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[ハンバーグ屋] びっくりドンキーの歴史

 今回は、ハンバーグ屋の店舗を全国展開する、びっくりドンキーの歴史について解説します。

アメリカ占領下から起業


 1968年(昭和43年) 、創業者の庄司昭夫さんが、先輩経営者が営む専門店での修業を終え、12月に岩手県盛岡市の市民館1階にて13坪の小さな店「ハンバーガーとサラダの店・べる」を開店しました。

創業者の庄司昭夫(しょうじ あきお)さんは、1943年(昭和18年)に岩手県二戸市に生まれました。そして庄司さんは1965年頃、工業高校を卒業しました。

卒業後 庄司さんは、上京し木工所に就職して修行したり 有名になるためにジャズドラマーを目指したりしましたが、当時芸能界で有名になっていたジャズバンド クレージーキャッツが「音楽の質の高さ」を活かしたコントを演じてバラエティ番組でも活躍しているのを見た庄司さんは、「バンドだけじゃダメな時代かも知れない」と思い音楽以外にも何か目指そうと考えました。
当時 戦後の日本で流行ったアメリカのマンガ『ポパイ』の登場人物がいつも食べていたハンバーガーが人気になり、1963年にアメリカ統治下の沖縄県でアメリカのファストフードチェーン『A&W』がハンバーガーショップを開店すると、当時の沖縄は時の執政官キャラウェイが「沖縄最大の琉球銀行がどこに融資するかの決定」「水道会社・電力会社などインフラ企業の収益の一部を自分の懐に入れる」などをしており、沖縄住民の反米感情が高まっていたにもかかわらず、こちらの店は繁盛しました。庄司さんは、「反米感情の高まりで良く思われていないアメリカ人でなく、日本人がハンバーガー店を開くと、もっと有名になれるんじゃないか」と考えました。

「ハンバーガー店を立ち上げよう」と決めた庄司さんは1967年、北海道や関西など日本全国の経営者の話を聞きに行った後、その際に出会った大阪のハンバーガー店の店主のもとで修行しました。そのため庄司さんは「行動力ある若者」として岩手県盛岡市に認められ、1968年12月に、25歳で盛岡市の市民会館の1階に「ハンバーガーとサラダの店・ベル」を開店することができました。
従業員も集めることができたので、「食は、人を良くしていく産業でなければならない」と考えている庄司さんは、その後 庄司さんが「この人は、お客さんが喜ぶ顔を見るために経営してるな」と思っている、仲が良かった北海道にある大型レストランのオーナーの手伝いに行きましたが、その間も従業員がしっかりとベルの経営を続けてくれました。

1968年~1970年は日本の景気が良くなった時なので、庄司さんが1968年末から起業家人生をスタートしたのは、良いタイミングだったと言えるかも知れません。
1964年にアメリカのジョンソン大統領が「貧困との戦い」を提唱して、失業対策や起業支援、職業訓練のために資金を提供する国営機関『経済機会局』を設立し、その結果 1965年10月には米国の失業率がアメリカ史最低の4.3%まで落ち、さらに1970年の米国の国民所得が1965年より2657億ドル高い8535億ドルにまで達し、アメリカは好景気になっていました。
そのようなアメリカへの輸出の増加・1965年11月になされた日本政府の戦後初の「政府が財政赤字を埋めるために、増税するのではなく国債を発行することの決定」により不況から脱することができ、1968年には日本のGDPは世界第二位にまで上り詰め 所得水準も向上しテレビ・冷蔵庫など当時の最新設備が各家庭に行き渡りました。国民の所得も増えてきたので 貯金できる額も高くなり、1968年には個人貯蓄率(家庭の収入の内、消費支出に回らず手元に残った貯蓄の割合)がアメリカやイギリスなど先進諸国より高い19.7%に到り、1970年のGDPが1965年の2.3倍の2126億ドルまで達するなど、日本経済は成長し続けました。
このように1968年~1970年は日本の景気が良くなった時なので、庄司さんが1968年末から起業家人生をスタートしたのは、良いタイミングだったと言えるかも知れません。

