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政次の手紙#07

文次殿

 久しく便りがないから心配しておりましたが、十月五日付けの書面が十月二十五日に到着致しましたので、大いに安心致しました。ますます武運強く健康にて奮闘せられ、また集合教育も無事完了し、近い内に入校の運びになった事は大いに満足致しました。日頃の努力の結果が良き実りを挙げた。ますます奮励努力して相当以上の成績を上げられる事を切に希望する次第であります。

 去る二十八日、福岡連隊に行きて石田隊長のご帰還を尋ねましたが、直接郷里(カタカス)に退営されていたのでお伺いする事ができず、いずれそのうちにおたずね致すことを考えております。それより粕屋郡和白村の太田正助氏を訪問致しまして、詳しく近況を聞きました。集合教育の成績も二、三番位で完了した事と思います。近々、学校へ入校する事です。また体も極強状である万事都合よくしていますと聞きまして、大いに喜んでおります。内の方は皆々元気よく働いておりますから決して心配はいりません。ご安心ください。

 豊村さんの方から隊名をお聞きになっていたから、定めて慰問袋か何か送られた事と思います。着いたら礼状とまた留守中宣教頼むの意味を出してください。内も慰問品を取り揃えて宗像の学校の分とともに慰問袋を作りて明五日に発送する。着いたらお返事ください。この手紙の着くころは定めて気候もよくなっておろう。また在校中と思います。学校よりの書面を見たいと考えます。勉強もある程度ものです。あまり無理をして体を壊す様なことがありては大変ですからまず健康を第一に。この度暇ができたら武装した写真が必要ですから送り手ください。入校記念として。

 芹野材木屋の新君も十二月一日、山砲隊の現役に入営することに決まった。?野は三月一日、松木??は四月一日とそれぞれ第一乙(※第一乙種か)は皆現役に編入せられました。

 粕屋郡立花村原上出身の井浦准尉という人はかねて桶屋の竹を割りに行きて泊まりて戻った。内のあの井浦??ですよ。同隊にでもおられるなら名乗りてごらんなさい。さようなら。元気よく


 昭和15年11月4日

?は判読不明

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