日本ケンタッキー社の歴史
今回は、日本ケンタッキー社の歴史について解説します。
1970年7月、 三菱商事株式会社とKFCコーポレーションの出資により日本ケンタッキー・フライド・チキン株式会社が設立されました。三菱商事の社員だった富田昭平(とみた しょうへい)さんが、初代責任者に選ばれました。
富田昭平(とみた しょうへい)さんは、当時日本では珍しかった商業学校『東京商科大学』を繰り上げ卒業するほど優秀な学生で、しかも 太平洋戦争末期、中国軍はアメリカからの支援物資が豊富にあり強大化していたが、日本軍幹部は中国軍をナメていたので、中国軍の反撃を鎮めるために小規模な軍隊しか派遣せず苦戦を強いられ、混乱していた中国で、日本兵として従軍していたので、根性もありました。
しかし日本が降伏し戦争が終わると、1945年に日本軍が解体され、職がなくなってしまったので、富田さんは石油販売社 三陸油脂で働きはじめました。すると、同社の専務 二村謙三さん(資源開発への投資で主に儲けようとしていた三菱商事からスカウトされ、後に三菱商事副社長にまで上り詰める人物)に「仕事の覚えの速さ」を買われ、富田さんは三菱商事に入社できることになりました。
三菱商事に入社した富田さんは、食用油の販売部のリーダーを務めていましたが、1970年3月 アメリカのフライドチキンチェーン KFCコーポレーションが販路を広げようと日本に上陸してくると、三菱商事経営陣が「ファーストフードはこれから儲かりそうだから、KFC社と共同経営して儲けよう」と考えたので、1970年7月から富田さんはKFCの日本事業の責任者となるよう三菱商事から命じられました。
太平洋戦争から復活した日本やヨーロッパ諸国が、アメリカに大規模な輸出を行うことにより 外貨を稼ぎ、そのお金で価値の安定した金を買い占めるようになったので、金の価格が高騰しました。そのため、アメリカ政府が金を保有できなくなり、米ドルは信用を失い価値が暴落しました。米ドルの価値が暴落すると、アメリカは海外からモノを輸入しにくくなり経済が悪化します。1971年8月15日、アメリカ大統領 ニクソンが、
『これでは、アメリカがつぶれてしまう。日本やヨーロッパがアメリカに大量輸出して外貨を稼ぎ そのお金で金を買い占める、こちらを食い止めるために、輸入品に10%の関税をかけ、各国がアメリカに輸出しにくくします』
と宣言し実行しました(ニクソン=ショック)。
こちらにより、アメリカに輸出して儲け、そのカネで設備投資しもっと良いものを作って輸出しまた儲ける という形で高度経済成長してきた日本企業は儲からなくなりました。しかし、良いモノを作り続け すでにブランド化されていた日本製品は、1972年の国際収支が60億ドルの黒字となったほど、相変わらず外国で売れ続けたので、景気が一気に悪化するということはありませんでした。
そのため、1970年11月に1店舗目をオープンするものの日本ケンタッキー社は日本の景気が少し悪い中、あまり安い値段でフライドチキンを提供できなかったので、売上げがあがりませんでした。しかし、1号店の店長 大河原さんがクリスマス特別メニューを出す・店長自らがサンタクロースの仮装をして近くで開かれるパーティに参加するなど工夫をしたため、売れやすくなりました。
1990年8月、日本ケンタッキー社は東証2部に上場しました。
店長 大河原さんのアイデアで売上げ・利益が上がり倒産の危機を免れた日本ケンタッキー社は、1970年12月には、経済の活発な地を支配することにこだわっていた織田信長の直轄地となっていたほど、昔から商業が盛んだったが、戦後の日本の大量輸出の波に乗り 日本の製品を海外に販売している内に大もうけしたため、地方から人口が流入して人口が増え、世帯数が1965年の38495から51785までふくれあがった平野区に出店しました。
また平野区には、1964年に大阪市内を南北に走る道路 あびこ筋が建設されていたため、大阪市中からの来客が予想されていました。
