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前回はこちら。 天下人・織田信長の事績を記した良質史料『信長公記』の、本筋に関係ない記述を紹介する本シリーズ。 今回は天正7年(1579年)のできごとです。おそらく、京都の町中で話題になった出来事を書き留めたものでしょう。 京都四条小結町の殺人事件 京都で前代未聞のことが起こった。京都四条の小結町に、70になる後家の老婆と娘が暮らしていた。4月24日の夜、娘は上等の酒を買い求め、母に飲ませた。娘は、寝てしまった母を刺し殺し、革張りの丈夫な籠にいれてしっかりと縛った。
前回はこちら。 オカルト風の話が連続しましたが、『信長公記』の割とどうでもいい記述のパターンはほかにもあります。 「山中の猿」(巻八の五) 天正3年(1575年)の頃の話である。 近江国と美濃国の間に山中という地名がある。その道に傍らには、いつも体の不自由な乞食がいた。信長は、上洛・下向のたびにその乞食を見かけるので、土地の者に尋ねた。 「乞食というものはあちこちに流れていくものだが、あの者はなぜいつも同じところにいるのか」 土地の者は、次のような言い伝えを教
前回はこちら。 前回は怪談じみた話でしたが、今回も不思議な雰囲気で始まります。首巻の第27節の記述です。 大蛇が現れる池 信長の青年期の話である。織田家臣・佐々成政の居城・比良の近くに「あまが池」という池があった。その池には、恐ろしい大蛇が出るという言い伝えがあった。 ある時、又左衛門という者が大蛇を目撃し、その噂が信長の耳にも達した。信長は自らあまが池を訪れ、池の水を干して大蛇を探すよう命じた。ところが、いくら調べても大蛇は見つからない。信長も、自ら脇差を口にくわ
『信長公記』は、織田信長・豊臣秀吉に仕えた武将・太田牛一が書き残した史料です。桶狭間の戦いや長篠の戦いなど、信長の生涯のできごとを知るための基本史料です。 記述も詳細で精度が高いと評価されていますが、通読すると面白いことに気づきます。 若いころ「うつけ」と呼ばれた信長の奇行、斎藤道三と対面した逸話、浅井久政・長政父子と朝倉義景の髑髏を酒の肴にした――といった有名な話に混じって、世間の人々の噂になった事件など、大衆紙の三面記事のような記事がしばしば挟まっているのです。
宗麟「困った。困った。」 作者「どうしたんですか?」 宗麟「次男の親家がさ、いくつになってもちゃんと仕事をせず、ぶらぶらと遊んでいるんだよ。何をやらせてもかえって事をおかしくしてしまうため、いつもにハラハラするんだよね。でもいい子なんだよ。肩ももんでくれるし、シスター合コンのセッティングもしてくれるできる子なんだよ。」 作者「合コンはともかく........。宗麟さんがハラハラってすごい息子ですね。」 宗麟「覇気はあるんだよ。天下とったるで!とかいうしね。でも気性が荒