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[ハンバーガーショップ「MOS BURGER」]モスフードサービスの歴史

 今回は、ハンバーガーショップ「MOS BURGER」店舗の経営で有名な、モスフードサービスの歴史について解説します。

 1972年3月、創業者の櫻田慧(さくらだ さとし)さんは、東京の駅前の名店街の地下にわずか2.8坪のハンバーガー店をオープンしました。
創業者の櫻田慧(さくらだ さとし)さんは起業前、1960年に大学を卒業してから1965年まで、証券会社につとめ営業の仕事をしていたので、度々 アメリカの支店に行っており、忙しいのでハンバーガーを朝食によく食べていました。そのとき慧(さとし)さんは、ハンバーガーは1940年代まで アメリカで広く食べられていた、スパム(肉の缶詰)と野菜を別々に食べる食事よりも手軽に食べられ、しっかりカロリーも取れるので、アメリカの経済発展と共に増加した、忙しい労働者に人気があると知りました。
(1957年に、ソ連が人類初の人工衛星打ち上げに成功した スプートニク・ショックをきっかけに、ソ連とアメリカの間で科学技術競争が起き、アメリカ政府が国家あげて新技術開発に力を入れたので、そちらによりアメリカの科学技術が大きく発展しました。そちらに伴い質の高い航空機やコンピュータなどを大量生産できるようになり、1960年には国民総生産が5000億ドルを超え 世界第一位に躍り出るほどアメリカの生産力も上がり、そちらと共に労働者の数も増えました)
そのため慧(さとし)さんは、輸出に有利な円安だったので各企業がこぞって衣類や鉄製品など輸出製品の生産を開始したことや、1960年から国策で高速道路や新幹線、地下鉄などインフラ整備が進められたことにより、高度経済成長を迎えた日本でも、アメリカと同様に 忙しい労働者が増加し、ハンバーガーが人気になるだろう と思い、ハンバーガーの店を作ったそうです。開店初日は物珍しさもあり、売れ行きが好調でしたが、3日目には急落しました。しかし、めげずに日本人の嗜好に合ったソースの研究・開発をつづけたことにより、店は再び繁盛しました。

 1972年7月、櫻田さんは会社を株式会社化し、会社の規模を大きくすることができました。モスバーガー第一号店は東京でしたが、店舗数を増やし、沖縄や四国にも出店し、1979年には100店舗目に到達しました。

 1986年3月、モスバーガー社は、ドライブスルー店「牧港店」を沖縄県でオープンしました。
1985年 日米間で、ドル高で輸出があまり出来なくて困っているアメリカ政府を助けるため、為替を操作してむりやり円高ドル安にする条約 プラザ合意が結ばれました。円高で、日本からの輸出がしづらくなり、日本の高度経済成長を支えてきた工場や商社が儲からなくなったので、国内景気は低迷してしまいました。なんとか景気を良くしようと、日本銀行は低金利政策を継続し、企業が銀行からお金を借りやすくしました。低金利政策が続けられ、企業がじゃんじゃんお金を借りまくるので 日銀はお金を沢山 発行しなくてはいけなくなり、結果 市場にお金があふれ、そのお金で土地や株を買う人が増えて それらの値段がめちゃくちゃ上がりました。1986年4月には、東京の土地が53%近く値上がりし、1987年4月には東京の土地が100%以上値上がりするほどでした。また、東京だけでなく地方の地価もだんだんと上がり、土地の固定資産税などを政府が負担しきれなくなり、1987年4月に国鉄が民営化されました。このように、土地の値段がバカ上がりしていたので、多くの飲食店は店舗拡大することが出来ませんでした。
その中で、モスバーガー社は、同業他社が出店をひかえる中、面積が小さい土地を購入して商売できないかと考えました。都市部では店舗が密集しており 店に駐車場を付けられない・都市によっては治安が悪く 車から降りたら危険など、諸事情のあるアメリカでは、銀行やスーパーマーケットなどのサービスを自動車に乗ったまま受けられる、ドライブスルーという文化がありました。モスバーガー社は、面積が小さい土地を購入して、アメリカのドライブスルーを採用して営業しようと思いましたが、アメリカと日本では、道路の広さや交通ルールが違うので、ドライブスルー店舗を作る前に 日本の交通ルールを学び直したり、どんなドライブスルーレーンなら利用しやすいか様々な人に意見を聞いたりと、苦労が多かったようです。

 1986年6月、モスバーガー社は、全国47都道府県への出店を達成しました。1987年から、モスバーガー社はハンバーガーだけではなく、ホットドッグやライスバーガーも発売するようになりました。モスライスバーガーを開発する上で和食の作り方のノウハウが必要になったモスバーガー社は、1988年8月、和食チェーン(株)なか卯と資本提携し、なか卯から技術を提供してもらいました。

 2003年4月 から、モスバーガー社は、宅配ピザチェーン「ストロベリーコーンズ」と提携し、モスバーガーの宅配サービスを本格化しました。
1990年代後半に、主力商品のハンバーガーを210円から130円に大幅値下げし、他の商品も大幅値下げするなど、マクドナルドは大改革を行いました。しかしモスバーガー社は、商品のハンバーガーを10円しか値下げしませんでした。こちらは、創業者の櫻田慧(さくらだ さとし)さんの、「その時一番売れているタバコの値段を元に値段を考えよ」という教えによるものでした。つまり、
「タバコは決して安くはないが、品質の高いタバコは高くても売れるし、口コミで話題にもなる。モスバーガーも同じように、品質の高いハンバーガーを作れば、高くても売れるし、顧客に口コミで宣伝もしてもらえるから、TVや雑誌で宣伝しなくても事業拡大でき、良いことづくめだ」
という考え方でした。「人口が減っていく日本では、デフレ経済が続いていくに違いないので、徹底的な価格競争をしなきゃダメ」と言っていた、日本マクドナルドの創業者 藤田田さんの考え方と対照的でしたが、モスバーガー社はこちらの考え方で経営を進め、創業から5年後の1977年は売上げが33億円を超え、11年後の1988年には東証2部に上場できるようになりました。

