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岩渕香里さんにエールを頂きました!

皆さんこんにちは!OTONAのYELLをご覧下さりありがとうございます。

今回は長野県上田市菅平出身のスキージャンプのオリンピック選手、岩渕香里さん(以降、岩渕さん)にインタビューをさせて頂きました。(インタビューは思い出の上田市立菅平中学校で行いました。)

たくさんのお話をお聞きし、私たちの質問にも答えていただいたので、今回は対話形式で進めて参ります。楽しんでご覧下さい♪

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インタビューは図書館で。

今回のインタビューは、菅平中学校様にご協力を頂き校内で撮影させて頂きました。岩渕さんは学校内でも特に「図書館」がお好きだという事で、沢山の本が並ぶ綺麗な図書館にて撮影させて頂きました!

記者:どうしてインタビューの場所に図書館を選ばれたのですか?

岩渕さん:小学生の頃と中学生の初めの頃は、ほぼ記憶が無いくらい何も考えずに生きていました。授業中は常にブランコに乗っていたいなどと思い、早く授業が終われって思っていたような、なんの身もない時間を送っていて(笑)
でも中学校後半で本を読んでみて、「あ、図書館ってこんなに本がいっぱいあって楽しい場所なんだな」って気付いて、それから図書館や本が好きになって、そのお陰で今でも本をよく読んだりしているので選びました。

お気に入りの場所で本を読む

〈記者〉
思い出の場所なんですね。

〈岩渕さん〉
そうですね。しかも綺麗だしここ(笑)図書館のある校舎は、私が小学校高学年くらいの時に出来て、中学生時代は綺麗だったからいたかったっていうのもあるかもしれないですね(笑)
しかも図書館のある棟を建てたのが北野建設だったから、今思えばすごいご縁だなって思います。(岩渕さんは北野建設のスキー選手です)

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Q1 高校生の思い出を教えてください

私は中学校を卒業後、菅平を出て飯山高校でスキーがしたかったので、飯山高校に行きました。菅平からはとても遠くて、競技しながら学校に通ってるのが無理だったので、寮生活をしていました。
一番印象に残ってるのは寮での生活が大きいです。今、歳を重ねてきて今の自分を作るのに、そこで過ごした時間はとても大きなものでした。体育会系の厳しい学科だったので、先輩に呼び出されて怒られたりなど、今ではやってないようなことがあってとても厳しかったのを覚えています。辛かったけど、一緒に暮らした同級生などとの出来事も今となっては笑い話だし、凄く「そんな事もあったよね」となる大事な思い出です。
そこで学んだ理不尽な事や、上下関係の事なども、今では選手としての世界に生きていて、役に立っている事も多いかなと感じます。

〈記者〉
寮生活で家を離れて寂しくなかったですか?

〈岩渕さん〉
それはなかったです。練習と学校と、寮に帰ってからも仕事があったり、起きたら大きい声で挨拶しないといけなかったりと、当時は「寂しい」という感情が出る前に生きるのに必死でした。
自分が不器用でそういった事に対応できず、必死になってしまって寂しい感情が出る前に必死で生きていたと思います。

Q2 今の職業に就いたきっかけを教えてください

とにかくスキーをしたかったというのがあります。
今所属している企業が「北野建設」という長野県の企業で、もともとここ(菅平)で生まれて、高校も飯山高校に行き、大学も長野県内の松本大学という私立大学に行って、できる事なら長野を離れたくありませんでした。あと、高校までに長野県内でコーチとしてお世話になった人や指導からも離れたくなっかたというのもありますね。
当時は女子スキージャンプという競技が大学のインカレなどでポイント化されるようになってきており、色々な大学が女子ジャンプ選手を欲しがっていました。関東の方(の大学)から結構お声を掛けていただきましたが、目標がインカレではない事や、そっち(関東)に移動する時間や手間など、色々考えると関東に行く意味を見出せなくて、結局長野県内の大学を選びました。今考えるとそれは凄く良かったと思っています。
大学卒業後は、長野県に居たいと思いこの会社(北野建設)でスキーが出来たら一番いいなと思っていたら、上手いこと拾ってもらって今に至っています。

考え中

〈記者〉
インカレが目標じゃないと言っていましたが何を目標にされていたのですか?

