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イチローの「ちゃんとやってよ」の深い意味

プロ野球選手のイチローが、高校球児を訪問コーチする機会がありました。チームは、甲子園常連・智弁和歌山高でした。

この高校は、この後の甲子園大会で見事優勝します。

「ちゃんとやってよ」

イチローが球児に野球を教えた最終日に、花束をもらって最後に球児たちに向かって発した言葉が、「ちゃんとやってよ」でした。一度ではなく、他にはとくに語らず、ただ「ちゃんとやってよ」とだけ言って高校をあとにしました。

なぜかこの言葉が印象に残りました。

私は球児ではないので、野球という取り組みで何か感じた訳ではありません。

分析すると、これは教えた人が教えられた人へ伝えた言葉です。
素直に考えると、「俺が教えた事をちゃんとやれよ」でいいのですが、イチローの言葉のチョイスは違いました。
何が違うのかと言うと、「やらされる」のではなく、球児たちは「やる気にさせられている」というところだと思います。

もちろんイチローは、誰もが認める偉大な選手です。
球児にとっては雲の上のその上の人でもあります。
その人から直に指導を受けたわけですから、必ずその期待には応えなければなりません。

ですから、イチローは彼らにたくさんの最後の言葉は必要なく、たった「ちゃんとやってよ」でよかったのです。それは「教えた事をちゃんとやってよ」だったのです。
球児は、きっとやったんだと思います。だから、優勝出来たのです。指導する、とはこのこと何だと思います。

皆さんの疑惑として、どうせ優勝候補の高校だったんでしょ、思われているのではないかと思います。実は和歌山大会での優勝候補チームは別の高校(市立和歌山)でした。ドラフト候補のピッチャーがいるチームです。

親子でも、上司部下、先生生徒でも、どの関係においても上下関係が発生するときに少しこの言葉を思い出して欲しいのです。
上の者が下の者へ何かを伝えるとき、下の者はすることが前提で上の者はただ後押しする言葉であるかどうかです。
上の立場の者はただ言葉をかけるのではなく、下の者への事前の配慮が出来ているかどうかです。
それが成されていれば、結果は自ずと導かれます。

もうひとつ、イチローから教えてもらったこと。
体育会系の人は経験あると思います。
長時間の運動・休憩なし/休みなしの練習。。。。
そして、あとになって「だらだら練習やっても身に付かない」と言われたものです。
このことのイチローが教えてくれた説明は、人間は無意識のうちに体力を持たせようとするのだそうです。
部活が授業終わりの放課後午後8時とした場合、身体がその時間まで体力を持たせようとしてしまう。仮に1時間に20本バッティングするとしたら3時間なら60本です。人間の身体には限界があるので、60本なら体力を1/60ずつ使うわけです。となると1本のバッティングの強さも1/60になります。
それなら、練習を1時間にして自分の力を20本に込めるほうがよっぽと力強いスィングができるわけです。

やはり、大リーグで長年続けられてきたのには、納得できる理由と信念があるとつくづく思います。

長くなりました。お読みいただきありがとうございました。
シニアの達人


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