こちらへ出店したのは正解だったようで、平野区の店舗はその後 何度も年間売上げが日本全国のケンタッキー店の中で上位に輝き、売上げ優秀店と呼ばれていたそうです。
売上げが上がり、多くの鶏肉が消費されるようになったので、日本ケンタッキー社は1974年から「鶏に感謝しよう。日本ケンタッキー社幹部みんなで集まってお祈りをして、結束を固めよう」という意図で、神社で毎年 チキン感謝祭を行うようになりました。こちらは、同社の恒例行事になっているそうです。
1985年9月に各国首脳がニューヨークに集まり、ドル高で輸出がしにくくなり「双子の赤字(莫大な貿易赤字と財政赤字)」をはらむ事となったアメリカを助けるため、為替操作をすることにより各国の通貨を一律10~12%幅で切り上げる というプラザ合意を締結したことにより、1985年8月は1ドル=240円だったのが1986年には1ドル=190円台になるという強烈な円高が起き、日本は輸出ができなくなり、日本経済は絶望的な不況に見舞われていました。
日銀は不況を打開すべく札を刷りまくり、金融緩和を進めました。すると今度は、過剰供給されたお金で株や土地が買われまくり、これらの値段が高騰する、バブル経済が発生しました。1985年9月に12598円だった日経平均株価は、1989年12月にはほぼ3倍の38915円まで暴騰し、地価も1985年と比較して1990年には約400%上昇しました。はじめのうち銀行は、土地を担保に各企業に莫大な資金を融資していましたが、経済学者がとうてい説明できないほど地価が高騰し続けたので、「これはおかしい。地価の高騰はいつか止まり、暴落するんじゃないか」と銀行幹部が疑いはじめ、企業への融資額を減らし始めました。
このような不安の中、日本ケンタッキー社は上場しました。
日本ケンタッキー社は上場した1990年8月がバブル当時だったので、株が買われまくり1990年8月21日の出来高(売買の数量)は369万を達成しましたが、バブル経済が進むと一部の物価がバカ上がりし 多くの国民が生活できなくなると思った政府が、1990年8月、2.5%だった金利を6%まで引き上げ 固定資産税の課税も強化したため、バブルは一気に崩壊しました。そのためバブル崩壊から1ヶ月後の1990年9月の、日本ケンタッキー社の出来高は4万まで下がってしまいました。
1998年、日本ケンタッキー社はペプシコーラのKFC店内での取り扱いを終了せねばなりませんでした。
しかし、コーラなど米コカ・コーラ社の製品の販売を行うコカ・コーラボトラーズジャパン社と業務提携の契約を結ぶことに成功したため、以後はソフトドリンク類の供給をコカ・コーラボトラーズから受けられるようになりました。
日本ケンタッキー社は、米国ピザハットとフランチャイズ契約を結び、1991年5月 にピザハット事業部を新設しました。
宅配ピザチェーン ピザーラが1号店出店から10年で400店舗を出店し、また国内でのピザの市場規模が1985年 ハワイからピザ文化が持ち込まれてから大きく成長し続け、1990年に入って1400億円まで伸びたのをみた日本ケンタッキー社は、「これから伸びるのはピザだ」と考え1991年10月から、ピザのデリバリーのサービスを始めました。
これが当たり、ピザハットは順調に売上げ・利益を伸ばし、1995年には100店舗を達成しました。
