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せんのみなとコーディネーター一覧

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せんのみなとのコーディネーターをご紹介しております🎗️どうぞごゆっくりご笑覧くださいませ♪
運営しているクリエイター

#キャリアツーリズム

絶対的貧困からはじまる、僕の人生地図

はじめましての方も、いつもご覧いただきありがとうございますの方も、こんにちは。せんのみなとの長嶺です。 千人、万人の人が人生の大海を楽しむために集う港「せんのみなと」は2024年、自分たちの船を大きくすることを目標に、日々活動しています。その目標に対して、まずは「働くを通して、今までの自分をよりアップデートしたい」と考える人が挑戦できる思考、環境をつくっています。(プログラム開発も着々と進めていますので、後日お知らせさせてください📤) 2024年の挑戦に向けて…まずはせんの

輝く星座の探求~私の挑戦と成長物語

自己紹介文章 【美術への道】 時折、足手まといになる私を置いて遊びに出かけた兄たちを恨みながら(笑)母から買ってもらった自由帳とクレヨンで空想の世界を描くのも好きでした。 ある時母が私の絵を見て、色の使い方をたいそう褒めてくれました。 ますます絵を描くことが好きになった私は時間があると絵ばかり描いていました。 中学時代からデッサンを学び始め、美術科のある高校へ進学。 部活動では陶芸部に入部し副部長を勤めました。 【箱庭と哲学の出会い】 道外の美術大学を目標にし

10年かかって好きなことを好きと言えるようになった

皆さんの自己紹介リレー、楽しく読ませていただいていたので自分も書くことになりどきどきです。 少しお付き合いいただけると嬉しいです。 <自由人の多い環境での学生生活> 私は、中高大とエスカレーター制の学校に通っていました。 小学生の頃、高校受験に苦しむ姉を見て、高校受験よりライバルが少なそうだと思い中学受験することを即決。近所の学校を受けるつもりでいたのですが、偶然知った学校に惹かれてその学校を受験しました。 その学校は自己推薦という、自分の特技を自分でアピールする変わっ

昔の自分は嫌いでした。

「こんにちは!」けんてぃ―です。 2023年の6月頃に、せんのみなと活動を知り、 その後ご縁があって、せんのみなと、コーディネーターの方々と一緒に キャリアを前に進めるためのプログラムを開発しております。 自己紹介を書くにあたって、 人生の節目だった出来事を思い返していました。 その決断が、正解だったのか、もっと他の選択肢があったのか、 今となっては妄想の域を超えません。 ただ、その決断を自分の意思で行ってきたからこそ、 今の自分があり、自分でキャリアを切り開こうと でき

文化とキャリアが交わるところ

コーディネーターのダコスタ 枝理子です。 キャリアの変遷を振り返ると ・短期的・長期的視点 ・自分の内なる声を聞く ・他者と対話する このことが鍵になって歩んできたと思います。 私は長崎の佐世保で生まれて、長崎市で育ちました。 小学校からは山と谷の先にきらきらと海が見えて、 今でもその景色をはっきりと覚えています。 キャリアツーリズムの中で、幼少期で覚えている風景の 対話をしたとき、私はこの景色が浮かんできました。 小学校には、海外からビジターが来て 授業に来てくれたり、

なんにも持ってなかった文系女子がなぜか中年個人事業主になってみた。

こんにちは。熊本県熊本市出身・在住のオンジョウです。 既に登場しているメンバーと同じく「株式会社せんのみなと」が提供する「キャリアツーリズム®福岡」のコーディネーターをしています。 それでは、しばらく私のお話におつきあいください。 3世帯7人家族で過ごす幼少期今では珍しい7人家族という大所帯で育った私は、「人見知り」「空想好き」という少女に育ちました。小4まではかけっこが得意でした(大体1位。ただし今では見る影なし)。 4歳からピアノを習い、小学校では吹奏楽部に入部しフ