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[串カツ屋] 串家物語の歴史

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まあに店主

 今回は、串カツ屋の店舗を全国展開する、串家物語の歴史について解説します。
記事を読む間に流してもらいたい乗れるBGM:
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テトリス

 
クラシック


駆けだし


両親が経営する 自宅を改造して作ったすしや丼物・中華など様々なメニューがある大衆食堂で料理や皿洗い等の手伝いをしたり、住み込みで働くスタッフと一緒に生活する内、はじめ苦手だった人付き合い・接客が得意になってきた、串家物語の創業者 藤尾政弘(ふじお まさひろ)さんは、1979年12月 大阪市梅田にキッチンバー「エスカール」の第一号店を作りました。さまざまな種類の料理を作らなくてはいけない大衆食堂を運営する自信はまだ無かったので、経営者の仕事に慣れるまで、しばらくは飲み物と簡単な料理を出すバーやカフェなど、メニュー数の少ない飲食店を運営しようと考えておられたようです。

1974年12月、大阪市北区(梅田を含む行政区)に当時はまだ珍しかった大型データセンター NTTデータ堂島ビルが建設され、システムを動かしたり施設を冷却するために 大量の電力が必要になったので、必要な電力を遠くから運ぶコストを抑えるために 大阪市に発電所を建設する必要が生じました。南港発電所や大阪発電所などの火力発電所を建設するために、ゼネコン・その下請け会社の仕事が増え、新御堂筋ができた1970年直後はドーナツ化現象(都心でオフィス街ができ 郊外で住宅街ができる現象)で大阪市北区の人口が15.4%近く減少しましたが、ゼネコンの仕事が増え雇用が増えたので、北区にはたこ焼き居酒屋やお洒落なフレンチレストランなど 仕事帰りの労働者向けの店が増えました。

以上のように1970年代の北区は労働者の街だったので、仕事帰りの労働者向けのバーは繁盛したようで、生活に余裕ができたと考えた藤尾政弘さんは1年後の1980年に、長男である英雄氏をもうけたそうです。しかし、政弘さんはその後もとどまらず、キッチンバー「エスカール」の2号店 3号店や、エスカールより落ち着いた雰囲気のパブやカフェ店舗などを次々出店し、1983年10月には店舗数10店舗、1985年3月には店舗数30店舗を達成するほどでした。毎日現場に立っていたので多忙でしたが、政弘さんは暇を見つけては長男の英雄さんに仕事の様子を見せたり、英雄さんとキャッチボールをするなど、父親としての姿もあったようです。

パンチ連打に耐える


板前のように、特に料理のプロというわけでない高齢者が笑顔で働ける店舗を作りたいと考えていた藤尾さんは、家庭料理を提供する大衆食堂「まいどおおきに食堂」を作る事にしました。
まいどおおきに食堂の目玉商品は 店内で精米し釜で炊いたアツアツご飯や卵焼きなど、家庭の主婦が作れる料理に絞りました。食堂で働く人はいつも家庭で料理を作り慣れている女性が多く だしは濃いめが良い砂糖は少なめが良いなど、味にこだわりも強いので、その辺りはガチガチに縛らず、各店の裁量に任せているようです。
藤尾さんは1988年7月、まいどおおきに食堂1号店「森町食堂」をオープンしました。ちなみに森町というのは大阪府の地名で、「まいどおおきに食堂」は以降、大阪府の摂津市にある「摂津食堂」や長野県の豊科(とよしな)にある豊科食堂など、「地名+食堂」という名前で店舗展開しているようです。地元に寄り添いたいという思いと、「チェーン店=セントラルキッチンを導入しているところが多く味がイマイチ」という先入観をもっている人も多いのでどこでも同じ店名を採用しない方が良いという配慮から、店名を「地名+食堂」にしているみたいです。2003年末頃、うどん屋「丸亀製麺」が店内のお客さんから見えるところに製麺機を据えたところウケたので、こちらを真似した藤尾社長は、まいどおおきに食堂に精米機とかまどを持ち込み客の目に付くところに配置することにしました。するとこちらがウケ、まいどおおきに食堂はファンが増え 2011年12月期末には444店舗を運営できるようになりました。

