儚い友情
最近、ある友情を終わりにすると決断した。
短期間でグッと近づいて、すぐに距離が遠くなってしまった友達。
まだ寂しいし、色々な想いが複雑に絡み合ってなかなか解けない。不器用な最後になってしまった後悔もあるし、きっと乗り越えるには時間がかかるだろう。
それでも、自分にとっての心地よさを大切にすると決めたから、心を鬼にして決断した。
INFJでHSPの私。誰にも理解されないと感じて落ち込むことが多いからこそ、私は私を理解して、受け入れたい。正しい選択だったと信じて前に進みたい。
だからこそ、このnoteを書く。
あわよくば、私の実体験が誰かに何かの気づきを与えてくれたら嬉しいなと思っている。
特別な出会い
3歳年下の彼女と知り合ったのは1年前。きっかけはSNSだった。
初めて彼女の投稿を目にした時、一瞬でその世界観に引き込まれた。「こんな子がいるのか…!」とソウルメイトに出会った気がして、ビビッときた。
彼女も私の投稿を気に入ってくれたようで、「お茶しよう」と誘ってくれた。
本来であれば、じっくり相手を見極めながら時間をかけて深い関係を築くことが多いけれど、なぜかこの機会は逃せない気がした。
初めて会った日は、今でも忘れられない思い出だ。
明るくて、人懐っこくて、ポップな彼女。初対面とは思えないフレンドリーさに、私の心はいとも簡単に奪われた。
公園でアップルパイを食べながら、音楽や映画の趣味から将来のビジョンまで、お互いのことを語り尽くした。
まるで、既に知り合いだったかのような感覚だった。
私たちには共通の何かがある…「また会いたい」と思った。
彼女と私の違い
私たちの距離は一気に縮まった。
カフェでおしゃべりしたり、映画を見たり、お泊まり会をしたり…笑顔にあふれた、楽しい思い出がたくさんある。
一方で、一緒に過ごす時間が増えれば増えるほど、彼女の価値観や言動に違和感を抱くことも増えた。
でも、当時は見て見ぬフリをしていた。彼女が大切な存在で、失いたくなかったから。
共感を求める彼女、違いを楽しむ私
彼女は、自分の好きなものを共有するのが好きだった。好きな映画やドラマを見るよう勧めたり、音楽のプレイリストをシェアしたり…
きっと、大切な相手に自分が好きなものを共有したいという純粋な想いがあったからだと思うし、私もそれに乗った。
違ったのは、共有する目的だ。
彼女は共感を求める一方、私は違いをふまえて語り合うことを求めた。つながりを感じる要素に大きな違いがあったのだ。
ある日、彼女が好きだと共有した女優を私が嫌いだと言って、ちょっとしたいざこざになったことがある。
彼女は「それじゃあ話が終わっちゃうじゃん」と傷ついているようだった。
もちろん、彼女の好きなものを否定しようとしたわけではなく、お互いの違いを楽しんで仲を深めたかっただけだ。
でも、彼女はそんな面倒くさいことがしたかったわけではなく、もっとラフな共感を求めていただけだった。
私たちは完全にすれ違った。
INFJの私は、自分の好き嫌いに明確な理由があり、こだわりがある。異なる人間が違う価値観を持つのは当然だという前提のもと、その違いをとことん語り合うことに面白さや喜びを感じる。
だから、共感することが苦手だし、強い抵抗感がある。(フリはできる)
私にとって「共感」は、お互いが持ち合わせている感情をほどほどに交換しているだけの行為にすぎない。本当にどう感じているかなんて、表面上の会話だけで異なる人間に伝わるわけないから。
分かってるフリをするくらいなら、「分からない」とはっきり伝えたい。それが私の誠実さだった。
もちろん、全く状況を踏まえずに語り合うとか手間がかかることをしようとしたり、好き嫌いに根拠があるという自分の前提を押し付けたりしたことには非がある。
でも、私はどこまでも深く、深くを好む人間。それは変えられない。
ラフな共感や純粋な楽しさを求める彼女が、遠い存在に思えた出来事だった。
本音が言えない彼女、腹を割って話したい私
友情が続かないと確信したのは、この違いが大きい。
彼女は、大切な相手であればあるほど「嫌われたくない」という意識が強まり、なかなか本音が言えないと私に話した。
他者を気遣える優しい性格なので、顔色を伺って我慢し続けた結果、後からしんどくなったり、イライラが爆発したりすることも多々あるようだった。
実際、その矛先が私に向いたこともあった。
一方、私は親しい相手であればあるほど本音を伝えることができる。というか、伝えなければいけないと思っている。
INFJでHSPなので、もちろん相手の顔色を伺って自分を抑えることなんて日常茶飯事。これまで、外面はありえないくらいフェイクな自分で過ごしてきた。(ヤバい奴なのは分かっている)
だからこそ、心を許す数少ない相手に対しては、嘘偽りのない本音で語り合うことを意識してきた。こうして深い信頼関係で結ばれた相手となら、無理せずに心地よく過ごせるからだ。
むしろ、誰かと親しい関係になる時、この過程を絶対に避けては通れない。
彼女は、そんな私の特性を受け入れて、精一杯に本音をぶつけてくれたし、苦手なことに向き合おうとしてくれた。それには本当に感謝している。
でも結局、最後は直接伝えるよりも、SNSに投稿することを選んだ。私が見る可能性のある媒体に、私が見たら分かる言葉で書き込んだ。
彼女がどんな意図で投稿したのかは今も分からない。
でも、あの投稿を見た瞬間に、親しくなるどころか「もう友達ではいられない」と確信した。
どうしても譲れなかったもの
私は、どんな激しくぶつかったり、その過程で傷ついたりしても相手を理解したいという想いの強さが同じなら絶対に分かり合えると信じている。
だから、価値観の違いは致命的な障害だと思わない。むしろ、誰にでも価値観の違いは付きものだ。
本当に致命的なのは、「向き合うことから逃げる」こと。
私は、本音を伝える不安や、ありのままの自分をさらけだす恐怖が人一倍強いと思う。相手に強い関心があるがゆえ、相手からの評価が自分の全てになってしまうから。
でも、その不安や恐怖に負けて相手に対する誠実さを失えば、私の場合は誰とも深い関係を築けない。そんな人生は嫌だ。
だから、私が友達に求める価値は勇気を出して伝えた誠意を真っ直ぐに受け取って、誠実に返してくれること。これだけは絶対に譲れない。
想像することでしか彼女の心境は分からないけれど、きっと怖かったんだと思う。
実際、本音を伝えたことで大きないざこざに発展してしまい、シリアスな空気が苦手な彼女にとっては相当なストレスだっただろう。「ほら、やっぱり嫌われたじゃん」と決めつけたくなるのも無理はない。
でも、本当に大切なフェーズは本音を伝えて、衝突して、その後だ。
お互いの気持ちがフラットに交わる喜びは、衝突の痛みを消してくれる。そこではじめて、「そんなあなたが好きだよ」と言える。
私にとって本音を伝えただけで距離が生まれる関係なんて、友達とは言えない。最後まで向き合ってくれさえすれば、彼女のすべてを受け止めるつもりだった。
だけど、きっと彼女が友達に求める価値は、私とは違う他の何かだった。悲しいけれど、すれ違いは避けられない運命だったと思う。
彼女には、私なんかより心地よく過ごせる友達が沢山いるだろう。その事実を受け止めるのはつらいけど、慣れている。
だって、自分が難しい人間であることは痛いほど分かっているから。でも、そんな自分も大切にすると決めたから。
1年間ありがとう。素敵な思い出は、心の中へ静かにしまっておこう。
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