〈岩渕さん〉
オリンピックですね。
その頃は、もう少しで女子スキージャンプという競技がオリンピックの正式種目になるかならないかくらいの時で、ソチオリンピックの前のバンクーバーオリンピックで残念なことに(正式種目に)なれなくて。
でも、正式種目になるために国際スキー連盟が頑張ってくれてソチオリンピックではなんとか競技になることができまして、そうなったら自分の目標はもうソチオリンピックでした。
それに自分的には国内で跳ぶよりも、ワールドカップなど世界大会で跳びたいと思っていて、それもあり結局関東の大学へは行きませんでした。

〈記者〉
なるほど。ずっとオリンピック選手が目標でしたか?

〈岩渕さん〉
私が競技を始めた時はまだ正式種目でも無かったし、始めた時も性格的に何がなんでも1番になる!とかチャンピオンがいい!っていうタイプじゃなくて、単純に競技が楽しかったから競技を続けていました。何となく成績が出てきたら、欲が出て結果を求めて生きていたんですけど、(女子スキージャンプが)オリンピックの正式種目になってからは確実に目標はそこ(オリンピック)でした。でも、その前までは来る試合に向けてただ頑張るって感じで、流れで競技をやっていました。

Q3 今の職業について良かったことはなんですか?

スキージャンプって簡単に誰かができる職業では無いので、この歳までスポーツでお金を貰って生きていられるっていう生活はすごいなって思います。すごく運が良かったというか、出会いに恵まれていて、こういう風にここまで人生を送れてこれてありがたいなあと思います。
あとは、会社員とか、スキーをやっていなかったら何をしていたかとかは全然わかんないんですけど、スキーをやって居たからこそ出会えた人とか持てた価値観とかもあって、それが良かったかなあと思います。多分普通に(スキージャンプ選手にならずに)生きていたら、生きる世界が狭かっただろうし、性格的にも自分から知らない世界へ足を踏み出す勇気はないタイプで(笑)
自分の知ってる範囲内でぬくぬく生きていたいタイプだから、競技というのを職業にしているおかげで、問答無用で(自分の知らない範囲に)出なければいけないから、そういう経験が出来ているのは良かったかなって思います。

Q4 高校生のうちにこれだけはやっておけ!ということを教えてください。

する事が後になって正しかったかどうかは別として、何かに全力になった方がいいんじゃないかなと思います。
こういう職業で生きてきて振り返ると、高校や中学で、違うことに興味を持って没頭していたら多分そっちの道に進んでいただろうし、たまたま没頭したものがスキーだったから今私はこうなっているんですけど、のちにその興味が薄れて、それじゃなくなったとしても、「あの時あれに没頭していたな」っていうのがあったとしたら、いいなと思います。
この歳になってすごく思うのは、高校生って若さのエネルギーが全然違くて、自分の心が燃えるようなものに向かうエネルギーは今この歳(成人後)の私がよしやるぞ、って向かうエネルギーと全然違ってエネルギッシュだから、そのエネルギーがあるうちにやりたい事に注いだ方がいいと思う。
例えば、趣味で釣りがしたいと思って釣りに時間を費やそうとしても、お金もかかる時間もかかる…って考えることがいっぱいで、そういう壁に直面すると大人は多分やめちゃうけど、高校生は多分いけるから!
もちろん親御さんのサポートあっての事かもしれないけれど、高校生のうちに何かに没頭した方がいいと思います。

Q5 これから大人になっていく高校生に向けてエールをお願いします!

