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[喫茶店 コメダ珈琲店]株式会社コメダの歴史

 今回は、喫茶店「珈琲所コメダ珈琲店」店舗の経営で有名な、株式会社コメダの歴史について解説します。

 1968年1月、創業者 加藤太郎さんが、喫茶店「コメダ珈琲店」を名古屋の下町に開店しました。
加藤太郎さんは元々、先祖代々から続く米商人をしていた人だったので、しっかりと測ることが習慣になっていました。そのため加藤さんは、多くの喫茶店ではバラツキのある、挽きの回数や抽出する時間などを毎回一定にして珈琲を提供していたため、「いつも味が同じ」とお客さんに喜ばれました。

1960年代、日本では技術向上とインフラ整備により工業が発達し、国民総生産も年率15%弱の伸びを続け、加藤さんが初店舗を開いた1968年には、日本の経済規模は米ソに次ぐ世界第3位と言われるようになっていました。消費も盛んになってきたので、この波に乗ろうと、1970年からコーヒー挽き売り専門店の全国展開を開始したUCC上島珈琲や1970年に初出店した珈琲館など、競合の喫茶店も次々と出店したので、商品の質が良くないと喫茶店は生き残れない状況でした。缶コーヒーの製造・販売を行っている、UCCグループのサイトによると、1970年代前半には、日本全国で年間約8000店もの喫茶店が新しくオープンし、また1966年から1975年の9年間で、約65000店舗が新規にオープンしたそうです。このように、競合の喫茶店も次々と出店している状態だったので、商品の質が良くないと喫茶店は生き残れない状況でした。

加藤さんは、各自動車メーカーが1960年代後半初頭から、 自動車税が安くなるエンジンの排気量が1000 cc以下の自動車を多数売り出したのと、国民の所得が上がってきたので1965年前後には車両価格が国民の平均年収の1.4倍となり車が一般庶民に身近なものになったのを見て、今後 自動車で移動する人が増えてくると考え、コスト面を気にせず大胆に広い駐車場を店に付けました。また、当時 あまりなかった静かな雰囲気・客が何もせずくつろげる 店員が飲食を運ぶフルサービスの店を作っていたので、商談をするビジネスパーソンや課題をする学生をお客さんに取り込むことが出来、こちらもコメダ珈琲の店舗が繁盛した理由の一つでした。

コメダ珈琲店の運営会社が、課題をするお洒落な場所を求めている、学生を取り込んで収益を伸ばした事を知ったコーヒー店 珈琲館は、1970年 東京千代田区の専修大学の前に第一号店を建てました。

 1977年2月、コメダ珈琲店の運営会社は名物商品「シロノワール(温かいデニッシュパンの上にソフトクリームが載っているスイーツ)」を、販売開始しました。
1974年~1977年に生じた原油価格高騰から、アメリカの人々がガソリンや灯油などの石油製品以外を節約し、当時日本がアメリカに大量に輸出していたカラーテレビを年間175万台しか輸出できなくなり、また当時日本がアメリカに大量に輸出していた、鉄鋼製品の輸出量も減りました。このようにしてアメリカとの貿易が減り、輸出製品の製造会社や商社などが儲からなくなり、失業率が増えたので、景気が悪くなり 1977年には値段が高めの喫茶店の利用者も減りました。そのため、コメダ珈琲店の運営会社は、新商品を発売して客足を引き留める必要がありました。

コメダ珈琲店の運営会社は1977年に、愛知県名古屋市の高級住宅街に、200席ある大型のコメダ珈琲店舗を作りました。当時、名古屋市は1977年に人口が200万人を突破したほど人口が多かったのですが、名古屋市の高辻町と大高町の間を結ぶ高速道路や、金山町(名古屋市)と新瑞橋町(名古屋市)の間を結ぶ地下鉄があるだけで、他の市と名古屋市を結ぶインフラは整備されていませんでした。そのため、他の市で営業している喫茶店チェーンが名古屋市に進出してくることは少なかったので、名古屋市のコメダ珈琲店は他の店に客を取られる心配が無く営業できたそうです。

コメダ珈琲店の運営会社が、他の市とをつなぐインフラが発達していない地域に出店して、ライバル店が少ないので成功した事を知った回転寿司チェーン スシロー社は2001年、鉄道や国道の通っていない東京都武蔵村山市に出店しました。

 1999年2月、コメダ珈琲店の運営会社は、甘味喫茶「おかげ庵」を開店しました。
1991年に、株価・地価の暴落によるバブル崩壊が起き、銀行が倒産し 各企業がお金を貸してもらえず経営難になり、赤字の会社が増えました。携帯電話や家庭用FAXなど新技術が開発されたおかげで、それらを売るパナソニックやソニーなどの電機メーカーや 通信会社は、利益が出て黒字化することが出来、1995年の日経平均株価は1992年から2500円以上上昇しましたが、利益が増えたのは一部の会社だけで、多くの企業は経営難のままでした。そのため、コメダ珈琲店の運営会社は、高いコストのかかる店舗拡大を諦めざるを得ませんでした。そのため、おかげ庵の店舗数を、あまり増やすことが出来ませんでした。

コメダ珈琲店の運営会社は、1996年の日本国内にある日本料理店の数は、1991年のそちらより15.3%増えており、飲食店全体の1991年~1996年の伸び率が3.8%減なのと比べると優秀すぎるので、国内で日本料理ブームが始まっていると考えました。そのためコメダ珈琲店の運営会社は、こちらのデータが発表された1998年に、コメダ珈琲とは違う和風の雰囲気の店舗をつくることに決めたようです。