また、フジオフード社は
「2010年からだんだんと まいどおおきに食堂の商品点数を絞り込んで 特定の食材を大量に仕入れられるようにし 仕入れコストを安くしたり」、
「2011年に一部店舗で省エネガラスコート(既存の窓ガラスに特殊な樹脂膜をコーティングすることで、窓ガラスからの熱の出入りを抑え、冷暖房費の節約ができる工事)を導入したり」、
「実家の食堂を手伝ったりカフェ・バーなどさまざまな世界で料理と格闘する内、プロフェッショナルとなった藤尾社長が直々に各店舗で、長持ちさせる包丁の研ぎ方や料理の下準備にどのようなことをすべきかを詳しく教え効率を良くしたり」
と努力を続けました。

東日本大震災(2011年3月発生)で日本経済が期待されなくなり、円が売られて円安になるかと思いきや、日本の保険会社が保険金を支払うために大量の円が必要となり 円の需要が増すので、これから円高になるに違いないと考えた世界の投機家が「円を買って値段が上がった(円高になった)ところで売ると儲かる」と考えて円を買いまくったので、震災直後円が急騰しました。
絶望的なユーロ安によりヨーロッパ経済がガタガタになりその経済危機が世界中に波及した欧州債務危機(2009年末から)の影響でユーロを買っていた投資家が、ユーロの代わりに、ヨーロッパと経済関係が薄いと考えられた日本(日本は2000年代はじめから主にアメリカ・中国・韓国と貿易しており、2010年時点で、日本-EU貿易額は日本の輸出入総額の10.5%しか占めていない)の通貨を買うようになったので、「2011年4月:1ドル=約85円」「2011年5月:1ドル=約80円」「2011年8月:1ドル=約77円」「2011年10月:1ドル=約76円」と円高が進み、貿易大国である日本では景気が悪くなり、個人消費も落ち込みました。日本人の貯蓄率(所得に占める貯蓄の大きさ)は、中国の景気刺激策(公共事業)などによりアジア経済が回復し輸出が増え儲かった2010年頃には少し上がりましたが、以降減少し続けました。2011年は、飲食店にとっては厳しい時代でした。
そのような中でも、フジオフード社は「2010年12月期:6.0%」「2011年12月期:6.0%」と営業利益率を減らすことなく、同社のまいどおおきに食堂事業の売上高(直営部門)を「2010年12月期:80.4億円」「2011年12月期:83.6億円」と増やすことが出来ました。

さらに1997年8月に藤尾さんは、串家物語1号店「堂山店」をオープンしました。当時から串家物語は、客が数十種類ある具材をカウンターから取ってきて テーブル上のフライヤーで揚げて食べるという、画期的な串カツ食べ放題を提供していたようです。
本来、テーブル上に熱した油があると、少しでも水が入ったら油がはねて事故の原因になるので、串家物語は 特に子連れ夫婦は心配で入れない店でした。しかし、長い年月をかけて業者と共同開発を進めたり、あっさりとした軽い風味のキャノーラ油と 比較的劣化しにくいパーム油(食用油は劣化すると粘度が上昇し、加熱するといきなり突沸して油ハネしやすくなる)などを様々な割合にブレンドし、試行錯誤して「美味しく揚がり油ハネも起きにくい」食用油を発明した結果、2010年代には串家物語はファミリー層に人気となり、ファミリー客の多いショッピングセンター内に多数店舗を出店することができました。しかも、2015-2016年にはショッピングセンター内の好調業種で飲食店がトップとなるほどだったので、ショッピングセンターに多数店舗を出していた串家物語店舗も流行りました。
串家物語は、2011年7月に子供が大好きなチーズドーナツ串やフルーツサラダ・各種デザートなどをメニューに加えたところ大盛況となり、2012年6月に家族連れのお父さん客を対象にビールを1杯プレゼントするという「父の日キャンペーン」を行ったところウケたこともあり、串家物語はファンを増やし、2012年12月期に串家物語事業は57.8億円の売上高(直営部門)を出し、フジオフード社の売上合計の25.3%を占め、同社が行っている全事業の中で 当時一番儲かっていたまいどおおきに食堂事業の売上高(直営部門)の66.7%を占めるなど、串家物語は同社の柱となりました。
そしてついに、2019年1月にフジオフード社は東証1部へ上場し、東証1部の市場が廃止される2022年4月まで上場を維持することができました。

