アンド・ザ・フォービドゥン・ジャーニー」、東京ディズニーリゾートの「ソアリン:ファンタスティック・フライト」など、多くのアトラクションでベクションの体験を楽しむことができる。
また、家庭用テレビが大型化し、高精細化したことで、アニメーションなどのコンテンツで、ベクションを効果的に用いた作品などが多数存在している。
上記は、10年程前に妹尾らが執筆したベクションの総説論文(認知科学)の冒頭だ。この10年で技術と世界は大きく転換し、ベクションの"社会における"
定義や価値が根底から変わったと思っている。
ベクションはなぜ楽しいのか?なぜベクションなのか?その問いの価値は、22年以上一貫して同じだが、その意味を理解する者たちの数が変わってくれた。
妹尾博士論文(2009)より
我々は外界に存在するものをそのまま書き写すかのようにして捉えているのではなく、無意識のうちになんらかの解釈を行ってから、知覚を能動的に形成していると考えられる。この概念は、Helmholtzが、それら各モダリティーからの入力とそれに対する反応形成に至る過程が無意識的な推論のように行われているという仮説を唱えた無意識的推論(Helmholtz,1910)に遡る事が出来る。無意識的推論を行うことで、脳は様々な形で物理世界から逸脱した知覚世界を構成する。その一つの好例がベクションである。
我々は生まれてからこれまで、世界が動いている場面にはほとんど出会わないで生きて来た。世界が実際に動くのは、大地震に遭遇した時ぐらいだろう。そのため、我々の脳には「世界は止まっている」という大前提が刻み込まれている。ちなみに、ここでいう「世界」とは、視野の大部分を占めるものである。具体的には地面、空、山や建物などである。これら「世界」が位置を変える、すなわち「動く」のは、自らが移動している時以外、ほとんど起こりえない。
ベクションを生起させるには、視野の大部分を占める刺激を一様に運動させれば良い。ドットや縞によるオプティカルフローを大画面に提示すれば良いのだ。これは、世界を動かすことに相当する。この時、脳はつじつま合わせを始める。視覚情報として入って来るが、現実には起こりえない「世界が動いている」という情報のつじつまを合わせるには、「自分が動いている」という感覚を生起させるのが最も効率が良い。つまり「世界が動いている」という情報が間違っていないという状況を作るために、自分自身を動かしてしまうのである。こうしたつじつま合わせによる自己移動感覚としてベクションを捉えることが出来るのである。ベクションは持続的に入って来る世界が動くという視覚情報のつじつまを合わせるための錯覚なのである。
娯楽コンテンツとしてのベクションの歴史
ベクション(錯覚)は人を魅了する。その初期の作品は、もっぱらアナログなものだった。1895年“Haunted Swing Illusion”というタイトルの論文が、ウッドによって発表されている(Wood、1895)。ホーンテッド・スウィングとは、20人程度が同時に巨大なブランコ状の座席に着き、そのブランコを取り囲む家の内装を模した壁、天井、地面がぐるぐると回転するというアトラクション。つまりビックリハウスだ。最古のものは、Atlantic City’s BoardwalkのAmariah Lakeに1890年代初頭から稼働していた。
1900年にパリ万博が開催される。このパリ万博は、ベクションの博覧会と言い得るようなものであり、ベクションの歴史を語る上で外せないものである。具体的には、シネオラマ、マレオラマ、トランス・シベリアンという三つのベクションを活用したアトラクションが開発された。これらの詳細については青木卓也らによる2020年の日本バーチャルリアリティ学会論文『娯楽コンテンツとしてのベクションの歴史研究』を参照して欲しい(誰でも閲覧が可能である)。
1900年にジェームズ・スチュアート・ブラックトン(James Stuart Blackton)が「The Enchanted Drawing」という作品を初めてスタンダード・フィルムに記録したことがアニメーションの歴史における大きな一歩となり、ここから多くのアニメーションが各国で作られ始める。そうした中で、我々が見つけうる限りの現存最古のベクション・シーン(ベクションを起こしうる映像シーンのこととする)は、1915年にアメリカのEssanay Studiosから発表されたDreamy Dudシリーズの「He Resolves Not to Smoke」に見られる。月に登った主人公が、そこから地面に向かって落下する様子が描かれており、このベクション・シーンは16秒にも及んでいた。アニメ表現によるベクション・シーンの登場は、人類が体験出来る移動感覚を大幅に増進した。
ウォルト・ディズニーが監督するアニメーション作品にも、ベクション・シーンは数多く登場する。ウォルト・ディズニーが最初に立ち上げたアニメーション映画スタジオ「Laugh-O-Gram Studio」における作品にも、ベクション・シーンはしばしば見られる。特に1922年の「The Four Musicians of Bremen」には、7分程度の作品だがベクション・シーンは90秒以上登場しており、砲弾に乗っての空中移動など、非現実的な移動体験の共有をし、作品のテンポ感を向上させるような演出となっている。さらに、ディズニープロダクションの草創期の人気アニメ作品、1929年の『蒸気船ウイリー』や『Mickey’s Choo-Choo』にも、主人公ミッキーの主観視点での移動場面が描かれており、ベクションが生じうるシーンが存在する。
日本では、1917年に国内初のアニメーション映画が制作・公開され、ここから日本のアニメーションの歴史が始まることになる。現存最古の日本のベクション・シーンと考えられるものは1924年、ナカジマ活動写眞部によって制作された「教育お伽漫画 兎と亀」に見られ、亀やうさぎが走るのに合わせてカメラワークが移動し、ベクションが引き起こされる。また、製作年・作者が不詳である「浦島太郎(仮)」は1924年よりも古い時代に制作されていた可能性もあり、その場合、浦島太郎が船で海を渡るシーンが日本における最古のアニメーションによるベクション・シーンと考えられる。
1962年には、Morton Heilig によって画期的なVR没入体験が提供される。Sensoramaという装置が開発されたのである。感覚を意味する「sence」とジオラマ「giorama」から名付けられたVR体験ゲーム機であった。着座した状態で、フード状の視覚刺激提示部に頭を入れ、バイクのハンドルを握り、錯覚的な移動を体験するというゲームであった。ベクションの視覚刺激に加えて、聴覚刺激としてのエンジン音、触覚刺激としてハンドルの振動、さらに顔に前方から風が当たった。嗅覚刺激も同時に提示され、ピザ店の近くではピザの匂いがする、という多感覚を総合的に刺激するVRマシンであった。Sensoramaは時代を先取ったものであったが、装置の維持費用と初期投資の大きさの問題から、広く浸透するには至らなかった。しかし、多感覚を全て刺激するという概念は2010年代になり、再度その考え方のベクトルの重要性が理解されており、改めて、Sensoramaの先見性が注目されている。