韓国経済の伸びが味方した会社の成長


 1973年(昭和48年)、びっくりドンキー社は、木の皿にハンバーグ・サラダ・ライスを盛り付けた、ハンバーグディッシュの販売を始めました。

びっくりドンキー社は、日本が経済成長し日本人の所得水準も上がっていく中、「ハンバーガーとサラダの店・ベル」を開店しベルの店を4店舗に増やせる程はやらせました。しかし1971年7月、アメリカの大資本企業と有名だったマクドナルドが"本場の味をどうぞ"という宣伝をして東京・銀座に1号店をオープンし、10月1日のたった1日で東京・銀座の1店舗で221万7000円という、ハンバーガーショップ経営者が驚くほどの売上げを出したので、「これから日本でハンバーガーショップをやると儲かるぞ」ということでロッテリアやモスバーガーなどの店舗が次々できました。
ロッテリア社は、創業当初マクドナルドと同じようなハンバーガーだけを売っていましたが、1972年からメニューに、マクドナルドでは売っていないピザ風ホットサンド「イタリアンサンド」を登場させ「朝食にピッタリ」と話題になりました。モスバーガー社は、1973年5月に日本人が大好きな醤油と味噌を使った「テリヤキバーガー」を発売しました。ヒットしてバカ売れ、売上高・営業利益も上がり、モスバーガー社は大卒初任給平均が6万2300円だった1973年に、バイトの人にも月給10万円を払える位の規模になったので、1976年には50店舗を運営できるようになりました。
びっくりドンキー経営陣は、このままハンバーガーで勝負しても、これらの店に客を奪われてしまい会社が大きくなれないと考えました。

そのため、びっくりドンキー社は、ハンバーグをパンに挟むハンバーガーとは異なる、木の皿にハンバーグ・サラダ・ライスを盛り付けた、ハンバーグディッシュを売り出しました。

ハンバーグディッシュを売り出した結果、びっくりドンキー社は驚異的な売上高を出し、これはいけると思った同社経営陣は、ハンバーグディッシュだけを扱うファミリーレストラン「びっくりドンキー」を1980年北海道札幌市内にオープンしました。徐々に店舗数を増やし売上高・営業利益も伸びてきたので、びっくりドンキー社は1981年に、本社をびっくりドンキーのハンバーグの重要な隠し味である牛乳を生産してくれる牧場の近くの札幌市に移転し、牛乳の購入量や購入する種類を操作しやすくする事ができました。また同社は、様々な工程を行う生産ライン間の繋がりをスムーズにし、正しい製法で作られた製品を短い時間で作るシステム「JIT(Just In Time)方式」を発明した『ジット経営研究所』に認められ、1988年頃からそちらで「フレッシュなサラダ・誰がつくっても同じ味になる品質の高いハンバーグ を出すための方法」を学ぶ事ができました。

