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夏越の大祓い(菟足(うたり)神社)

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    菟足(うたり)神社(愛知県豊川市小坂井町宮脇)は、聖徳太子のブレーン・秦河勝の子・秦石勝が建てた古社です。

    正面の拝殿の右側に門が見えますが、この門の奥が八幡宮(旧・宇佐大明神)で、「菟足八幡宮」と呼ばれていた時期もありました。

   「ウタリ」は、「雨足」「雨垂」などとも書き、「湿地」を意味する地名ですが、日本地名研究所の所長だった故・谷川健一氏(2013年没)の『列島縦断地名逍遥』には、「ウタリ…湿地や波おだやかな浜」とあります。名鉄豊川線・八幡駅前の豊川市民病院の南側(愛知県豊川市白鳥町兎足)の「兎足」は「湿地」でしょうが、ここの「菟足」の場合は「波おだやかな浜」の方かな。旧鎮座地の「凪浜(なぎはま)」(風おだやかな浜)である柏木浜の地名でしょう。
 よく、「太平洋岸の難解地名はアイヌ語で解ける」と聞きますが、アイヌ語の「ウタリ」は、「人民、同胞、仲間など」の意ですから、団体(サークル)名には使われますが、地名には使われにくいでしょう。

※「菟足神社」と聞くと、奈良県奈良市法華寺町の式内・宇奈太理坐高御魂神社(うなたりにいますたかみむすびじんじゃ)を思い起こす方が多いと思いますが、奈良市の神社は高御魂神を祀る高御魂神社であり、「宇奈太理坐」の「宇奈太理」も地名であって、「同じ地名の場所に鎮座している」ということ以外は、この豊川市の「菟足神社」とは無関係でしょうね。

宇奈太理坐高御魂神社(社前案内板)
由緒 延喜式内の大社で月次・相嘗・新嘗の幣に預かっていた。
古文書では、宇奈足とも菟名足とも菟足とも書いている。武内宿祢の勧請と伝えられ「日本書紀」によると持統天皇6年(西暦692)12月24日には新羅の調を伊勢、住吉、紀伊、大倭、菟名足の5社に奉るとあるその1社で、この神社の神戸は正倉院文書の天平2年(西暦730)大和税帳新抄格勅符抄に載っているが、何れも神名は菟名足となっている。江戸時代には楊梅神社と呼ばれたこともあり、今「うなたり社」とか「西の宮さん」とか言っているのは近郷だけでの通称の略称である。
本殿は室町時代初期の建築遺構を残し、三間社、流造、桧皮葺で国指定の重要文化財である。
境内の一帯は、平城天皇の楊梅宮址とか春日斎宮の斎院址とかの学説もある。

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 さて、6月30日と12月31日は、半年分の汚れを払う「大祓」の日です。
 「夏越の大祓」で茅の輪をくぐるのは、茅の輪を腰に巻いていた蘇民将来一家だけが、牛頭天王の蒔いた疫病から免れられたという伝承によります。

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