フライト・シミュレータを一般人に体験させるコンテンツが1980年代にディズニープロダクションによって制作された。『スター・ツアーズ』というアトラクションである。『スター・ツアーズ』は、レディフュージョン社製のフライト・シミュレータを応用させたアトラクションで、1987年に、アナハイムのディズニーランドに設置され、1989年には東京ディズニーランドにも設置された。多くの一般人から人気を博し、その後10年以上にわたって人気アトラクションの一つであり続けた。著者も少年時代に、このアトラクションを好み、何度も乗車した記憶がある。この技術は、東京ディズニーシーの「ソアリン:ファンタスティック・フライト」にも見られるように、現在でも多くのアミューズメントパークにおいて、ベクションを活用したアトラクションの中で活用されている。個別に発展はあるものの、現在のベクションアトラクションはこの時代にその基本構造が完成していたと考えることが出来るだろう。
1970年代に入ると半導体価格の大幅な低下によって、ゲームセンターなどの業務用ゲーム(アーケードゲーム)の形で、一般の人々にもベクションが遊ばれるようになった。
DRIVE MOBILE(Sega, 1968)やMoto Champ(Sega, 1973)はコンピュータゲームというよりは、アナログゲームの範疇であるが、オプティカルフローを用いた最初期のゲームとして特筆すべきものである。DRIVE MOBILEは、道路が描かれたベルト状のスクリーンを水平に設置し、ローラーの回転によってベルトが奥から手前に流れることでオプティカルフローによる移動感を演出している。
1976年になると、Night driver(Atari)やFonz(Sega)といったゲームで、近くの像は遠くの像と比べて大きく描くという遠近法的な表現で、一人称に近い視点で擬似的な奥行き方向の運動感覚を表現できるようになった。
その後こういったサブカル媒体(ゲームやアニメ)は、CG(Computer Graphics)という表現技法を獲得し、さらに移動場面の表現の幅を増して行った。新しい移動方法の発明が、新しい移動体験を産み、その移動撮影によって、体験が共有された時代から、新しい移動表現(アニメーション&CG)が、実撮影不可能なほどの、新しい移動体験を提供する時代へと変革された。例えば、火山の火口や、極小の瓶の中への突入移動や、体内に飛び込むような移動場面、火星まで飛んで行くことや、とんでもなく複雑な回転移動も可能になった。ベクション表現が実体験を追い越した。
アニメーション中のベクション・シーンについては、徳永らが行った研究を紹介したい。ベクション・シーンを、表現技法(手描き、CGと手描き、CGのみ)で分類し、そのシーンで得られるベクションの主観的強度をプロットすると、1960年代から70年代においては、手描きのみの表現が圧倒的であり、かつ得られるベクション強度も弱かったことがわかる。80年代以降、CGが手描きに交えて用いられるようになり、得られるベクション強度も増大していく。2000年代以降は、CGのみの表現も多くなり、得られるベクション強度も極めて大きくなっていく様子がグラフからわかる(徳永ら, 2015 & 2016)。
4DXは、 2013年に名古屋市の中川コロナワールドに日本で初めて導入されて以来、日本でも展開を見せている。4DXを世界初導入したCJ CGVは、臨場感を演出する次世代型映画上映システムとしてさらに、「ScreenX」を2012年に開発した。ScreenXは観客の正面だけでなく、その両側面を合わせた3面に映像が投影され、視野全体に映像を提示できる上映設備であり、日本を含め世界中の映画館に拡大を見せている。また、この4DXとScreenXを掛け合わせた上映システム、「4DX with ScreenX」が2017年に開発・公開された。日本でも、2019年7月にキュープラザ池袋内のシネマコンプレックス「グランドシネマサンシャイン」に国内初導入される。視野全体への映像の提示と、触覚・嗅覚への刺激によりこれまで以上に観客は迫力ある体験型の映画を楽しめるようになった。
2020年以降、VRは主にヘッドマウントディスプレイ(HMD)を用いて行われている(Palmisano et al., 2015; Kim et al., 2015; Riecke, 2015; Keshavarz et al., 2017)。
『幼女戦記』などを制作したアニメーション監督、上村泰は2019年時のインタビューで、「間もなくVRアニメ」が登場すると言っていた。2021年秋『リョーマ! The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様』は、ファンの個人的な選好に応じて2パターンの3D CGアニメーションが制作された。そこでは同一の場面の異なる視点からの描画が試されている。空間自体を全て作り込み、キャラクターにも3Dのモデリングがなされているため、もはや観客は好きな場所から、その空間を眺めることが可能だ。これがVRアニメである。同期して、メタバースの急激な浸透によって、VR空間への興味の高まりが起こっている。
2021年に開催された東京パラリンピックの閉会式では、片翼の少女の飛行機がベクション映像のプロジェクションマッピングによって、空を飛んだ。
科学におけるベクションの歴史
ベクションに関する科学的な記述は,エルンスト・マッハ(音速の単位「マッハ」や「マッハバンド」でも知られる多才な科学者である)が1875年に桟橋から川の流れを見ているときに,川の流れとは反対方向に自己身体が動いて知覚されたという記述にまで遡れる。
天動説から地動説への発想の転換には、ベクションの概念が存在すると言う指摘もある(伊藤裕之, 2019, Personal Communication)。従って、ガリレオ以前に地動説を指摘していた、レオナルド・ダヴィンチも、ベクションの存在について知っていたとしても、なんら不思議ではない。
中国の創世神話である『太平御覧』の第二巻『三五暦記』や『淮南子』には、山や大陸が実際に移動する場面が描かれており、世界と自分との相対運動という概念は、太古からあることがわかる。李白の漢詩『渡荆门送别』においても、川、月、空、雲と自分という“世界と自分との相互の位置関係の揺らぎ“を謳っている。日本においても『古事記』の天岩戸のシーンで、神々がどっと笑うことで、天地が揺れたという表現があり、周囲を囲う大きな音が自分と世界の相対的な位置関係に影響することが示されている。おそらく人類の最初期からベクションはそこにあった。
Palmisanoら(2015)によれば、「ベクション」という表現(の源泉)が世界で初めての登場は、Fischer and Kornmüller (1930)の論文中で、下記の表現がなされている。