1980年代、日本の主な輸出相手国であった東アジア(主に韓国)の経済が発展していたので、日本から東アジアへの輸出が増え、日本人の所得水準も上がっていました。1980年からハンバーグディッシュ専門のファミレス「びっくりドンキー」の店舗を増やし始めたびっくりドンキー社の戦略は、正しかったと言えるでしょう。
韓国では、1953年に北朝鮮と韓国の間の内戦 朝鮮戦争が終わってから、「建物の復旧工事や貧しい人への援助」を重視する韓国派議員と「アメリカからの援助を必要としないようにするための、一刻も早い経済の回復」を重視するアメリカ派議員との間で争いが起き、議会が混乱し、さらに政府と軍部がもめた結果、1955年に外国からの資金援助の70.7%を民間への投資ではなく軍事費に回さねばならなくなったりしたため、経済復興が全く進みませんでした。
その中で、軍内の改革派によるクーデターが起き(5・16軍事クーデター)、1961年からパク・ジョンヒが軍事政権を誕生させました。1952年に韓国のイ・スンマン大統領が勝手に「ここの内側は韓国の漁場だから日本は入ってくるな」と言って「李承晩ライン」を引き、内側に入ってきた日本の漁船233隻を容赦なく拿捕したことによって悪くなっていた日韓関係を、パク・ジョンヒは「技術援助・経済援助してくれれば李承晩ラインを撤廃し、以後日本に韓国を植民地支配した責任を問わない」事を定めた日韓基本条約を1965年に日本と結ぶことにより良くしました。日韓基本条約によって日本から資金援助や技術援助を受け、さらにベトナム戦争やアフガニスタン紛争で闘わなくてはいけないアメリカに必要物資を輸出したことにより、韓国経済は「漢江の奇跡」と呼ばれる大復活を遂げ、韓国のGDPは1980年には1965年のなんと21.0倍の654億ドルを達成したのでした。その後も、韓国は鉄鋼や自動車など重化学の工場をつくりまくり、1980年代に入ってからの経済発展が物凄く、1990年には1980年の約2倍のGDPを達成した東アジア諸国にどんどん輸出し、1980年代後半には年率9.5%の経済成長率を達成しました。
この影響で、1990年の日本の対韓国輸出額は1988年より5000億円上がり、1990年の日本のGDPは1988年より38.7兆円も上がりました。
このように日本の景気が良い中で、ハンバーグディッシュ専門のファミレス「びっくりドンキー」の店舗を増やし始めたびっくりドンキー社の戦略は、正しかったと言えるでしょう。

不景気ふきとばす変革


 ハンバーグディッシュ専門のファミレスの運営を始めて儲けたびっくりドンキー社は、店舗で提供するドイツビールを自社で製造しようと思い、1995年7月から北海道小樽市にビール工場を作りました。サッポロビールやキリンビールなどの有名ビールメーカーで売られているビールは、味をまろやかにしたり香りを付け足すために、カラメルやコーンを入れてつくることがありますが、ドイツビールは原料に「麦芽・ホップ・水・酵母」しか使わない純粋なビールです。小樽市には、古くから欧米と貿易をしている、小樽港という港があり、自動車や水産品を輸出し ビールの本場ドイツの麦芽やホップを含む農水産品を輸入しているので、小樽市には北海道麦酒醸造株式会社や海鱗丸ビール株式会社など歴史あるビール会社があります。びっくりドンキー社は、古くからビール製造が盛んな小樽市に醸造所をつくり、周辺の工房からビール製造ノウハウを学ぼうと思ったのでした。

醸造所を作るだけでなく、びっくりドンキー社は1996年10月に、大正時代から貿易国家日本の玄関口として栄えてきた歴史ある小樽運河沿いに、地ビールレストランをつくりました。店内の廊下には歴史の記念物も展示されているので、観光客にも人気スポットとなりました。

醸造所や映えるレストランをつくったびっくりドンキー社は売上高・営業利益を上げましたが、10月に埼玉県の幼稚園で食中毒が発生し社会問題になった1990年以降、毎年数冊の大衆向け健康雑誌が創刊されるようになり、人々の健康意識も高まってきたので、同社社長は「時代の変化と共に食に求められるものは変わっていくので、我々も変化していかなくてはいけない」と言い、1996年に自社の乳製品加工場を開業して安全なチーズを自社で作れるようにし、同年から農薬使用を控えた米の調達を開始しました。また、牛に草より消化の良い穀物を食べさせると、不健康に太ってしまうと言うことを畜産大学の教授から聞いた同社経営陣は、2001年から広大な土地に放牧され草を食べて育っている品質の高いナチュラルビーフのみを仕入れることに決めました。

