『千読』とは、

世界中で、新型コロナウイルスが猖獗している。

お道にとっても異例の事態が続く。

学修、春学、こどもおぢばがえりの中止。
月次祭は、参拝者ご遠慮など――。

おふでさきから思案しても、「神の残念」の現れであることは、おそらく間違いないだろう。

この大ふしに、さんげするだけでなく、何か事を運ばせてもらいたい。

そして、5年後、10年後には、「あの時があったから」といえるような動きをしたいと思い、本稿を発刊する運びとなった。

今の旬は、とりわけ行事の多い時期である。

次代を担う人材の育成行事が盛り沢山の三月。
教祖の誕生月に加え、大きな節目を迎える婦人会の記念総会。

敢えてこの旬に、こうした姿をお見せ下さったということに、深い思惑を感じずにはいられない。


「行事をこなすことが信仰ではない」
「人を集めるだけがにをいがけじゃない」
とご指摘くださっていると共に、

「心しづめてしんをたずねよ」
と語りかけてくださっているように拝察する。

まさに今こそ、教えの有難さ、素晴らしさを再認識する旬であろう。


教祖は、この有難い教えを、私たち人間が得心しやすいように、

口に、筆に、ひながたによって、

種々と手を尽くして教え導いてくださった。

中でも、「筆」は、つい軽視してしまいがちだが、はなはだ理が重いと思う。

 このよふはハりいでせめたるせかいなり
 なにかよろづを歌のりでせめ (一・21)
 せめるとててざしするでハないほどに
 くちでもゆハんふでさきのせめ (一・22)

また、

ふでさきというは、軽いようで重い。  
軽い心持ってはいけん。

(明治37年8月23日)

と示されている所以である。

信仰の喜びや感じた親心を、精一杯言葉にして書き記す文書伝道も、
大切な、一つのひながたを辿る道であると悟らせていただく。


教祖は、お側の方々に、「こふきを作れ。」と仰った。

私自身も、教祖のお側に仕える道具衆たる自覚をもって、力強く踏み出したい。


どうかこの紙面が、少しでも皆様方の教えにふれる時間となれば幸甚である。

 にち/\に神のはなしをたん/\と
 きいてたのしめこふきなるぞや
(三・149) 

R183.4.4


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