もしフジオフード社が「美味しく揚げることができかつ油ハネしにくい」串カツ用の油を開発しなかったとしたら、同社は串家物語事業でファンを増やすことが出来ず、同社は
[1年以上 債務超過(負債合計が資産合計を超える状態)が続くと市場第一部から第二部に指定替えになる(2018年11月時点での指定替え規準)]
東証一部に上場を維持する事はできなかったかも知れません。

2010年代末は安く美味しい商品を売るコンビニエンスストアが台頭してきたので外食企業の運営が厳しくなったというのと、2018年の夏に関西を襲った台風21号の影響で破損した店舗が出たため修理コストがかかり、2018年12月期の同社の純利益は前年同期より35%も減った9.1億円になりました。
その上、2019年10月から消費税が増税されたため売上高が想定より伸びず、2019年12月期から同社の純利益は1.0億円の赤字になりました。
2020年はじめからコロナ禍が始まり 外食企業にとって、特に主力の「店舗で1品ずつ何を食べるか選ぶのが楽しいまいどおおきに食堂」や「店舗で何を食べるか具材を選ぶのが楽しい串家物語」でテイクアウト・デリバリーを進めることができなかったフジオフード社にとって地獄となってしまったため、「2019年12月期:1.0億円」「2020年12月:50.0億円」と一気に同社の純利益の赤字が拡大してしまいました。
串家物語事業で稼ぐことができなければ、フジオフード社の純利益はもっと絶望的に下がり、どこかで債務超過していてもおかしくはないです。

その後


日本はパン粉の原料となる小麦をカナダ・アメリカから輸入しています(2022年4月-2023年4月時点)。2021年夏はアメリカ・カナダで最高気温が観測され、北米の気圧が北極圏より低くなりすぎ、夏が終わると北極圏からの寒気が北米に流れ込んだので、気温の変化が激しくなりアメリカ・カナダの小麦生産量が落ちました。また、2021-2022年はウクライナ情勢の影響で海上運賃も高くなりました。
そのため、2022年の輸入小麦の政府売渡価格(日本政府は、カナダ産ウェスタン・レッド・スプリングやアメリカ産ダーク・ノーザン・スプリングなどいくつかの銘柄の輸入小麦を買い付け、国内の製粉会社に売り渡している)は2021年のそちらより40%ほど高くなってしまいました。このように、日本国内では小麦価格が途方もなく上がってしまいました。

このように、小麦生産を海外からの輸入に頼る日本では世界の情勢次第で小麦価格が高騰しやすく、国内だけに店舗を構えていると原材料高で経営難になりやすいため、フジオフード社経営陣は、日本だけではなく海外にも進出しようと、上海にメニュー数の多いまいどおおきに食堂の店舗をつくって何のメニューが人気なのかを観察したり、くし揚げ食べ放題「串家物語」の店舗を運営させるために香港の企業を買収して子会社にしたりと企業努力を重ねていました。2010年時点では、2015年までに中国に「串家物語」を100店舗つくる計画を掲げていたフジオフード社でしたが、海外進出はそう簡単ではありませんでした。
「店舗に安全な食材を供給するための現地企業との契約が上手くいかなかった」り、
「2010年代、全国からの膨大な寄付金でインフラを整えたり、日立製作所・ヤマハ発動機・三菱自動車などの大手企業が次々工場を作ったことにより、中国の湖南省や四川省などの内陸部が経済成長し雇用が増えたので、湖南省や四川省の人々がわざわざ上海・香港に出稼ぎに行かなくても良くなり、上海・香港の店舗で働いてくれる人が集まらず人手不足の問題に直面した」り
と、様々な問題が起きたので海外進出が上手くいかず、2022年になっても「串家物語」店舗は中国を含む海外に1店舗もないという状態でした。

