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今となっては、気に入ってるかも

天然ボケって、まだ死語ではないんでしょうか。


昔から天然ボケと言われて大人になりました。
でも若い頃、特に10~20代はそれが嫌でした。
私はもっとしっかりした人間になりたい、いや、しっかりしてるんですけど!
ちょっと勘違いしただけ。ちょっとハプニングに遭遇しただけ、みんなと同じようにちゃんと考えて生きている、と思っていたんですね。
ハプニングって何かって言われると、咄嗟に出ないところがまた気が利かないわ。まあ、みんなと同じように使っている道具が私のだけ突然壊れるとか、そういう感じですね。
聞き間違いとか人違いとか、普通じゃない勘違いとか、とんでもない方向音痴とか、人の話を聞いていないとか、質問に対する答えがおかしいとか、笑いのツボが理解できないとか、ぼんやりしすぎていて怖いとか、そういうことをよく言われました。


プライベートでは許される場面もありますが、あからさまに嫌われることもあります。それはだいたい、できる人が「なんでこんな間抜けなやつが私と対等にいるんだ。相手をするのが面倒だ」と大袈裟に言えばそんな雰囲気です。自分から見ればイライラするのに、たまに面白いと言われて「あいつならできなくても仕方ない」と思われている。それで沸々とするんだそうです。
でも、私はそんなあなた達が羨ましいのです。


若いときは稀に得するこんなキャラも、大人になればなるほどいらなくなります。
ちゃんとしたいです。いや、しているつもりなので何とかなりませんかね。
特に親同士のおつきあいでは気を遣っています。普通だと思われていたい。ちょっと見くびられるような気がしてしまうのです。経験上。


そういう性質を子供には隠していたつもりなんですけど、先日我が子が言いました。

「ねえ、ママ。天然ボケって言われたことある?」

「うーん、何回かあるけど(大嘘。出会う人の9割に言われてきた)天然って何なのかわからんよね」

「天然の人って、それがわからないらしいよ」

「・・・・・・・・・。」

なるほどね。


でも、あの頃の友達はみんな笑ってくれました。意味わからんけど最高って。そうか。最高なときもあるんだ。


自分では嫌だと思い続けていたけど、悪くないかもと思う。
ちょっとだけ。


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