「移動していることの絶対的感覚、体が動いていることの感覚。我はこの感覚をA. Tshcermak (1928, 1930)の示唆に基づいて、“ベクショネン”と呼ぶこととする。」 (p. 276)(ドイツ語の原著を著者が抜粋して翻訳した)。
このベクショネンがベクションの語源となっており、その後、英語のVectionへと変遷したようである。 (Palmisano et al., 2015)。
定量的なベクションの計測,科学的なベクション実験の祖は,ブラントらが1973年にExperimental Brain Research誌上に発表した論文となる。彼らの実験は,コンピュータ制御の回転ドラムの内側に被験者を入れるというものだった。矩形波状に白黒に塗り分けられた内壁を観察させてベクションを生起させたのである。そして,その主観的印象(マグニチュード推定)や持続時間,主観的自己運動速度を計測した。
ベクションの実験では3つの指標をその強度を表すものとして採用するケースが多い。3つとは,潜時,持続時間,マグニチュード(主観的強度)である。図9に模式図を示した。被験者に課す課題として,ベクションが生じている間,応答ボタンを押し続けるというものがある。このボタン押しによって,潜時と持続時間という2つの指標が取得できる。
潜時とは,刺激提示後から一番はじめのボタン押しまでにかかった時間である。ベクションが強ければ,潜時は短くなり,ベクションがすぐに生じることが知られている。
ベクションの実験では,刺激の提示時間は,短いものでは20秒程度,長いものでは数分となる。この刺激の提示時間のうち,何秒間ボタンが押されていたか?が「持続時間」となる。すなわち,「ベクションが感じられる」としてボタン押しの報告がなされていた時間が,トータルで一体何秒間だったのかが持続時間として記録されるのである。ベクションが強ければ,ベクションが生じない脱落時間が短くなるため,結果として持続時間は長くなる。
最後の一つ、マグニチュードについて。これは、ベクションを引き起こす刺激の提示終了後に,その刺激で得られたベクションの強度に主観的に得点を与えるというものである。その得点がそのままマグニチュードとなる。なんらかの比較対象となる刺激,専門用語で言えば,「標準刺激」で得られたベクションの強度と比較して,主観的強度に点数を付けて答える場合が一般的である。これは心理学におけるマグニチュード推定法と呼ばれる方法である。そのため、この指標のことを簡易的に「マグニチュード」と表現することがある。もちろん、「主観評価」と言い換えることも可能だし、「レーティング (Rating)」と呼ばれることもある。標準刺激を用いずに,ただ主観的な強度に0から100点満点や10点満点などで点数を与えるというような場合も存在する。それらも広い意味でベクションのマグニチュード強度と呼ばれており,多用されている。
https://journals.sagepub.com/doi/epub/10.1177/2041669517742176
https://journals.sagepub.com/doi/full/10.1177/2041669518774069
Seno et al. (2017, i-Perception)とSeno et al. (2018, i-Perception)の二つの論文で、我々はベクションの数理モデル(OPVM)を構築した。実実験で得られた3指標の実際的な振る舞いをベースにし、図のようなモデルを構築した。内的なベクションの強さは、サイン波状に上下動しながら、全体として強くなって行く(図中の波線)。ベクションが知覚的に得られるのは、この波が一定の閾値よりも大きくなった時と考えることが出来る(図中緑の線)。波がはじめて閾値を越えるまでにかかった時間が潜時である。波が閾値を越えている時間の総計が持続時間であり、波が閾値を越えている領域の面積がマグニチュードに相当する。このモデルをベースにして、ベクションの3指標のシミュレーション値を1000万回の試行で求め、実データと比較した結果、非常に良い合致が得られた。ただし、ベクションを数理モデルを用いて考えるという取り組みはまだまだ少ない。
生理指標との関係
3指標以外には,身体動揺の大きさ,眼球運動の大きさや瞳孔のサイズの変化などがベクション強度を傍証するものとして検討されて来た。古くは,1974年からベクション実験の祖であるブラント達が既に眼球運動の実験でベクションとの関係性に追及している。その後も2000年代のキムとパルミザノの一連の頭部運動の研究などがある。キムによれば、ベクションの主観的強度が増加するのに先んじて特定の眼球運動が生じることが示されている.
重心動揺もベクションの客観的指標となる可能性がある.重心動揺とは、映像視聴時の体の揺れのことを指す.ロンベルク立位というまっすぐ立った状態で、ベクション映像を視聴し、その体験が体をどの程度揺らすのかを調べるのである。パルミザノらは、閉眼時と開眼時の重心移動の総軌跡長の比から、その人物が感じるベクションの主観的強度にある程度の相関があることを示している。つまり個人の重心動揺の特性からその人物が感じるベクションの強度をある程度予測できることが明らかにされているのである。
しかしながら生理指標には根本的な問題が存在する。それは、それらがベクションの強さと完全なる相関を示す訳ではないことがすでに知られているということだ。例えば,身体動揺は大きく出るのに,ベクションは生じないケースもあれば,ベクションは強いのに,体はまったく揺れないというケースも存在している。したがって,ベクションという主観世界を記述する際には,先に示した3指標のデータそれだけをもってして,ある意味で主観世界に閉じた完結した世界観を示してしまっても良いように著者は考えている。生理指標はあくまでも脇役として,ベクションの傍証程度に考えるのが良いように思う。
ベクション業界では、現在、より客観的で精度が高い指標が作れないかという挑戦がなされている。しかし実際の所、圧倒的に優れた新しい指標は作れていない。例えば、ベクションの生理指標として刺激視聴後の唾液中のストレスホルモンの量を算出すると言う試みもなされているが、やはりこれも主観的なベクションの強度と綺麗に相関する訳では無い。また、ベクションに関連する脳の活動が、近年のfMRIの研究(Wada et al.、2015; Uesaki et al.、2016)で明らかになって来ている。ここから、脳の活動の程度をベクション強度の指標にすれば良いのではないかという発案も存在する。しかし、脳活動は誰でも簡単には計測出来ない。そのため、実用段階にはまだまだ遠いのが現状である。このように、現在もより良い新しいベクションの指標は、模索が続いており今後の発展が強く求められている。
Fujiiらはフレームレート数と3指標値の関係を調べ,3指標値とモーションエナジーの関係性を考察した (Fujii et al., 2018)。