店舗が全て国内にあったので、フジオフード社の串家物語事業は国内の小麦価格上昇の影響を大きく受けてしまい経営難となりましたが
[2022年10月の国内飲食店全体の売上高合計が2019年10月の105.5%になるなど、コロナ禍がそろそろ明けてきたので客数が回復してきた]のと
[2022年5月2日から同年7月31日までの間にキャンペーンにエントリーした上で、串家物語店舗で2回以上食事をすると、食事に使った金額200円ごとに楽天ポイントを1ポイントもらえる(結構太っ腹)というキャンペーンをしたので、客が使う金額が増えた
(コロナ禍の影響で 通販サイト楽天市場を利用する人が増え、貯まりやすくてお得な楽天ポイントを使う人も増えたので、楽天ポイントの累計発行ポイント数は「2016年:約1兆ポイント」「2019年(コロナ直前):約1.5兆ポイント」「2022年:3兆ポイント以上」と、コロナ禍が始まってからとんでもなく増えてきました。フジオフード社経営陣は楽天ポイントとうまくコラボすれば、売上を増やすことが出来ると考えたのでした)]
ので、串家物語事業の売上高(直営部門)は「2021年12月期:59.3億円」「2022年12月期:69.4億円」にまで伸びました。ちなみにフジオフード社のもう一つの大きな柱であるまいどおおきに食堂事業の売上高(直営部門)は「2021年12月期:63.3億円」「2022年12月期:46.3億円」と減ってしまいました。コロナ禍が始まってから同社の売上高は「2020年12月期:268.1億円」「2021年12月期:254.5億円」と減ってしまいましたが、「2022年12月期:265.3億円」と2022年に入って回復してきました。また、同社の営業利益の赤字は「2021年12月期:-33.4億円」「2022年12月期:-18.9億円」と縮小していますが、これらの好況は、串家物語事業の売上高が伸びなければ実現しなかったかも知れません。

アメリカに本部を置く世界最大手の格付け機関S&Pが、2022年3月にロシアの自国通貨建て・外貨建て長期債格付けを格下げしました。こちらによりロシアは、国債を買ってもらいルーブルの価値を上げて輸入を容易にする事が難しくなりました。虎の子の原油を売って外貨を得ても、ルーブル安になってしまえば輸入があまりできずもったいないので、プーチン大統領は今原油を売っても無駄だと考え、ロシアの原油輸出を減少させました。2022年度、ロシアは日本への原油輸出量を、2021年度より80.5%も減らしました。
串家物語は2022年7月より、ロシアの原油輸出減少によるガソリン価格高騰(物流コストの上昇)や円安進行による原材料の価格高騰を受け、商品価格を値上げせざるを得なくなりました。

その他にも串家物語は、2022年9月からサツマイモや甘栗やかぼちゃなど秋の食材を使った串やデザート・カボチャ味のチョコレートファウンテン(チョコレートを溶かして噴水のように流す装置。串に刺したデザートを流れに当てると、そのデザートの周囲にチョコレートをコーティングする事ができる)などを揃えた「いもくりなんきんフェア」を行って客足を引き止めたり、
毎年 12月に開催しており、ほんのり苺風味のチョコレートファウンテンを見ると苺好きはたまらないと人気の「いちご狩りフェア」を2022年年末にも開催したり、
韓国でフライドチキンに付けて食べると美味しいとSNSで話題の「ケチャップやコチュジャン、生クリームなどを混ぜて作る甘酸っぱいロゼソース」や「食べ放題の串カツでお腹がいっぱい・口の中が脂っこくなった後にうれしいサッパリお茶漬け」など、新メニューを開発・追加して客を飽きさせない工夫を真面目に続けました。
商品を値上げしたが、客足を途絶えさせない努力をした結果、串家物語事業は2023年12月期に74.9億円の売上高(直営部門)を上げることができ、こちらはフジオフード社の売上高合計の25.2%に当たります。フジオフード社は2023年12月期の決算で3.9億円の営業利益を出し、2020年12月期の通期決算から3回連続で続いていた赤字に、終止符を打つことができました。

今後 フジオフード社が、どのように世の中を変えていくのかに注目ですね。

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お疲れ様です。
貴重な時間を割き、お読みくださいましてありがとうございました。

次回は、回転寿司屋を全国展開する、あきんどスシローの歴史について解説します。ちなみに、スシローの歴史の解説記事は2回目となります。
お楽しみに


まあに店主

サムネイル内で使った画像の引用元:
https://www.kushi-ya.com/

https://www.kushi-ya.com/news/2022/07/

https://www.fujiofood.com/fc/company/message.html

まあに社の業績:

もう一品いかがですか?


その100円が、まあにのゼンマイを回す