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著者となる条件

「この方の本を出しませんか?」
との推薦をいただくことが、度々ある。
こんなに無名で小さな出版社にお声がけいただけることは、とても嬉しい。

拙著に、持ち込み企画に関して以下のように書いた。

その方の言葉や行動が、必要とされる方々に伝わるものかどうか、さらには10年、20年経っても古くならない内容かどうかが、センジュ出版の書籍化における考え方だが、実はもう一つ、大切な条件がある。それは、著者の「声」だ。

 その声を音楽のようにずっと聞いていられるか、聞き手を緊張させないか、力が入りすぎていないか、大きすぎたりちいさすぎたりしないか、速すぎたり遅すぎたりしないか、声に噓がないか。
 これはまったく言語化できず、本当に直感で決めているもので、もちろん独断と偏見でしかない。だが、著者に会って話を聞いた際に、本の中に流れているものと同じものを感じることができるか、そこに違和感がないかは、センジュ出版にとって肝心要のポイントだ。どんなに胸を打つ文章であっても、書籍の相談は必ず本人にお目にかかって直接声を聞いてからにしているし、一方でその方の文章を読んでいなくとも、声を聞いてその場で執筆の依頼をさせていただくこともある。
 言葉はその人のすべてを伝えるにはまだまだ事足りないが、 このチャーミングで危うくて物哀しい道具を用いて表現される世界に私がいつも助けられてきたのは、たしかなこと。本はその不完全さのおかげでかえって長い友達でいられるのだが、本を手に取ってもらうためにセンジュ出版が必要としたいのが、 著者の声だ。本を置いてくださっているすべての場所で著者が話をすることは不可能だが、せめて著者から手の届くところでは、言葉の外の情報までも含むその声で、本との出会いをいざなってほしいとそう願う。そのガイド役にと、本と相性のいい 声を、私はじっと耳を澄ませて待っている。(『しずけさとユーモアを』(エイ出版社)P284 古書店に残る声より

センジュ出版がこの著者の本を出したいと思うのは、その人の「声」が大きな理由となっている。
事実、その方の文章を読んだことがなくとも、声を、話を聞いて執筆を依頼した著者が何人かいらっしゃる。

文章を扱うのが出版社の仕事ではあるものの、
文章が嘘をつくこと、そして文章がすべてを伝えられないことを、わたし自身よく知っている。
なので、文章よりも遥かにごまかしのきかない情報を持つ「声」が、この出版社の発行の基準となった。
ただし、一度その人の声を信じてからは何年でも原稿を待つ。
いつかの自分がそうであったように、その原稿が誰かにとっての救いになることだって、
あったりするのだから。

 本を書くことは、そんなに簡単じゃない。作るにも読むにも時間がかかる。とくに、その著者の人生を色濃く映し出す内容であればあるほど。なので、著者のバイオリズムに合わせて何年でも待つ。時間がかかる内容をお願いすることに決めたのはこちらなのだ。その代わり、その著者の「本当」が書かれているかどうかを徹底的にこだわる。この編集作業はまるで、著者との、何かの試合のようにも思えてくる。 
 だけど、センジュ出版は知っている。  
 その著者の中に眠る、世界を救うほどの、ちいさな言葉の力のことを。(『しずけさとユーモアを』(エイ出版社)P288 古書店に残る声より


#今日の (正確に言うと昨日の)一冊
#まとまらない言葉を生きる
#荒井裕樹
#212 /365

*本日の投稿も明日へ


#しずけさとユーモアを
#エイ出版社
#声

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