モーションエナジーとは非常にざっくり誤解を恐れずに説明すれば、脳の反応量と相関する運動の物理的主観的量である。飯田らは、Fujiiらの先行研究の測定結果を用いて,これら3指標のフレームレートに応じた振る舞いを表す一般的な数理モデルを構築した (Iida et al., 2021, VSS; 飯田ら, 2020)。それによって、人間の脳の第一視覚野の活動量と対応関係のある、ベクションの心理物理量のモデル化を実現した。
Motion energyからベクションを考える思想は、斜め効果(Oblique effect)とベクションの関係について調べたFujiiの論文にも流れている。ハイパーコラムにおける、斜め線分担当の細胞は少ない。そのため、斜めへの運動から生じるmotion energyは乏しい。これに対応して、初期視覚反応は斜め方向に感度が低いことが多い。その例にベクションも漏れなかった。
https://journals.sagepub.com/doi/full/10.1177/2041669519899108
Gurnseyらは1997年に、motion energyに乏しい運動刺激では、ベクションが起こりにくいことを報告しているし、HarrisやAshidaらも同時期に、motion energyと眼球運動の駆動、姿勢反応の駆動が相関することを報告している。
徳永らの実験で用いた、アニメ中に見られたベクションシーン。それを特徴次元の解析から、オプティカルフローを自動抽出し、動画を生成する。そうやって出来たオプティカルフローと元のアニメ動画で、生じるベクションの主観強度を我々は比較した。
この方法で作ったオプティカルフローと元動画を、マカクザルに見せ、彼らの脳細胞の反応の違いを、MTやV1と呼ばれる部位で確認、取得してあった。
だから2つの刺激の間で生じたベクション強度の差は、オプティカルフローのボトムアップ的処理以上のなんらかの脳内の余剰産物の効果を表している、僕たちはそう主張した。
NCC的アプローチ。
ベクションの多感覚性
1966年、Gibsonは自己移動感覚は感覚の全てのモダリティからの情報の統合によって生じると書いた。視覚、聴覚、体性感覚、認知、平衡感覚などによって、自己移動感は得られる。そして、それら多感覚からの情報は、脳によってハーモニーを持って統合されていると考えられる(Rieser et al., 1995)。
複数の音源から音が聞こえる場面では,それぞれの音源からの音の聞こえが変わることで,自己身体の回転や,音源間を移動する自己身体の移動感が得られる。自分から等間隔の3つ異なる場所から音が聞こえるとして、この3つの音が,回転して聞こえてくるとすれば,それは自分自身がその音の回転と反対方向に回転していることを示唆する。この状況はPCによって簡単に作ることができる。そして実際にそれを被験者に提示すると,錯覚的な自己身体の回転感覚が生じる。これを視覚とベクションの関係にならって聴覚ベクション(Auditory Vection, AIV)と呼ぶ。坂本ら(2004)は,目隠しをして座っている被験者の前方から後方に向かって(もしくは逆方向に),繰り返し移動する音を聞かせえることで前後方向の自己移動感覚,つまり前後方向の聴覚ベクションを起こすことに成功している。
Auditory Vection についての総説論文は2009年に、Aleksander Väljamäeによって書かれている。
皮膚感覚からも自己移動感は感じられる。前進すれば、風が顔や手足、胴体にあたる。前方を向いたまま後退すれば、風のあたり方は反対になり、背中に風を感じる事になる。人間は、この皮膚で感じる風から自分の移動方向を推察する事が出来る。だとすれば、この皮膚感覚からベクションが生じるのではないか? Seno et al. (2011)では、ベクション刺激観察時に、前方から羽の無い扇風機で被験者の顔に風を当てた。ベクションの強度は、拡散ドットの視覚刺激と対応する風という皮膚感覚性刺激を付与することで、風を付与しない時よりも、有意に増進した。皮膚感覚も自己移動感覚に寄与しているということだ。
https://journals.sagepub.com/doi/abs/10.1068/p7055
この研究を、玉田らはさらに発展させ、温風と常温風をそれぞれ、炎の回廊と普通の回廊のVR空間のベクション動画と合わせて提示した。その結果、VR空間の状況と主観的な合致度が高い温度において、ベクションがより効率よく起こせることがわかった。
https://journals.sagepub.com/doi/abs/10.1177/0301006620987087
村田ら(2014)は、被験者にアイマスクと耳栓をさせ、乗馬型フィットネス機具で前後左右にランダムに揺するという非常に特殊な状況下に置いた。この状況下で、風を前から被験者に向けてあてる事で、皮膚感覚性の錯覚的な自己移動感(皮膚感覚性ベクション)が起る事が報告されている。皮膚感覚性ベクションは、視覚ベクション、聴覚ベクションに比べて弱いのだが、確実に存在する。これはつまり、皮膚感覚が自己移動感にそれなりに貢献してる事の証拠でもある。同時に、視覚や聴覚に比べて、脳での統合の際に、皮膚感覚からの情報の重み付けは小さいであろう事も推察が出来る。
白井ら(2015)は、同一の被験者に視覚性ベクションと聴覚性ベクションの二つの心理実験を実施した。その結果、視覚性ベクションにおいて潜時が短い被験者は、聴覚性ベクションにおいても潜時が相対的に短くなり、同様にマグニチュードの値を大きく答える被験者は、視覚でも聴覚でも一貫して大きく答える傾向があった。このことから、視覚性ベクションがより強く生起しやすい人は、聴覚性ベクションもより強く生起しやすいということが示された。視覚性と聴覚性ベクションの生起メカニズムの間に、何らかのモダリティを超えた共通要素があることが示唆される。
Aruga, Bannai & Seno (2018)および有賀ら(2019)の実験では、嗅覚とベクションの関係について検討を行った。香り刺激の提示にインクジェット方式嗅覚ディスプレイFragrance Jet 2を用いた。これはインクタンクから香料を微小な液滴として空気中に射出する装置であった。これによって被験者に脱感作させず、常に一定強度の嗅覚刺激を提示することが可能となった。ラベンダー(Oil of Lavender)とバナナ(Isoamyl Acetate)の2種類の香料を使用した。香料は濃度が5%となるようにエタノールと精製水によって希釈した。ベクション刺激提示と同時に、嗅覚刺激を提示し、知覚されたベクション強度と、香りの主観的な強度を計測した。
http://infsoc.org/journal/vol11/IJIS_11_2_065-073.pdf
