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診察記録:9-4-2017

投げ銭記事とさせていただきます。投げ銭部分にはヘッダーに利用した写真(2560 × 1920/今回は小灰蝶です)を添付します♪

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地元病院への経過報告でした。

間が空いてしまったので、まず、なぜ地元病院へ経過報告?ですよね。

noteから離れている間に、いろいろありまして…ありすぎて、時系列で別にちゃんと履歴を書かないと、と思っております。

まず、現在わたくし、メインの治療は都内の病院で臨床試験に入っています。そして完全に転院はしていません。並行して元々通っていた地元の病院にも、経過報告をしに通っています。

本来は、よほど元の主治医と仲違いでもしなければ、これが普通なのだと思います。たとえば関東から関西への越境での臨床試験入りとか…こういった場合は元々の主治医への報告は、よくあることです。

臨床試験(治験を含む)は、特定の病院でなければ受けられませんし、条件があわなければ受けられない治療です。中には入院して行うものもありますし、通院しながら外来で行うものもあります。私の入った臨床試験は、初回3回までは入院が必要でした。今後は通院に切り替わる予定です。

いつかは臨床試験の治療が終わることや、切り替わることもあるでしょうし、わたし自身、長くても数ヶ月に1度のペースで報告を入れに行こうと、当初から考えていたのですが…現在、月1ほどで報告に行っています。

実は8月に行った2回目の試験薬投与の休薬期間の通院で、運悪く風邪をもらってきたらしく、激しい嘔吐でヘロヘロになり。たまたま翌日に、地元主治医へ経過報告の診察予定を入れていて。

臨床試験なので、禁忌になっている薬も当然あります。ステロイドや抗生物質の処方だけは避けてもらうことが前提のはずなので、朝一の電話で都内病院に確認、あとはタクシーで地元病院へ駆け込んで、地元主治医に点滴を入れてもらい、何とか事無きを得るという事件もあり…

こういう連携の仕方も、ありなんだなぁ…と改めて、並行してそれまでの病院にも通うことの有り難みを体験したところです。

頼めば救急車で直接、都内病院まで運んでもらう事も可能ではあるのですが…なるべくなら、そこまで大事にしたくない程度の症状でもありました。微妙に都内への移動がしやすい距離感であることで、迷ってしまうことも多々あります。

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というわけで、愛しの地元主治医の元へ、3回目の投与後の経過報告へ行ってきたのが、この月曜日。

相変わらず前置きが長いです、申し訳ございません。

でも、noteだと「愛しの主治医」とか書いてもサマになっていいですね(苦笑)、本人を前にしたら絶対クチが裂けても言いませんけど。

ほんとに地元主治医とはツーと言えばカー(の必要あるのか?)、腹を割って話が出来るようになったと思います。最後にやった抗がん剤治療では、とうとう足首を差し出しましたし。でも最初からそうだったわけではありません。去年1年、時には悔し涙を流すような言い合いをしたこともありました。そうやって、成長してきた間柄なのだと思います。

そういうノリなので、先日も、呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン、とは言わないまでも診察室のドアをくぐって「こんにちはー♪」と明るく挨拶。

前回は旦那氏付きでヘロヘロだったため「今日はひとりで大丈夫?」と珍しく心配されてました。酷かったら翌日も救急に行くかもと言っていて、結局行かずに済ませたのもあって。翌日の救急担当は主治医だったらしいので、行ってあげたかったんですけどね(テヘペロ)

経過報告のスタートは、今の体調から。

試験薬の投薬後から最初の週は、今回からステロイドを使うことになったこと。それでも2週目は、どうやら体力の低下などがあるようで、どうも息が上がりやすかったり風邪をもらいやすかったりはしそうです、と報告。なので今週は要注意。でも前回のような酷い事態にはなっていません。

現在の体調の報告を済ませてからが、今回は本題でした。実は3投与目の入院中に「6月の時点で左胸(乳頭下)に転移病変があり、そこで効果判定をしている」という新しい事実が分かりまして…

あるんですよ、奥さん、こういうことって(笑)

大きな病院だったりするほど、伝達ミスとか起こりやすいんだなぁというのと。わたしが臨床試験に入った時の外来診察と入院治療のスケジュールの入れ方などで、都内主治医の不在時に、不測の事態というのがあったりしたため…ちょっとした、こういうことが伝わってなかったんですね。そんなスケジュールミスからの、とばっちりで告知をしてくれたのは、入院した病棟での担当医でした。

「ちょっとしたって、転移じゃない?!なんでそんなに呑気なの?」と思われるかもしれませんが、その6月の時点で実は脳に転移があることが判明し、放射線治療に急に変更になった…ということもあって、もはや左胸の1cmは些細な事として私は消化しています。

そして、ひとまず2投与を終えて、腫瘍マーカーの低下と残っている病変は少し縮小していることなどを報告。

4期治療だし、簡単に喜んではいけない…そんな風には気を引き締めたりします。

それでも、医師である先生方も「やっぱり人間だなぁ」って思うのが、こういう時に少し笑みが表情にみえるんですよね。一緒に、少しだけ喜んでくれる。そういう医師に出会えていて、私はラッキーなのだと、幸せに思う瞬間です。