1990年、株や土地の値段が高騰するバブル経済が崩壊し、それまで 値上がりする土地を担保に大金を融資し、また大胆な拡大路線をとり本拠地の兵庫(近畿)から四国にも進出し地方銀行最大手とされ、期待されていたので1989年には1985年の約5倍まで株価が高騰していた兵庫銀行がまさかの貸し倒れによる資金不足に陥り、1995年8月に、銀行として戦後初の経営破綻となりました。それまで銀行は倒産しないという神話がありましたが、兵庫銀行の倒産により、こちらが崩れました。各銀行が守りに入り、企業への融資をあまり行わなくなり経済が徐々に低迷してきた中、タイや韓国、シンガポールなどでも日本と同じようなバブル崩壊が起き株価が暴落してきたので、「アジアは危ない」と考えた投資家がアジア各国の通貨を売りまくり通貨の価値が暴落するというアジア通貨危機が起きました。通貨が暴落すると輸入ができなくなり、例えば鉄鋼の大部分を海外からの輸入に頼っているインドネシアなどはめちゃくちゃ困るので、国際通貨基金や世界銀行などはインドネシアに392億ドルの救済融資を行い、他のアジア諸国にも融資しましたが、それでも間に合わず通貨の価値は落ち続けました。同時に、アジア諸国の会社の株も投げ売りされました。アジア通貨危機の影響を受け、1998年の日経平均株価は1995年より30%ほど落ちました。
そのため、ペプシコーラを販売している日本ペプシコ社の親会社のアメリカのスナック菓子・飲料企業 ペプシコ社が「日本企業との提携を辞めよ」と命じたので、日本ケンタッキー社は日本ペプシコ社との提携を辞めざるを得なくなり、店内でペプシコーラを売れなくなりました。しかし、コーラなど米コカ・コーラ社の製品の販売を行うコカ・コーラボトラーズジャパン社は米コカ・コーラ社の指示を聞く必要のない独立した組織なので、日本ケンタッキー社と契約を結んでくれました。そのため、日本ケンタッキー社は店内でコカ・コーラを提供できるようになりました。
2011年6月、日本ケンタッキー社は全国の店舗にて、ポイントサービスPontaを利用できるようにしました。
技術の進歩により小麦が、バイオ・エタノールを作るためにも使われるようになった事・2005年末をピークに世界貿易量が徐々に少なくなってきたので、「会社に投資するのは危ないかも」と考えられ、商社や海運・製造業などに投資されていたお金が穀物に投機されるようになった事から、2006年9月頃から小麦の国際価格が高騰しはじめました。
原材料の小麦粉が値上がりしたので、日本ケンタッキー社は大人気商品 オリジナルチキンを2006年9月頃から徐々に値上げをせねばならなくなり、2007年度9ヶ月決算(2007年12月1日~2008年8月31日)の営業利益は2006年度9ヶ月決算のそちらの半分以下になってしまいました。
輸出産業が儲かっていたため、中国の実質経済成長率は2003年から2007年まで5年連続2桁成長を続けていましたが、アメリカ・ヨーロッパで相次いで金融危機が起き経済が縮小したため、輸出産業が儲からなくなり2008年の中国の実質経済成長率は9%にとどまりました。このままではヤバいと思った中国政府は、2008年11月に「4兆元(約56兆円)」規模の公共投資を行うと発表しました。
こちらの公共投資の一環で、中国政府が中国内陸部のインフラを積極的に建設したため、人件費の安い内陸部に工場がつくられ工場を動かすためにパームオイルや半導体など物資が大量に必要になったため、中国は大量に国外から輸入する必要が出てきました。日中貿易の貿易額(輸出入額の合計)は、2010年には2009年より約6兆円多く、また日米貿易の貿易額の約1.9倍にもなりました。
こちらのため日本国内の企業は儲かり、日経平均株価は1万円前後まで上がりました。しかし、2011年3月に東日本大震災が起き、津波の被害や原発事故などが影響し、震災発生の数日後 日経平均株価は8605円まで下がりました。同日の下落率は、2008年のリーマン・ショック後に次ぐ大きさだったため、社会は大混乱しました。ちなみに日経平均株価は、2013年6月に安倍首相が経済政策 アベノミクスを打ち出し、海外投資家に期待され日本株が買われるようになるまで、低迷し続けました。
