仙台四郎の御利益-卵が先か、鶏が先か
【仙台四郎】。宮城県仙台市に実在した福の神様として、民間信仰の対象になっています。
江戸末期生まれの仙台四郎は、知的障がいのため会話ができませんでした。
日々笑顔で街を歩く四郎を、笑顔で大切にもてなしたお店はみんな大繁盛。
いつしか四郎は「商売繁盛の福の神」として信仰の対象になりました。
今回は、この仙台四郎の御利益の法則について、掘り下げて考えてみたいと思います。
実在の人物が福の神といわれるまで
仙台四郎が立ち寄るお店は繁盛した、と言われています。
知的障がいを持っていた四郎は、常にニコニコと街を歩き回っていました。
四郎を温かく迎え入れたお店は、結果的に繁盛しました。
四郎を邪険にしたお店は、結果的に倒産していきました。
ちなみに、欲目から四郎の袖をひっぱって引き込もうとしたお店には、なぜか四郎は興味を示さず、そういうお店もやはり倒産していった、と言われています。
そんな現象が重なって、「四郎は商売繁盛の福の神では?」という噂が広まり、街中の人気者になっていきました。
以降、人々からもてはやされ、その動向は生存中から常に当時の地元メディアにとりあげられる存在となりました。
ご利益があるから大切にするのではなく、大切にした結果がご利益
この現象、皆さんはどう解釈しますか?
四郎が福の神だった、だから訪れた店にはご利益がもたらされた、という解釈も成り立つかもしれません。
では、御利益を期待して四郎をもてなせば『豊か』になれたのでしょうか。
私は、逆だと思っています。
目の前に現れた人の存在に対して、敬意をもって接し、まずは優しい眼差しを向ける。
そんな温かな人柄、つまり『心の温もり』を感じられるお店だからこそ、きっと四郎のみならず大勢のお客様から愛され、結果的に繁盛したのだと思うのです。
「感じの良さ」がもつ波動に人々は引き寄せられる
普段の生活の中で接する人や場所には、それぞれの波動、つまり「雰囲気」がありますよね。その正体をうまく言語化できなくても、例えばそこに「感じの良さ」があれば居心地がいいし、陰険な雰囲気を感じれば居心地が悪い。
おそらく四郎自身は、人や場の持つ波動を繊細に感じ取っていたのではないかと思います。そして、居心地の良い温かな雰囲気を感じられればその場所にとどまり、感じられなければ去る、それをただ素直に繰り返していたのではないでしょうか。
つまり、笑顔の四郎に笑顔で応えるお店には、福の神のような温かい心の人々がいた。四郎は図らずも、そんなお店の雰囲気をあぶりだす存在として機能したのだと思います。
そう考えると、心の波動を健全に整え、目の前の人間に対して誠意を持って接する日常生活の結果として、商売繁盛がもたらされたとも言えるかもしれませんね。
四郎信仰の根底にある精神文化
つまり、四郎信仰の根底にあるのは「人間性を失わず、人に対して敬意を持ち、温かく接する」という心がけ。
誰もがそんな健全な心の在りかたを常に思い出せるよう、笑みを浮かべた四郎の肖像画がリマインダーとしての役割を果たしているのだと思います。
仙台では、四郎への愛着とともに、そんな心がけが今でも精神文化として伝承されているのです。
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