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『名古屋合戦記』(原文を全文掲載)

第8回『麒麟がくる紀行』に、
「名古屋を象徴する名古屋城。徳川家康が西の押さえとして、江戸時代に築いた城です。戦国時代、この場所には現在の城とは異なる今川氏の城、那古野(なごや)城があったといいます。信長の父・信秀は、この城を今川氏から奪い取ると、幼い嫡男・信長を城主としました。
信長の学び舎(や)があったというかつての天王社(てんのうしゃ)、那古野神社。今川との合戦で焼失した社殿を信秀が建て直したと伝えられています。
神主だったとされる織田家の祖先。神社の紋と同じ木瓜(もっこう)紋を家紋としています。
「尾張のおおうつけ」といわれた信長の天下取りは、名古屋の地から始まったのです。」
とあります。
https://www.nhk.or.jp/kirin/journey/08.html

「信長の父・信秀は、この城を今川氏から奪い取る」という話は、『名古屋合戦記』に載っています。短いので、全文(原文)を掲載しておきますね。(写本は複数あり、微妙に異なっています。各写本を比較し、原本を復元して掲載しました。)

1.解説


『名古屋合戦記』は大きく2つに分かれ、
 前半は、今川氏と斯波氏の「引馬城(吉良領浜松荘)攻防戦 at 浜松」です。「深嶽の城」は遠江井伊家の詰城「三岳城」、「奥山」は遠江井伊家庶流・奥山家の「奥山城」になります。2017年NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』は、井伊直平が今川氏親に敗れる夜のシーンから始まりましたが、あれが『名古屋合戦記』にある「深嶽城の戦い」(永正10年(1513年)3月7日、掛川城主・朝比奈泰以(やすもち)による夜襲)です。

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 後半は今川氏と織田氏の「那古野城攻防戦 at 名古屋」になります。織田信長の父・織田信秀が、那古野城を今川氏から奪い取った方法(奇計)について書かれています。

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