結果、香りは知覚されたベクション強度に、ほとんど影響を及ぼさなかった。一方で、ベクション刺激を提示すると、知覚される匂いの主観強度が下がることが明らかになった。つまり、ベクション知覚時には、匂いの感度が下がってしまう可能性が示唆されたのである。一見すると関係が乏しいと予想される、嗅覚とベクションの関係も全く無関係という訳ではなく、感覚間の相互作用の繋がりがしっかりと存在していることが明らかになった。
中村らは500ml缶のビール(アルコール)を15分以内に飲ませ、被験者を酔わせた。その上で、大型のプラズマディスプレイにベクションを起こす視覚刺激(拡散するドットで、オプティカルフロー刺激)を提示した。その結果、人間は酔っぱらっている時ほど、より強くベクションを感じていることがわかった。
https://journals.sagepub.com/doi/abs/10.1068/p7473
Seno, Palmisano, Riecke, & Nakamura (2014)では、ピンポン球を半分に切って、それを両目の前につけた眼鏡を作成した。この眼鏡をかけると、周りの明るさの変化には気がつけるが、視野一面が真っ白になり、具体的な物の形や色が何も見えなくなる。つまり視覚剥奪の状態を作れたのである。この視覚剥奪の状態で、数分間被験者は、実験者に手を引かれ、強制的に歩かされた。その後、ピンポン球眼鏡を外しベクション刺激をすぐ観察した。その結果、視覚剥奪直後には、感じられるベクションが弱くなることが明らかになった。
アルコールと視覚剥奪の実験は、共に、視覚情報とその処理への脳内での”重み付け”が一時的に変化した結果だと、我々は主張した。環境からの刺激を受けて、我々の脳内では、視覚からの情報の信頼度が上がったり、下がったりしてする。酔っていれば、前庭系入力の信頼度が下がる分視覚が高く重み付けられる、視覚剥奪直後は、視覚入力の重み付けが低い。そんなふうに考えた。
視覚という単一モダリティ内であっても一時的な知覚情報、感性情報の重み付けが変わるケースもあった。清水ら(2017)は、ベクション刺激を単眼で観察する条件と、両眼で観察する条件の比較を行っている。単眼観察を苦痛や努力なく実現するために、貼れる眼帯(日進医療器, B00T2FI4JI)を使用して、ベクション刺激を観察した。その結果、両眼観察条件に比べて、非利き目の単眼観察時に、ベクションが生じるまでの潜時が有意に長くなった。
映像酔い
ベクションは錯覚だが、実身体の不快感をもたらすことがあり、嘔吐などさえ起こしうる。映像酔いと呼ばれる現象だ。
近年,開発が盛んな映像コンテンツ(e.g., 一人称視点でのシューティングゲーム)では,観察中に生じるベクションの強度の高さや,映像の不規則な振動により,乗り物に乗った際に生じるような眩暈や不快感が生じることが報告されている(Lo & So, 2001).映像観察時に生じる眩暈や不快感を映像酔いと言い,映像コンテンツを楽しむことへの大きな障害となっている.多数の先行研究が,ベクションが映像酔いと関連することを指摘している(e.g., Palmisano, Bonato, Bubka, & Folder, 2007; Keshavarz, Riecke, Hettinger, & Campos, 2015; Nooij, Pretto, Oberfeld, Hecht, & Bülthoff, 2017).両者の関連性から,映像酔いは,ベクションの必要条件であるか,それとも,十分条件であるかについて,推察がなされている.この推察は,両者の相関関係をもとになされているものが多い.ただし,相関関係が,正の相関であるか,負の相関であるかについては,必ずしも研究間で一致しない(Bonato, Bubka, & Story, 2005; Palmisano et al., 2017).
強度の高いベクションは,演出効果として魅力的であると同時に,先に示した通り,映像酔いを引き起こす可能性をも合わせ持つ.したがって,魅力的な映像コンテンツを楽しむためには,ベクションに付随する映像酔いが生じにくくなるようなバーチャルリアリティ技術の開発が必要であろう.この技術は,ベクションが身近な施設や機器で生じるようになった現在において,非常に重要な課題である.LaViola Jr (2000)やPalmisano et al. (2017) ら は,ベクションと映像酔いの関連研究に基づいて,映像酔いの対策に関する提言、映像制作のガイドライン作成を行っている。
日本で1997年に起こった、ポケモンショックのように、ベクション映像がお茶の間で大規模な映像被害を起こさないように(特に感受性の高い若年層に)、その危険性の周知は大事な課題だ。
Mori ら(2018)は、ベクション刺激観察時に、左手でゴム製のハンドグリッパーを握り込む課題を被験者に課すことが、感じられるベクションを弱くすると報告し、「Grasping method」と名付けている。
この方法は,映像や機器を変えることなく,それぞれの観察者が自らの意思に基づいて,手元にあるハンドグリッパーを強く握ることで,ベクションを抑制させることができる方法である.身体的な負荷を与えることでベクションは抑制されるので、それを映像被害防止に活用できるかもしれない。
VRコンテンツとしてのベクション
ベクションそれ自体が、VRコンテンツであると認識している人がいるが、僕は感覚的にそれは違うと思っている。それでも、ベクションはVR(バーチャルリアリティ)と相性が良いとことは明らかだ。
バーチャルスイミング
Funatsuら (2012, Multisonsory Research)は、平泳ぎする被験者の体の運動を検出し、それに対応して動くオプテイィカルフローを被験者に提示した。当時は、まだ身体入力でVR空間を泳ぐコンテンツは稀だった。
吉永ら(2016, 日本バーチャルリアリティ学会論文誌)は、ダンボールで作られた簡易型ヘッドマウントディスプレイであるハコスコと、携帯端末の組み合わせによって、ベクション刺激に没入出来るというコンテンツを作成した。
携帯端末には、先に示した拡散するドットによるオプティカルフローが提示されており、これに視差がついた左右それぞれの刺激を左右眼に提示し分けることで、一定の奥行きをもったバーチャルな空間を見る事が出来た。
さらに、頭部や体位に合わせて、見ることが出来るドットの流れを変化させた。上を見上げれば、前方から後ろに流れるフローをしたから仰ぎ見る事が出来、左右にくるくると頭を回せば、フローの流れはそのままに、観察出来る場所もくるくると対応して変化したのである。さらに椅子から立ち上がり、歩き回れば、それに対応したオプティカルフローの変化が提示されたのである。つまり、被験者はバーチャルな空間に広がっているベクション刺激の中に没入することが出来た。
ベクション空間に没入出来る条件と、オプティカルフローが自身の体の動きに一切対応せずに、常に一定の拡散をし続けるだけの刺激の統制条件を、設定しベクション強度を比較した。従来の技術では、この統制条件のみが実現可能であったが、携帯端末の加速度検出機能を援用することで、没入型刺激の実現が可能になった。結果、頭部や体の運動を行うことで積極的にベクション刺激空間に没入出来る条件において、それが出来ない従来のベクション刺激に比べて、ずっと強いベクションが得られることがわかった。