コメダ珈琲店の運営会社が和食店を作って、「全国に少数しかないコメダの和食喫茶店、もう行きましたか?」と口コミで話題となった事を知った、1987年から和食店『いけすの王将』を小規模で運営していた餃子の王将の経営陣は、「和食店を小規模で運営すると、話題になって世間から会社が注目される」と分かり、自分たちの判断は間違ってなかったと思ったようです。

 2001年8月、コメダ珈琲店の運営会社は、本社を愛知県名古屋市瑞穂区から、東区に移転しました。コメダ珈琲店の運営会社は、1993年からフランチャイズ展開を進めており、各フランチャイズ店舗に人を送り運営支援をしやすいように、瑞穂区より幹線道路に近く交通の便の良い、東区に本社を移転しました。関西や関東、北陸などに新店舗をつくり売上げを増やしたコメダ珈琲は、2011年にはパン製造会社 有限会社フランスパンの全株式を取得し、子会社化できるほど大会社になりました。その後も、九州や東北にコメダ珈琲店舗を増やし、2014年12月には国内店舗600店舗を達成しました。

 2015年7月、コメダ珈琲店の経営陣は、千葉県印西市で千葉パン工場の操業を開始しました。
「景気回復にはこの道しかない」と発言した安倍首相が2013年6月から、大胆な金融緩和・福祉の充実・民間投資の喚起を三本の矢とした金融政策 アベノミクスを始めたものの、2014年度は経済成長率が、リーマン・ショック後の2009年度以来なかったマイナス0.5%になるほど日本の景気が悪化し、2015年には企業が守りに入り お金を貯蓄する様になったため、労働者に賃金があまり支払われなくなり、庶民の生活が苦しくなりました。そのため、コメダ珈琲店の運営会社は、各店舗で提供するパンを一つの工場で生産することにより生産コスト・人件費を下げ、商品の価格を安くする事を迫られました。

コメダ珈琲店の運営会社は、もともと愛知県にある勝川工場で、各店舗でモーニングに出す食パンや、人気スイーツ「シロノワール」で使用するデニッシュなどを、まとめて作っていました。しかし、店舗数が増え2015年時点で630店舗に達したため、勝川工場だけでは作れなくなりました。そのため、農林水産省にも「都市や空港にもすぐ行けるし、年平均降水量も1409mmで日本の年平均降水量1610mmより少ないから、水害にも強く、またしっかりとした地盤 下総台地の上にあるから地震にも強い土地」といわれ企業や商業施設が進出し、他の市から移り住む人も増えていた、千葉県印西市に広いパン工場を建てました。

コメダ珈琲店の運営会社が、千葉県印西市に大きな生産工場を建て、2016年度決算(営業利益)を2015年度決算(営業利益)より6億以上も増やしたことを知った、すでに印西市に 倉庫付きの大きな工場を建てていた砂糖メーカー 山口製糖社は、コメダさんもやっと印西市の重要性に気づいたか と思いました。

 順調に売上げ・利益を伸ばしたコメダ珈琲店の運営会社は、2016年6月に東証第一部へ上場しました。認められ、以後 三菱グループの大手証券会社 三菱UFJモルガン・スタンレー証券などの大会社が、コメダ珈琲店の運営会社に資金調達の助言をしてくれるようになりました。上場してからも、北海道や台湾に店舗をつくるなど、コメダ珈琲の挑戦は続きました。

 2020年10月、コメダ珈琲店の運営会社は、コメダ初の餡子製造拠点として製餡工場の操業を開始しました。
当時日本では新型コロナウイルスが流行り、多くの和菓子店で商品が売れなくなり、そのためあんこの販売量が減ったので、あんこの値段がどんどん下がり、2020年7月の値段は6月に比べ7%減の30キログラム当たり1万7200円前後となりました。あんこの値段を上げなければ儲からないので、製餡会社はあんこをあまり製造しなくなりました。すると、今度はあんこの値上げが始まりました。実は、2018年年末にも製餡会社は、あんこの製造量を抑え、あんこの販売価格を1キロ当たり20円値上げしていました。そのため、コメダ珈琲店の運営会社は、
「製餡会社のあんこ販売価格は、頻繁に変動するから、製餡会社からの購入に頼ると、仕入れ価格の変動が激しいのでメンドクサイ。自社生産すると、一定量のあんこを用意するためのコストが大きく変動しないので、資金繰りがやりやすくなる」
と考え、あんこを自社製造することにしました。

コメダ珈琲店の運営会社が、あんこの自社製造を始めた事を知った、以前からあんこの自社製造を行っていた、1872年創業時から人々に愛され続けている老舗の和菓子屋チェーン たねやは、コメダさんもやっと、あんこを自社製造すると安く作れる事に気づいたか と思いました。

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お疲れ様です。
貴重な時間を割き、お読みくださいましてありがとうございました。
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<亀田の柿の種>

次回は、ハンバーガーショップ「MOS BURGER」の店舗を全国展開する、モスフードサービスの歴史について解説します。


サムネイル内で使った画像の引用元:
https://www.facebook.com/komeda.coffee/

https://life-designs.jp/webmagazine/okagean/

https://www.komeda.co.jp/okagean/

https://www.komeda.co.jp/shop/detail.html?id=421


その100円が、まあにのゼンマイを回す