正信偈20「帰入功徳大宝海 必獲入大会衆数得至蓮華蔵世界 即証真如法性身」

正信偈 20
 
帰入功徳大宝海 必獲入大会衆数
得至蓮華蔵世界 即証真如法性身
 
いつ助かるかと問われれば、それは今です。宗教と言えば死んでから助かるものと思いがちですが、あみだの仏さまはまさに今この瞬間にはたらいています。今助かると言いましたが、時間的には未来です。しかし、未来に助かることが今助かることであります。
(時間という概念の中には過去・現在(今)・未来の3つがありますが、私たちの実生活の上には今しかありません。過去は今にあり、未来も今にあります。これは長くなるのでまたいつか論してみたいと思います。)
 
未来に助かることが今助かるということの例え話をします。例えば、あなたには小学生の子どもがいます。学校のプリントをなかなかよこさないのでランドセルを開けてみたらなんと、月末までに修学旅行の積み立てを入金しないといけないという紙が入っていました。今月は出費が嵩張り家計が厳しく、食費だけでもぎりぎりです。そんな中でさらなる出費が判明し、あなたは苦しみに陥ります。お金の心配があると常にイライラします。夜もなかなか寝付けません。どうやって工面しようか悩みに悩んでいたとき、会社の社長さんからあることを告げられます。「先月は業績が非常に良かった。みなさんのおかげです。今月は特別ボーナスを支給しますから楽しみにしていてください。」と。この瞬間、苦しみから解放されました。まだ手元にお金はありません。それでも、心が軽くなります。未来に助かるということが分かったから、今助かりました。
 
あみだの仏さまの浄土に往くのはこの体の命を生ききってからです。今こうして息を吸って息を吐き、手足は動かすし胃腸なんかは頼まんでも勝手に動いてくれている。こうしているうちはまだ娑婆を生きています。しかし娑婆を生きながらも既に助かっています。「汝に私の無限の命をそのまま与えよう。言葉の中に全て入れた。南無阿弥陀仏。」未来で必ず助かります。未来で助かるということは、今、必ず助かります。
 
臨終まつことなし今が臨終
なむあみだぶつ
よるのたのしみ
(浅原才市)

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