永田ら (2016, 日本バーチャルリアリティ学会論文誌)では、性格特性としての一般没入傾向を極めてシンプルな質問紙によって算出した。
実験では、4つの項目によって、その人物のベクションに限定されない一般的な没入傾向について質問を行った。
「音楽にのめり込みやすい。」
「映画にのめり込みやすい。」
「色々なことにのめり込みやすい。」
「集中力が強いと思う。」
これらについて「全く当てはまらない」から「とても良く当てはまる」の6件法で回答を求めた。同時に、4試行ベクション実験を行い、被験者が感じたベクション強度を算出した。
その結果、持続時間とマグニチュードが一般没入傾向(4つの質問項目の得点)と、有意な正の相関を示した。つまり、ユーザ(観察者)が、物事にのめり込みやすい程、ベクションを強く感じやすくなる。
Milesらが2010年にPlos ONEにおいて報告した実験では、拡散ドット刺激と収束ドット刺激を用いて、前後のいずれかの方向にベクションを長時間誘発した。そして、その間に、自由に夢想をしてもらいその内容を事後に報告してもらった。
収束刺激で後退ベクションを感じている際には、未来に関係する夢想が37%であったのに対して、過去に関係する夢想は63%になった。一方、拡散刺激によって、前進ベクションを感じている際の夢想は、未来に関係するものが60%にものぼり、過去に関する夢想が40%に下がった。
つまり、前進ベクション時には、未来に関することを想起しやすく、後退ベクション時には、過去に関することを想起しやすいという驚きの結果になった。
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0010027712002004
Seno, Kawabe, Ito & Sunagaが2013年にCognition誌上にて報告した論文では、上下いずれかに動く、縞刺激を被験者に提示して、上昇/下降のベクションを被験者に与えた。この間に、自由に記憶想起をしてもらう。その後、想起された記憶について、それがポジ、ネガ、ニュートラルのいずれに分類されるかを本人に聞いて確認した。
その結果、全視野において縞が下方向に動き、強い上方へのベクションが起こる際に、ポジティブな記憶が想起されやすいというバイアスが確認された。
現象学的アプローチ
小松ら(2017)の実験では、ドットによる光学的流動刺激が提示されている間、なるべく率直に、かつなるべく淀みなく、心のうち(内観)を、口頭で述べるように被験者たちは教示された。刺激が40秒間提示されている間、彼らの様子(音声と後ろ姿)は終始録画記録されていた。
どのような単語が高頻度に発話されたか?1位は109回発話された「移動」。以降、73回の「点」、32回の「パターン」、22回の「スピード感」、15回の「身体」、8回の「没入感」と続いた。こういったことを被験者が知覚していたことが、発話回数から明らかに出来たと言える。
このような包括的理解こそが、現象学的アプローチで得られるデータの利点だと、小松は主張する。
自分自身が、歩く、進む、といった表現を、能動表現として捉え、刺激に吸い込まれる、押される、というような表現を受動表現としてとらえ、その数を算出した。
その結果、能動表現の方が、受動表現よりも多く、頻繁に報告されていたことがわかった。さらに、能動受動に関しては,第一試行の方が、第二試行よりも、発話数が多くなることもわかった。ここから、ベクションを感じているときは、刺激を受動的に受け取るよりも、むしろ自分自身が積極的に主体となった、能動的な歩行感や移動感が得られていたことが示唆される。
ベクションは錯覚だから、受け身な印象を持ちがちだが、
その実、積極的に自ら感じに行っている、と言えるのかもしれない。
動いているようで、動かされていて
動かされているようで、動きに行ってる
この感覚、この感性は
これまでの心理物理実験からは、一度も報告されてこなかった。
漏れていた人間の知覚特性だった。
現象学の魅力とは、この漏れのようなものを
掬い取る、包括性だ。
予定されない、予測されない、
本当の意味の発見が起こりうるところだ。
Guo
グオらの研究では、バーチャル空間の抽象度を高めれば、ベクションが弱くなる傾向を報告している。現時点で、我々の故郷は地球であり、この階層だ。それは概ねで自然だ。だから、それに近いほど、心は自然にのびのびしやすい、というのもまた事実なのだろう。
https://lucris.lub.lu.se/ws/portalfiles/portal/145897686/Fechner_Day_2022_Proceedings.pdf
Guo, X., Morimoto, Y., Seno, T., & Palmisano, S. (2022). Does the degree of abstraction in a video stimulus alter the experience of vection. In Fechner Day 2022–Proceedings of the 38th Annual Meeting of the International Society for Psychophysics (pp. 29-35).
ベクション刺激として、CGでさまざまな素材質感のトンネルを作りその内部を移動させる。すると、ベクションの駆動効率が高い素材と、低い素材があることがわかった。CGシミュレーションの世界と、今のこの階層には、しっかりとした対応がある。この前提は、CG研究者Morimotoの指導のもと、小川や佐藤らの取り組みでわかっていた。
佐藤の実験を 引用してみる
佐藤らは、ベクション刺激としてCGでトンネルを作り、被験者にその内部を移動するシミュレーション映像を提示した。一方で、トンネルの方を動かし、視点を静止させたままにするというベクション状況の動画も制作した。
https://journals.sagepub.com/doi/full/10.1177/2041669520958430
Sato, H., Morimoto, Y., Remijn, G. B., & Seno, T. (2020). Differences in Three Vection Indices (Latency, Duration, and Magnitude) Induced by “Camera-Moving” and “Object-Moving” in a Virtual Computer Graphics World, Despite Similarity in the Retinal Images. i-Perception, 11(5), 2041669520958430.
