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戦国note

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2023年11月の記事一覧

明石城「櫓特別公開」訪問記

 兵庫県明石市にある明石城は、日本100名城の一つでもあります。築城は江戸時代初期の元和5(1619)年。築城者は小笠原忠真(忠政)ですが、将軍徳川秀忠が直々に築城の命令を出しました。明石城は、西国大名への押さえとして築かれたのです。  ちなみに小笠原氏は、信濃守護を務めた家柄です。小笠原長時の代に居城の林城を放棄。その子・貞慶の代に松本城が築かれました。忠真は貞慶の孫にあたります。  忠真はその後豊前小倉に転封となり、以後は松平氏などが明石城主となりました。 現存する

三入高松城~安芸の知られざる名城

 高松城という名前の城は、全国に複数あります。讃岐高松城や備中高松城が有名ですが、広島県にも「高松城」があります。三入高松城や高松山城とも呼ばれます。 三入高松城を築いた熊谷氏 三入高松城は、鎌倉時代からの領主であった熊谷氏の居城です。 「平家物語」には、源氏の武将・熊谷直実が平敦盛を討ち取る「敦盛最期」という有名なエピソードがあり、教科書にも載っています。熊谷氏は、この直実の子孫にあたります。  戦国時代、熊谷氏は毛利氏に従い、その勢力拡大を助けました。しかし、関ヶ原の合

吉田郡山城~毛利氏の繁栄を伝える大城郭

 安芸の国人領主から、中国地方の覇者に成長した戦国大名が毛利元就です。  毛利氏は鎌倉時代から安芸の吉田荘の領主でした。吉田郡山城は毛利氏の居城で、室町時代の享徳二(1453)年以降には本拠地として史料に登場します。  毛利元就が城域を郡山全体に拡大し、西国の覇者に相応しい巨大な要塞となりました。元就の孫・輝元は広島城を築いて本拠地を移し、その後吉田郡山城は廃城となりました。  広島市街地からバスで1時間半ほどで、安芸高田市役所前に到着。安芸高田歴史民俗資料館の脇から登

広島城~西国の覇者の城の楽しみ方

 広島城は、毛利輝元が太田川の河口に築いた近世城郭です。関ヶ原の戦いで毛利氏が敗れると福島正則が入り、福島氏改易後は浅野氏の居城となりました。  明治以降も、天守や表御門、太鼓櫓といった貴重な建物が残っていましたが、1945年8月6日の原爆投下によって全壊。残念ながら現存建築はありません。 二の丸の防御上の役割とは 現在の城址公園の入口にあたる表御門は、平成時代の再建です。ここから二の丸に入ることができます。  現在、広島城の遺構は本丸と二の丸程度しか残っていません。下図