小松雅利

バブル以後の日本では仕事内容の多様化が課題だと言われてきました。私の学生時代、教授から…

小松雅利

バブル以後の日本では仕事内容の多様化が課題だと言われてきました。私の学生時代、教授から「国内で夢を実現させることばかり考えないで、もっと広く海外を見渡し、歴史に残る自分の位置を作り出そう」と指導されました。それから30年。お金やモノでなく、豊かさを感じられる活動に精進したいです。

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三世代の画家 | 小松雅利

N・C・ワイエス(1882年~1945年)はマサチューセッツの農場で少年時代を過ごした後、デラウェア州に行き、有名なさし絵画家ハワード・パイルに学びました。 西部への強いあこがれを抱いてコロラド、アリゾナなどを転々としながら、アメリカの自然と人間を描き、「宝島」などのさし絵で評判もとりました。 自画像やインディアンの絵などには確かな技術が感じられます。 丹念な描写のドライブラッシュやテンペラ作品に水彩、鉛筆デッサンを加えて、その鋭い持ち味を楽しませます。 15年にわた

    • 脚本家・橋田寿賀子(はしだ・すがこ)さんがなぜ「おしん」を書いたかというと、あれは辛抱を書いたのではありません。 今の幸せをもう一度考えましょう。 アイスクリームがあんなにおいしく感じたころのことをもう一度思い出してほしい、と思ったからなのです。

      • 戦後の日本は一生懸命働いて、外国に物を売りすぎて円高になってしまいました。 気がつくと、足元の農業をこわそうという力になってはね返っています。 日本だけが頑張り過ぎても、周りに迷惑をかけます。 自分だけが良くなるということは、もう通用しないのです。

        • いま、時代のテンポというか、変わるスピードが速いです。 典型的なのは音楽で、むしろ子どもに教わります。 われわれの世代の音楽、シャンソンとかタンゴなんか、もうレトロになっています。

        三世代の画家 | 小松雅利

        • 脚本家・橋田寿賀子(はしだ・すがこ)さんがなぜ「おしん」を書いたかというと、あれは辛抱を書いたのではありません。 今の幸せをもう一度考えましょう。 アイスクリームがあんなにおいしく感じたころのことをもう一度思い出してほしい、と思ったからなのです。

        • 戦後の日本は一生懸命働いて、外国に物を売りすぎて円高になってしまいました。 気がつくと、足元の農業をこわそうという力になってはね返っています。 日本だけが頑張り過ぎても、周りに迷惑をかけます。 自分だけが良くなるということは、もう通用しないのです。

        • いま、時代のテンポというか、変わるスピードが速いです。 典型的なのは音楽で、むしろ子どもに教わります。 われわれの世代の音楽、シャンソンとかタンゴなんか、もうレトロになっています。