興味に限界をつけないで、突き進んで欲しいです。
興味のあることに突き進むことが一番勉強捗ったりするだろうからね。まぁあんまり勉強してないからわかんないんだけどね(笑)
興味持っていれば頑張れる!義務じゃなくて、自ら求めることになるからね。だから興味には限界をつけないでほしいなと思います。

笑顔でお応え頂いています

〈記者〉
ありがとうございます。
それではここから個人的な質問をさせて頂きたいのですが、、、

〈岩渕さん〉
どうぞどうぞ!

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ここからは記者&カメラマンが考えた質問にお答え頂きました。

Q 競技をやっていて、怪我も含めて、壁にぶち当たった時はどういうモチベーションでやりますか?

9年前に膝を怪我して、約1年間の間競技から離れなければ行けなくなって、その時は悲しんでいる暇もなく、やらなければいけない事がいっぱいで。
でもソチオリンピックっていう最大の目標がちゃんとあったから、腐らずに頑張れたんですけど。
結果が出ない時のモチベーション…それは私も教えて欲しい…(笑)
でもだいたい結果が出ない時って、絶対色んな思考が絡まってる状況だから、ほどいてあげるというか、シンプルにしてあげると、ヒントが見えてきたり、勝手に体が動いてきたりとかするんじゃないでしょうか。
勉強とかでも、シンプルに考えてみると、突破の糸口が見えそうだと思いますよ。

〈記者〉
自分もバスケを小学校からずっと続けてきたんですけど、中学後半で腰の怪我をしてしまって、結果も出ず、競技も出来なくなって1人で抱え込んで落ち込んで…どうすれば気持ちが楽になったのかなとか考えていて、、、。
もっとシンプルに考えればよかったんですね。


〈岩渕さん〉
そっか怪我しちゃったのか。怪我は(モチベーション保つのも)難しいよね。痛いし動けないし、、。

Q 自分結構飽き性で小中高で部活変えてきているんですが、(岩渕さんは)継続力をどうやって保っているんですか?


私の場合は菅平に産まれたらスキーしかなくて、選択肢のない状態で生きてきたから、選択肢があったことが素晴らしいと思うし、別に決してひとつのことを貫き通す必要は一切無いと思っています。
私はスキーしかしてこなかった人生を歩んできたけど、既に3つの部活を経験している。すごい経験値だから、そこから学ぶことはいっぱいあるだろうし、すごいいいと思いますよ。
私の同級生で、オリンピック代表レベルのレスリング選手がもう少しの所で代表選考から外れてしまいましたが、すぐに切り替えて、現在はアメリカで総合格闘家として活躍しています。だからコンバートすることは全く悪いことじゃないだろうし、それがすごく大事な時もあると思いますよ。

〈カメラマン〉
確かに考えてみれば飽き性にもメリットがありますね。ありがとうございます。

Q スキージャンプや本を読む以外にこれ!といった趣味は?

〈岩渕さん〉
相撲!

説明中

〈記者〉
新型コロナウイルスが流行する前には見に行ったりしていましたか?


〈岩渕さん〉
していましたよ!
でも最近は東京の方とか行けなくて悲しいです。
相撲ってすごいんだよ!
興味無いだろうけど、ちょっと見てみてください(笑)

〈記者〉
わかりました。ちょっと見てみます!
本日はインタビューを受けていただいてありがとうございました!

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岩渕香里さんのプロフィール

岩渕香里さん ご紹介

北野建設入社年:2016年
    出身地:長野県上田市
    出身校:松本大学
   生年月日:1993年4月28日
    血液型:A型

小学6年生でアルペン競技からジャンプ競技に転向。
地元長野県で高校・大学時代を過ごす。
2012年イタリア合宿中に転倒し両膝に怪我を負ったが、3回の手術を経て復帰。
2016年ワールドカップラハティ大会では自己最高の6位に入った。
初出場の平昌オリンピックでは個人ノーマルヒル12位。
2022年の北京オリンピックでのメダル獲得を目指す。

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今回もご覧くださりありがとうございました♪
これからも様々な業種の方々にインタビューしていきますので、是非ご覧くださいね!

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