それ以外にも、報告という名の会話は続きます。

入院中にいれたCVポートのこと。先にポートの説明は聞いていたとはいえ、局所麻酔で進む手術を受けてみてやっぱり『うへぇ』と思ったこと。

入院していた間に知り合った、他のがん種の人たちとの交流や、そういう経験をして感じたこと。

例えば、自分の癌の事はよく分かってなくても、自分の要求をグイグイ言えるオバちゃんパワー全開の人って強くて。台風みたいに入院しに来て「ご飯まずくて4kgも減ったわ!」と言いながら、すぐに退院していった人もいて。でも、そういう人だからこそ初発から20年、転移での局所治療を交えながらも生きながらえていたり。そういう運の強い人に、あやかりたいかも!というのには「オバちゃんには、ならなくっていいからね〜w」と言われちゃいましたが…(あれ?でも私、先生よりオバちゃんだけどなぁ)

今まで自分が自分で生きづらくしてきたんだなぁと最近は思ったりしていること…そんな心の話まで聞いてくれて。心の話だからこそ真剣に聞いてくれていたような気がします。

がん性の疼痛への痛み止めなどは、継続して地元病院からもらっています。でも、最近は飲まなくていい日もあること、眠剤も使わない日がある事など報告して、足りなくなっている薬だけ出してもらう事に。痛み止めなど使わない日がある事については、良かったねぇと…たしかに、春頃には再増悪で痛み止め増やしたりしていたから、それから考えたら随分と楽になったと思います。

それに、今後、都内主治医が忙しくなってしまった時に、別の先生にスイッチした方がいいのかなぁ、なんてお悩み相談。元カレに、イマ彼の相談をしているような状況です。地元主治医は、少しニヤついて「でも現都内主治医さんは勢いがあるしねぇ」「すぐに考えなくてもいいんじゃない?」なんてアドバイスをくれました。

真面目な話、治療をお任せするんですから、あまりに忙しくて3分しか診てもらえない状況が続くのは自分にとって良くないことだと私は思うのです。わたしは、自分の聞きたいことがちゃんと聞けて、しっかり話し合える人に自分を任せたい。

そして最後に、気になっていた今年の乳癌学会の抄録について、問うてみました。

実は、HER2「陰性」乳癌でも、HER2の遺伝増幅のあるトリネガの人に対して、HER2療法をしたほうがいいのではないか?というような抄録を見かけまして…自分がコレに当たるかは定かではないのですが、可能性は高いタイプであることは分かっているのと、その抄録に関わっているのが地元県のがんセンターの病理の先生なのもあって興味があり。これってどう思いますか?と聞いてみたのだけれど…地元主治医いわく、けっこう前から良く出ている話題らしく、結局上手くはいってないのだそう。ちょっと残念…

私の抱えている乳癌は、そういった部類の希少がんであることは、今回の臨床試験に参加したことでハッキリと分かっています。

希少がんとは、欧州では「年間発生数が人口10万人あたり6例未満の悪性腫瘍」、米国では「年間発生数が人口10万人あたり15例未満の悪性腫瘍」と定義されるがん種です。日本においては、これまで明確な定義が存在していませんでしたが、2015年3月に厚生労働省の「希少がん医療・支援のあり方についての検討会」が設置され、(1)概ね罹患率(発生率)人口10万人当たり6例未満、かつ、(2)数が少ないため診療・受療上の課題が他のがん種に比べて大きいがん種を希少がんとして扱うようになりました。(国立がん研究センターHPより抜粋)

地元の通院先では、私のようなタイプの患者は、やはり稀なようで…そんな中で、こうやって臨床試験を受けながら経過報告で並行して通い続けているのも、かなり珍しいケースなのではないかと思います。

でも、難しい経過をたどる乳がん患者は、0人じゃない。

最初は私も、臨床試験に入ることが不安だったり、転院を心細く思うこともありました。転院してしまったら元の病院にはかかれない、というような主旨のデマを吹聴する方も残念ながら、いらっしゃいました。ですからメインで治療する病院を、変更する決心をするまでに余計な時間を費やしてしまったのです。

*ちなみに、わたしの通う地元の通院先病院は総合病院であり、地域のがん診療の連携拠点病院にも指定されています。ですから標準的な治療はきちんと施されています。ただ私のように標準的な治療が合わなかった場合の治験や臨床試験は地元の病院では出来ないのです。

だからこそ、治療方針をめぐっての仲違いなどがなく、上手く医師と患者の関係が保てているのならば…こうやって今まで通りに、地元の病院にも報告に行けたり、些細なことは地元の病院で診てもらえるのが、当たり前であってほしい。

治験や臨床試験などの治療がひと段落し、急性期を過ぎれば地域の病院へ戻ってくださいというのは、都内の病院ではごく当たり前のことです。ならば「その時期を待って、終わったから面倒を見ろ」ではなく、臨床試験の間から「こうなっています」と経過を報告できている方が、地元主治医も患者である私にとってもWin-Winの関係が保てるのではないでしょうか?わたしは、そんな風に思うのです。

もとより「がんセンター」に通う場合は、癌性の症状以外は「かかりつけ医」を頼らざるをえませんから、当然といえば当然のことでもあります。

手探りながらも、並行して通院させてくださってる地元主治医と都内主治医には、感謝の日々です。

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去り際のオマケで、都内主治医が実はメタラーという話もちょっとだけしちゃいました、へっへっへ。

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