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前回からの続き。教祖は、①「信じていない人」に対し、どのように導かれたかを考察して参り…
教会長の理のお許しを戴いて、はや半年が経ちます(令和5年7月現在)。 まだまだ分から…
長蛇の列ができるお店のラーメンも美味しいけれど、お腹ぺこぺこで食べるカップラーメンも美…
前回まで、貧に落ちきるひながたの道を「裸になる」というテーマで思案してきました。 そ…
青年会本部の一月例会で、大亮様のお話に感激した。 基本方針は昨年と同じ。活動目標の一…
今回は、 「貧乏」という言葉について考えてみたい。 「言葉」は、それらが指し示すイメー…
これから神様のお言葉を頼りに、ひながたの道を思案していきたいと思います。 中でも「おさしづ」を通して、貧に落ちきられた思召を探求していきます。 ◆ おさしづ 明治二十三年六月十二日 元々は難渋でなかったけれども、有る物やって了うた。難儀不自由からなけにゃ人の難儀不自由は分からん。 ( 午後六時 梶本松治郎身上伺 ) このたび取り上げるお言葉は、上記のおさしづです。 ※梶本松治郎先生は、初代真柱様の兄。以前から教祖は、梶本家にお屋敷へ入り込むよう仰せら
これから数回にわたり、教祖が貧に落ちきられたひながたについて、じっくり思案していきたいと…
両親もこの様子を見て、十六歳の年には、 全く安心して所帯を任せた。 『稿本天理教教祖伝…
『稿本天理教教祖伝』 p16 文化十三年春、十九歳の時、勾田村の善福寺で五重相伝を受け…
『稿本天理教教祖伝』 p11 教祖中山みきは、寛政十年四月十八日朝、大和国山辺郡三昧…
『稿本天理教教祖伝』p4 いつも加持台になるそよを迎えにやったが、あいにくと不在であった。…
『稿本天理教教祖伝』 p235 これより先さき、飯降伊蔵の妻さいし子は、前年の九月から既にお…
ある先生から言われたことがある。 「『なぜだろう』と、疑問を抱きながら教祖伝を読むと、その味わいが分かってくるよ。」 確かに、教祖伝には 「なぜ?」と思う箇所にいくつも出会う。そして、理由を思案していると、辿りつく答えはいつも同じ、 「教祖の親心」だったりするのだ。 先生の仰る通り。私もここに、教祖伝を読む面白さがあると思う。 ◆ 『稿本天理教教祖伝』 p73 さて、つとめの地歌は、慶応二年「あしきはらひ」に始まる。 慶応二年秋、教祖は、 あし