この時、トンネルの出口に球を置いたり、出口から見える外の世界にチェッカーボード柄の壁を置いたり、トンネルを透明にして、外の景色を伺えるようなCGシミュレーションを施すと、それらがほんのわずかながら、トンネルが動いているのか、それとも自分の視点が動いているのか?に対しての手がかり(CUE)として働けた。被験者はそのCUEに意識的に気づくものもいたし、気が付かないものもいたが、CUEが二つの刺激におけるベクション強度の差を生み出し、視点自体が移動していることが、より強くベクションを起こせるという結果が導かれた。
バーチャルな現象としてのベクション
ベクションをアニメで調べた徳永や見潮たち。
アニメは現実にあり、
今までのベクション刺激より
リアル(複雑)だった。
1970年台からの
古典的ベクション刺激(光学的流動)は
ドットが拡散したり、縞が横に流れるだけの映像だった。
それらは”バーチャル的”だった。
アニメは複雑(リアル)すぎて、
どの要因がベクションに効いたのかがわからない。
だから、アニメーションを簡素化して刺激にする。
この発想は、従来の視覚心理学の基礎的
王道的な方法論。
アニメと同じで、CGの進化は
それらが作りだす空間を
現実よりもリッチにしてしまい
若者は、その空間を
青き清浄の地だとみなしたり、
よりリアルだと、言い始めている。
姜らは、かつてバーチャル的だった刺激と
リアルと思われたアニメの中間的な
映像刺激をベクション刺激として制作し、
それで引き起こされるベクションを計測した。
Jiang, M., Guo, X., Seno, T., Remijn, G. B., & Nakamura, S. (2024). Examination of the Effect of the Real-Life Meaning of the Stimulus on the Self-Motion Illusion. PRESENCE: Virtual and Augmented Reality, 1-16.
運動要素を最小限に抑える試み
運動刺激を用いないというアプローチが最初に行われたのは、マストらが行った実験で、共著者としてイメージ論争で有名なコスリンのグループが関与している(Mast et al., 2001)。
ベクションをイメージで起こすというアイデアだった。
マストとコスリンらは、初め実際に回転して動くドットを被験者に提示して、その様子を詳しく記憶させた。その後、回転するドットを心の中でイメージさせた。そのイメージによって、ベクションが生じるかどうか?を検討した。
Nakamura(2013)では、2フレームの仮現運動からなる運動刺激に、グレーのブランク画面の1フレームの合計3フレームの刺激を繰り返し提示した。この3フレームは、reversed Phiと呼ばれる、錯視を起こす。繰り返し提示するだけで一方向に運動し続けて見えるのだ。運動知覚が成立するので、ベクションもきちんと生じていた。
上記解説サイトの北岡、パルミザノら(2013)の挑戦では、さらに1フレーム減らし、錯覚的な拡散運動が生じる1フレームの刺激と、グレーのブランク画像の合計2フレームの動画によってベクションを生じさせた。
https://journals.sagepub.com/doi/abs/10.1068/p7511
この発想で青木は絵本を作り、子供たちに読み聞かせた。さらに、そこからKozakiとKitaokaは、その絵本をどのような照明環境で読み聞かせたら最も楽しくなるのか?を調べた。
https://journals.sagepub.com/doi/full/10.1177/20416695231223444
Kozaki, T., Seno, T., & Kitaoka, A. (2024). Illusory motion and vection induced by a printed static image under flickering ambient light at rates up to 100 Hz. i-Perception, 15(1), 20416695231223444.
聴覚駆動性ベクションにおいて、明示的な運動刺激では無く、暗示的な運動刺激でベクションを駆動する試みが存在する。
PalmisanoとRieckeの二つのグループが共同で行った2017年の研究論文では、錯覚的に無限にピッチが上昇する音、ないしは、無限にピッチが下降する音を被験者に提示した。この錯覚的な音刺激は、シェパード音と呼ばれるもので、日本でもNTTの錯覚ラボのおかげもあり、広く周知されてきたものだった。
実際の上下の自己移動時に、ピッチ上昇音や下降音は発生しない。だから、シェパード音は、錯聴の部類に入る。
しかし、実際にこういった音を持続的に聞いていると、上昇ピッチで上昇ベクションが、下降ピッチで下降ベクションが生じた。
錯視を映像作品に用いる試み
上記の小山と石井達郎准教授らの作品には、プルフリッヒ効果という錯視効果が用いられている。
ベクションの定義の変化
多くの人にとってベクションという言葉が”今どこにあるのか”。そしてこれからどうなるのか。それについて再度、歴史を振り返りながら記したい。この話は、既に上リンクの漫画表現で世の中に提示しているので合わせて読んでみて欲しい。
2000年台まで、ベクションは錯視の一つと考えられることが一般的であり、あくまでも視覚性のものが主として議論されて来た。しかし、聴覚を中心に複数の感覚刺激から生じる自己移動感覚についての研究も行われるようになり、ベクションという用語はより広い意味で用いられるようになる。
1973年のBrandtらの実験をはじめとする古典的なベクションの実験では、回転ドラムと呼ばれる、内側が白と黒の縞模様で貼られたドラムを回すことでベクションを誘発させた。他にも回転する家であるTumbling roomやSwinging roomも用いられた。尚、用いる回転対象物がリアルであることは、より強力な自己移動感覚を生じさせることが当時からわかっていた。
さて、自分が歩いている時や車に乗って移動している時、われわれは自分が動いているという感覚、すなわち自己移動感覚を覚える。この自己移動感は多くの単一の感覚器官による知覚ではなく、複数の感覚器官からもたらされる複合的な感覚であると考えられる(Gibson, 1966)。具体的には,自己移動を直接検出することができる前庭器官,視覚,聴覚,体性感覚,さらには認知的要因までもが自己移動感に関する情報を脳に送り,それらの情報は,脳の中で調和的に統合されている。そのため、ベクションは視覚駆動性のものに縛られない。
90年代後半から、聴覚刺激による自己移動感の研究が行われ始める。これ以降、皮膚感覚など視覚以外のモダリティにおける自己移動感覚の研究が増えた。そして「ベクション」という言葉が、錯視の枠組みには収まらなくなる。
尚、これらの議論は、玉田の解説論文にも基づいている。以下の論文も読んでみて欲しい。
パルミザノは少なくとも以下のベクションが生じうるとしている。
1. 視覚駆動性のベクション(元々の狭義のベクション)
2. 音源の移動によって生じるベクション(聴覚ベクション)
3. 風などの皮膚刺激によって生じるベクション(触覚ベクション)
4. 下肢を受動的に回転させることで生じるベクション
(関節運動感覚ベクション)
5. トレッドミル上で足踏みを繰り返すことで生じるベクション