こちらのように大成功をおさめたので、社内には櫻田さんの考え方に賛成し 「とにかく品質が高いものを作れば売れるんじゃないか」と考える人も多数いましたが、「日本列島総不況」の中でモスバーガー社は1999年に減収減益となってしまい、経営陣は何か新たな策を講じる必要が出てきました。
(「日本列島総不況」の説明。1997年頃に北海道拓殖銀行や長期信用銀行などの大銀行が経営破綻したので、以後 各銀行が守りに入り、お金を企業にあまり貸さなくなりました。ヤバいと思った日本政府が、1998年、各銀行に合計1兆円以上を資金援助し 銀行が守りに入らなくとも良いようにしようとしましたが、効果があまりなく、多くの銀行は守りに入ったままでした。銀行が企業にお金を貸さないことにより、企業は事業を縮小せざるを得なくなり、1999年から大部分の業種が減収減益にみまわれました。そちらにより労働者の給料も減り、消費も減り景気は急激に悪化しました。これが「日本列島総不況」です)

そのため、モスバーガー経営陣は、当時 国内で流行だった宅配ピザのような、デリバリーサービスを始めようと思いました。これまでデリバリーサービスを行ったことがないので、どのようにすれば良いか分からなかったモスバーガー社は、いち早くコンピュータを導入し業務を効率化して、ピザ屋の競合が沢山居る激戦区、東京の白金でも他社をしのぐ売上げを出していた超優秀な宅配ピザチェーン ストロベリーコーンズ社と業務提携し、モスバーガー商品の配達を手伝ってもらう事にしました。

 モスバーガー社は、地球環境に優しい仕事をしている会社と認められ、2004年3月 に ISO14001を取得しました。また同社は2006年9月、環境省と協定を結び、今後はレジ袋の使用削減、非石油製品への転換を行うと宣言しました。尚、環境省と協定を結んだのは、国内の外食業界では、モスバーガー社が初めてということになるので、こちらのニュースは 経済界で話題となりました。

 2008年2月、モスバーガー社は、ダスキン(日本国内にて、ドーナツチェーンのブランド「ミスタードーナツ」を展開)との資本業務提携を発表しました。
モスバーガー社が、2006年からポイントカードを導入し、韓国や中国など海外にも店舗展開している、ミスタードーナツと業務提携し、経営のアドバイスをし合うことにより、モスバーガー社はMOSポイントやdポイントなどのポイントサービスの導入や海外展開を行えるようになりました。こちらの事を知ったキリンビール社は、2014年からネット通販を始める前に、ネット通販サイト運営会社 アスクル社と業務提携し、アスクル社から「どんな人がネット通販でビールを買うか」のデータを得て参考にしました。

 美味しいので口コミで話題となり、また、一般社団法人日本ハンバーグ・ハンバーガー協会の調べによると、2008年から2015年にかけて国内のハンバーガー消費量は減ってきているそうですが、その中でも売上げが伸びているモスバーガー社はすごいと話題になり、2009年と2010年に朝の情報番組 『スッキリ』でも取り上げられ、モスバーガー社は番組と共同で期間限定の新メニューを考案しました。

 2011年3月11日 東日本大震災が起き、店舗の修繕費などが必要となったので、モスバーガー社には約3億円の損害が出ました。3億円とは、モスバーガー社が一年間であげる利益と大体同じぐらいの金額なので、かなり大金だと分かります。
しかしモスバーガー社は、震災が起きたその日すぐに、復旧活動を指揮する「災害対策本部」を設置し、全社員が復旧活動に全力で取り組んだ結果、震災から2週間後には、被害に遭った店舗のほぼ全てを営業再開することができました。
そして、震災から1ヶ月後の4月にモスバーガー社は、オーストラリア1号店「サニーバンクプラザ店」をオープンしました。
日本政府の原子力安全・保安院と原子力安全委員会が、震災発生の1ヶ月後の4月に、原発事故の国際評価尺度を最悪のレベル7にまで引き上げました。そちらの情報が海外メディアで大々的に報道されパニックになり、「日本に関係するものは危ない」という風評被害が出て、海外で日本の飲食店のイメージが悪くなりました。
その中、モスバーガー社がオーストラリアに店舗を建てて売上げを伸ばした事を知った、豚骨ラーメン店チェーン 一風堂は、勇気づけられ2012年にシドニーにオーストラリア1号店をつくりました。

今後、モスバーガー社がどのように世の中を変えていくのか、注目ですね。

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お疲れ様です。
貴重な時間を割き、お読みくださいましてありがとうございました。
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<なとり チータラ>


次回は、讃岐うどん店「はなまるうどん」の店舗を全国展開する、株式会社はなまるの歴史について解説します。


サムネイル内で使った画像の引用元:
https://studiogram.jp/branddesignlab/6381/

https://yamaneko.co.jp/news/note_2020-02-24/

https://yellmarket.yahoo.co.jp/note/lifestyle/ethical/article8.html


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まあに(SSR)
その100円が、まあにのゼンマイを回す