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金山平三展@兵庫県立美術館に行ってきた

第64回日本神経病理学会総会学術集会・第66回日本神経化学大会の合同大会が神戸で開催されて出張したため、帰りに兵庫県立美術館で開催されている金山平三展を訪れました。

金山平三は兵庫県神戸市元町に生まれ、1909(明治42)年東京美術学校を首席で卒業、その後約4年間の欧州滞在を経て、文展、帝展を中心に作品を発表、審査員を務めるなど第一線で活躍しました。1935(昭和10)年の帝展改組による画壇の混乱を機に中央画壇から身を引き、後半生は精力的に日本各地を旅し、四季折々の日本の自然風土を傑出した筆づかいと豊かな色彩で描きました。
本展では、師や友との交流、列車を乗り継いでたどった足跡、明治神宮聖徳記念絵画館の壁画の仕事や芝居絵制作の取り組みなどさまざまな視点から金山平三の画業を紹介します。激動の20世紀前半、時代と四つに組み、真摯に絵画と向き合い近代日本美術に大きな功績をのこした画家、金山平三の生誕140年を記念し開催する展覧会です。

金山平三展HPより引用

なぜこの展覧会を観に行ったのかというと、実は金山平三は、日本で初めて東北大学に誕生した女子大学生3名のうちの一人、牧田らくの夫であったからなのです。

9月30日に「女子大生誕生110周年記念式典」等のイベントをホームカミングデーとして企画予定ですが、その際に3女子学生の奇跡を振り返り、未来を考えるトークセッションの登壇者のお一人として、兵庫県立美術館の学芸員の西田桐子課長にお願いをしにいく、というミッションもありました。

アカデミアで晩年を過ごした黒田チカや丹下ウメと異なり、残っている資料が少なくて人物像をあまり理解していなかった牧田らくですが、実は、画家の夫のプロデューサーとして活躍していた様子や、自身もかなりクリエイティブな"飛んだ"女性だったエピソードを伺うことができました。

夫の金山平三と一緒にダンスるをする黒田チカ

国内外、あちこち旅行して風景画で知られる金山ですが、実は静物画も多数残していました。

図録の表紙にも使われた作品。菊の花の静物画。例によって「もしいただけるなら」これ♡

兵庫県立美術館は阪神淡路大震災後に建てられ、そのエリアは震災復興のシンボルともなっています。建築は安藤忠雄。コンクリート打ちっ放しの壁、高い天井等が象徴的でした。

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