このように、時代に合わせて変化を怠らないびっくりドンキー社は、2010年には1999年の1.5倍の300店舗を運営できるようになり、2010年の売上高は2002年より83.1億円高い547.2億円になりました。

2000年後半以降、アメリカ経済が急速に減速したため、アメリカへの輸出が急減し、2000年代日本の景気は悪くなっていました。その中でも売上げ・営業利益を上げて店舗数も増やしたびっくりドンキー社は最高です!
アメリカのドル高のためアジアの通貨が投資家に売られまくり価値が下がり、1997年7月頃からアジアの物価がメチャクチャ上がって、「急激に経済発展したので注目が集まり、世界中の企業が進出していたタイやマレーシアなど」で企業倒産が相次ぐ、アジア金融危機が起きました。
その影響で、それまでIT関連製品を年間3361億ドル以上も輸出していたアジア各国から、パソコン部品が入ってこなくなったので、2000年7~9月からアメリカのパソコンの生産が落ち込み、そちらによりアメリカのITブームが一気に崩壊し、経済成長を牽引してきたインターネット関連企業での解雇者数は増加を続け、アメリカ経済は2001年7~9月期にマイナス成長に転じました。
そのため、2001年の日本の輸出額は2000年より2.7兆円低くなり、2009年の日米貿易の輸出入合計は2000年より8.9兆円も落ち、日本の家計消費支出も2000年4-6月からゆるやかに落ち込みはじめました。
このように日本の景気が悪くなっていた中で、売上げ・営業利益を上げて店舗数も増やしたびっくりドンキー社は最高です!

2020年4月にコロナ禍の緊急事態宣言が出され、人々が外出を自粛するようになり、2020年5月の宿泊業や飲食業などの生活娯楽関連サービスの利用者は同年2月の約半数になりました。びっくりドンキー社もこの影響を受けないわけにはいかなかったようで、お客さんに安心して来店してもらうために、運営店舗で働く従業員にコロナ感染者が出る度、ネット上の公式サイトで「従業員のコロナ感染が発覚した店舗の名前」や「消毒作業など店舗への対応」を公開せざるを得なくなりました。しかし、2020年7月から「各席に備えられたタブレット端末で注文ができ、食べ終わった後セルフレジで会計を済ますことができる」新タイプ店の店舗数を増やし始めたり、宅配サービスを始めたりと時代に合わせた変革を行ったため、2021年3月に、12万人以上の利用者からの回答を元に実施する日本最大級の顧客満足度調査 JCSI調査で飲食業種部門1位を獲得しました。
また、2023年4月~6月の1日1店あたりの客数はコロナ前の2019年4月~6月より2%増え、売上高は16%増えたそうです。広報担当者は2023年7月、経済ニュースサイト運営会社 東洋経済新報社のインタビューで
「コロナ前とは異なり、テイクアウトやフードデリバリーが売上げ全体の約1割を占めるようになった所を見ると、びっくりドンキー社が2020年7月からデリバリーサービスを始めるようになったのは良い決断だったと分かります」
と答えました。

今後 びっくりドンキー社が、どのように世の中を変えていくのかに注目ですね。

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お疲れ様です。
貴重な時間を割き、お読みくださいましてありがとうございました。
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次回は、チーズインハンバーグが美味しいことで有名なファミレスを全国展開する、ガストの歴史について解説します。お楽しみに。
ちなみに、すかいらーくの歴史をご紹介するのは2回目になります。
さて、以前の記事(2023年8月3日提出)よりハート数超えられるでしょうか?
乞うご期待!

以前の記事:

誰も期待してねーよ> (・o・)

だ、誰かは注目してくれる(ハズ)


まあに

サムネイル内で使った画像の引用元:
https://play.google.com/store/apps/details?id=com.bikkuridonkey&hl=ja

https://www.bikkuri-donkey.com/menu/menu_701/

https://www.ryutsuu.biz/backnumber/strategy/d062702.html

その100円が、まあにのゼンマイを回す