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オムライスが食べたくば、卵を買ってこい

小学校五年生頃のお話。

亭主関白イズムを持つ父が怒鳴る夜が時折やってくる。僕はそんな時、早めに布団に入ってぞわぞわする気持ちと戦いながら眠る努力をする。

怒鳴るパターンのほとんどは母とのちょっとした口論から始まる。壁の薄い一軒家だったので、どんな一言が火種になったかなんて聞き耳を立てなくとも分かるほどだ。

かと思えば、僕ら姉弟が怒鳴られたこともあった。玄関が汚れていると言われ、夜遅くに高校生の姉と中学生の兄、そして小学生の僕が玄関を黙々と掃除した。

父が帰ってくる時間帯になると、僕は思考力が段々弱まってくる。帰宅時に横開きのドアを力強く開ける時の音は、その存在感を知らしめるのに十分で、うっかり居間にいた僕は急いで床につこうとする。

そんな日々を過ごしていると、慣れという言葉の力を実感する。

帰宅時のドアの開け方は微妙に力加減が日によって異なり、それはどれだけ怒るエネルギーを余して帰ってきたかに比例していることも分かってきた。

それに父も常に怒鳴っているわけではなく、自分が偉いことには変わりないが、穏やかな時は笑顔も多かった気がする。

そんな父の二面性に慣れていても、時折やってくる落雷には怯える。しかし日に日に増す既視感が恐怖を抑制しようとする。当時の感情は今でも一言では名状しがたい歪なものだった。

日曜日の朝は、気まぐれに早起きした父が朝食を作ってくれることも良くあった。

フライパンで焼いたベーコンエッグ、茶碗によそられたご飯。これが父の振る舞う朝定食だった。

これにも僕は歪で複雑な気持ちがあった。平日の朝、父は僕が起きるよりもかなり早くに家を出る。その後、パートに出勤する前の母が朝食を用意してくれていた。

実家にいた時の僕の朝食は、生卵を小さめの鉢に落としてレンジで蓋をして五十秒。目玉焼きのような、言うなれば「目玉焼かず」をトーストした食パンに乗せて良く食べていた。

つまり、普段の僕はパン食で、目玉焼かずで、父の作る朝食は白米で、火の香りがする目玉焼きという対比が生まれる。これが非日常であり、歪で、父との空間にいる居心地の悪さに繋がっていた。おいしかったけれども。

平日の朝は僕が母に作ってといって食べる。

気まぐれの日曜の朝は父が作って、食えと言われる。

朝から少しやかましい換気扇の音、料理の前後で吸ったたばこの匂いが食卓に漂う。

「うまいか?」

「うん」

「そうだろう」

ただただ早く食べ終わりたいと思ってた。

父とは微妙な距離感を保ちつつも、怒鳴っていない穏やかな時の父とは、少しずつだが力を抜いて話が出来るようになってきた。

そしてまたある日曜日の昼。居間でゲームをしているところに父が現れて、声をかけてきた。

「腹減ったか?」

「うんまぁ、少し」

「オムライス食いたくないか?作ってやるぞ」

「食べる」

「よし、じゃあ卵買ってこい」

「えっ、・・・・・・じゃあいらない」

「ならマック食べるか?」

どうせ僕が買いに行かされるわけで。

「大丈夫。家にあるもの食べる」

こんなやり取りをして、周囲と比べるとこれはこれで僕も十分甘やかされて育ったことにも気がついた。

歪で、もう二度とあの居心地の悪さを味わいたいとは思わないけれど、あの頃の感情はどう見てもユニークだ。

言葉にして書くのが面倒なほど難しくって、それでもやる気を起こして書いた「ほんの一面だけの」父との思い出。

今日はこの辺で。

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