そのため、日本ケンタッキー社は日本の景気が悪い中、商品お買い上げ100円毎に1ポイント(1円)がたまり、10ポイントたまれば商品購入費を安くするために使えるという、お得サービスPontaの導入を開始しました。また、2013年2月にPontaが会員数5000万人を達成したので、抽選を行い 当選者5名にオリジナルチキン5ピース券×73枚をプレゼントするキャンペーンを実施し、客足を引き止め、ケンタッキーの最大の競合とされるモスバーガーの2014年度の売上高が600億円台になってしまった中、売上高800億円台をキープしました。
2023年春から、日本ケンタッキー社はポイントサービスとして、楽天ポイントを全国の店舗で導入しました。
ケンタッキー本社と経営の考え方が合わず、本社とケンカして フランチャイズ契約料を4倍近く上げられた上、ドミノ・ピザやピザーラなど 競合がやっているような、ピザ配達の待ち時間に遊べるオリジナルアプリを開発する・スピード配達する 為の工夫を行っていなかった事によりピザハット事業は赤字続きで、日本ケンタッキー社の業績が低迷していたので、それまで日本ケンタッキー社の全株式の65.86%を保有していた三菱商事が、2015年11月 689万株を手放し、日本ケンタッキー社の親会社ではなくなりました。
三菱商事は親会社だったとき、「フライドチキンに、安い輸入鶏肉を使え」など経営に度々口を出していましたが、親会社ではなくなったので、口を出さなくなりました。
自由に意志決定できるようになった日本ケンタッキー社は、手作業でフライドチキンを作ったりおいしい鶏肉を作るために自社で鶏を育てたり、コストを気にせずフライドチキンの味を改良して、2018年3月期には営業利益を前期比5倍超の36億円に増やす目標を掲げました。こちらは残念ながら達成できませんでしたが、2019年度の営業利益は、2018年度の4.6倍の22億600万になりました。
2018年以降、安価な中国製品が国内に出回り、米国製品の売上げが減少し米国の失業率が4%より下になかなか下がらなかったため、アメリカ政府が中国から輸入される鉄鋼や自動車に追加関税をかけたり、一部の家電を輸入制限したりしたので、中国政府も負けじとアメリカから輸入される食品に高い関税をかけました。
こちらの米中貿易摩擦により、アメリカへの輸出により巨大化してきた中国経済が、2017年6.95%あった中国の経済成長率が2020年には2.24%となってしまうほど縮小し、「中国でモノをつくって売っても儲からないのではないか」と考えた投資家・銀行が、繊維製品メーカー 東レや衣料品販売会社 ファーストリテイリング(ユニクロ)・電気機器メーカー 村田製作所など、中国市場において売上げシェアの高い企業への投資を取りやめ出しました。
投資家・銀行が融資してくれず、資金が少なくなってしまったので、これらの企業が設備投資に力を入れなくなり、それらの企業と取引している会社も、売上げ・利益が減りました。
このようにして、日本全体の景気が悪くなりました。
日本ケンタッキー社はファストフード店の利用者の約6割が20代で30代、40代と年齢層が高くなるにつれ利用者数が少なくなる中珍しく、自社の店舗の顧客層の年齢が高めであるというデータを得たので、利用者のメイン層が30代・40代である「楽天ポイント」を導入することにより、景気が悪い中でも客数を増やし 2023年1~4月間の営業益は、2022年1~4月間の営業益のなんと38倍の8億円も出す事ができました。
今後 日本ケンタッキー社が、どのように世の中を変えていくのかに注目ですね。
~~~~
お疲れ様です。
貴重な時間を割き、お読みくださいましてありがとうございました。
(広告失礼します。おつまみでも買いませんか?)
あなたはアマゾン派?楽天派?
<亀田の柿の種>
<なとり チータラ>
次回は、お好み焼き店の店舗を全国展開する、鶴橋風月(つるはしふうげつ)社の歴史について解説します。
https://www.ssnp.co.jp/meat/261220/
https://reskill.nikkei.com/article/DGXKZO99108700R30C16A3XX0002/
その100円が、まあにのゼンマイを回す