(生体力学的ベクション)
6. 内耳・前庭系を熱、電気で刺激することで生じるベクション
(前庭感覚ベクション)
この一連のベクションの拡大によって「ベクション」という用語は「錯覚的な自己移動感」の全てをモダリティに限らずに指す言葉に変化した。
さらに、刺激を見ている人間が、実際にトレッドミルの上で歩くなど、身体を物理的に動かすような研究も増えている。この時、観察者はその状態の自己移動感覚が錯覚なのか、本当の歩行に近いリアルな移動なのか、もはや主観的な違いに意味を見出せない状況を感じることもある。もはやベクションを“錯覚”という定義に縛ることが難しくなったのだ。そのため、ベクションという言葉は現在「自己移動感覚」そのものを指す場合も出て来た。これは、論文の年号からもわかる通り、2010年台のことである。
VR空間での移動は常にベクションを生じさせうる。普通に考えれば、ベクション研究はこれから隆盛を迎えるように思われる。しかし一方で、VR空間内の身体に本当の意味での没入感を超えた同一視が生じれば、もはやベクションは生じないだろう。映画『マトリックス』で主人公たちは、ベクションを感じていないし、我々は日々の徒歩や車の助手席での移動時に、ベクションを感じない。圧倒的なリアリティが実現される時、VRからVの文字が外れ、ベクションの研究も終わるだろう。ベクションは、わずか100年程度の時代が生んだエアポケットのようなものに過ぎないのかもしれない。
本当にそうだろうか?このベクションの概念そのものにベクションを起こせば、全く違った道が浮かんでくる。
バーチャルからリアルへ
ベクションは錯覚的移動感覚だが、実空間における移動可能性や移動実現性が高い被験者や状況において、その主観的強度が増加する。
Shiraiらは、小学生と中学生を被験者に、大学生のベクションと彼らのベクションを比較検討した。その結果、小学生では、ベクションが大幅に強くなることがわかった(Shirai et al., 2012)。さらに、中学生でも、ベクションは大学生に比べて、有意に強くなることがわかった(Shirai, Imura, et al., 2014)。
https://journals.sagepub.com/doi/full/10.1177/2041669518761191
反対にHaibach, Slobounov & Newell (2009)によれば、18−20歳の被験者グループに対して、70-79歳の被験者グループではベクションの強度は有意に弱くなる。
Seno, Abe & Kiyokawa (2013) Multisensory Research では、20代の被験者に、左右合わせて5 kgの鉄下駄と, 5 kgのウェイトスーツを装着した状態でベクションを計測した。その結果, 有意なベクションの抑制が確認された。
実際に動けることと、バーチャルに動くことには相関がある。
森たちはそう考え、研究を進めている。
森の考えとシンクロして、福岡リハビリテーション専門学校講師の池田幸広は、“Virtual Heidi Project” を展開中だ。
『アルプスの少女ハイジ』では、身体的に回復し歩行が可能な少女クララは、精神的な歩行への恐怖から、実際の歩行行動が不能だった。主人公ハイジは、心を励ます形でクララに歩行という実動を促し、成功させた。このハイジの励ましを、ベクションを用いて錯覚としての歩行行動の成功体験として与える。それが彼のプロジェクトの目標だ。
http://journal.vrsj.org/16-1/s31-33.pdf
世界の方ではなく「自分」、つまり地球が動いていると発想を転換させたガリレオは、地球規模のベクションに気がついた人物だったと言える。地動説の提唱は人間の特権、つまり世界の中心に地球があるという考えを否定したために、人々はなかなか受け入れなかった。ベクションは、自分が動いているのか?それとも世界が動いているのか?このことに対して、表層的な疑問以上のことを教えてくれる。
能動と受動の反転。それがベクションというヒントであり、それは、J.J. Gibsonの生態学的視覚論が導いた、光学的流動の概念と同一だと主張したい。自分で選んだように思っていても、その実、環境との相互作用で止むに止まれずに全ての行動、選択は必然的になされているのかもしれない。
2023年、フランスのグルノーブル・アルプ大のグループは、脳に直接電極を入れ、電気刺激によってベクションの強度を修飾する技術を実現し、bioRixiv誌上で発表した。
ベクションは感覚、知覚にとどまらないようだ。これからベクションは、五感を捨てる形のバーチャル、つまり一才空ということばの定義を獲得するだろう。
仏教の教えの中に、「非風非幡」という禅語がある。幡がはためく時、動いているのは、幡(自由意志)か、風(外界刺激)か?と言う議論に対して、六祖慧能法師は、動きを感じるのは観察者の心であると答える。
風と幡の関係は相互回帰なやりとりであり、風がなければ幡の動きはないが、同時に幡は風そのものの動きとも異なる。
東洋の思想、主客合一。野村幸正(2007)は,「西洋では伝統的に自己とそれに対峙する世界を分離して捉える主客分離を是とし、一方、東洋では自己と世界の合一を目指してきたのである。」と東西を比較している。
ベクションの言葉の定義の変化を見ていく限り,主客分離の状態では人の体験(すなわちベクションそのもの)を捉えきることはできない.
ベクションの二項対立構造は「動く」と「動かされる」によって形作られる.
主に物理的な素朴現実空間での移動として捉えられてきた「動く」と,仮想現実空間での移動と捉えられてきた「動かされる」。
この”動かされる”がベクションとして呼称されてきた。
「自己の身体運動の錯視」。それがベクションだった。
だが、言葉は変わる。ベクションが「視覚を介した自己運動体験」から「意識的かつ主観的な自己運動体験」という解釈になることで、唯識的世界観、つまり、主客合一的感性が理解されつつある。
そして何より、ベクションという移動”感覚”自体が主観世界に閉じられ,
相互主観性が無い以上,現段階の科学技術で各人の中で起こった主客合一的気持ちの否定は不可能だ。
素朴現実空間と仮想現実空間が同質であるという感性を
もった、次の時代のデジタルネイティブ達は、
新たな心理学に挑戦したいと考えてくれるかもしれない。
西洋でもギブソン(2008) は生態心理学の分野から、アフォーダンスの考え方を提唱し,意志と行為は本来不可分であることを示していた。その思想の価値を拾っていたのは、小松英海を代表に慶應心理学の学派であった。
最後に重要なことがもう一つある。メタバースはギリシャ語で「超越」「高次元」を意味する“meta”と,「宇宙」や「万物」「世界」を意味する“universe” が合わせた言葉で、SF 作家ニール・スティーヴンスンによって作られた。この言葉の定義には揺らぎがあるが,様々な定義の中で共通している要素が「同時接続性」だ。つまり、メタバースには社会性が想定されている。
ベクションは個人を超えて、社会との関連がこれから高まっていく。個人幸福の実現は全体幸福をなさねばあり得ないと宮沢賢治は予言しているが、ベクションの理解は社会全体の中で捉えねばならない。
これから、日本や科学のコミュニティがどのような形でベクションから感覚を剥奪できるかに、注目が集まって行く。
”引用文献” しっかり作ります!!