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私の罪の話1(前置き)~びしょ濡れのわんこ~

これを書こうと思ったのは、特に深い理由は無いのだけど・・・強いて言うなら、"愛犬と目があったから” だと思う。
そして私は ずっといつか、これを書きたかったんだと思う。ただ自分のために。

これは私が生きてきた10代の話で、私が償い続けているという話。でも前置きなしに表現出来ないことなので、今回は "その出来事の前” の話を書こうと思う。

びしょ濡れのわんこを拾った。

すぐに横になるようになって、寝てる時間が増えて、時々しんどそうなジャンティさん。noteの記事を書こうとキーボードを叩いていたら、ふと目があって、少し荒い息づかいを聞いて、少し怖くなった。

彼を保護したのは12年前、沖縄の離島。雨の中、あちこちの家に出たり入ったりを繰り返して、寂しそうにびしょ濡れで歩いていたところを保護した。
そっと近づいてみたら、とことこ歩いてきて、抱き上げても静かで、とっても人懐っこかった事を覚えてる。雨がやんでから交番に連れて行くと「首輪してないと預かれないんだよ。おうちで飼えないかなぁ…? もしそうなら保健所に連れて行ってもらうしかないね…。」と言われて「一応渡しておくね」と保健所の電話番号が書いたメモをもらった。
小さい頃から犬が大好きで、図書館の犬関連の児童書は 本棚の端から端まで読んでいた。だから、それが何を意味しているかは分かってた。
腕の中にいる、かわいいふわふわに「だいじょうぶだよ。守るからね。絶対。」とささやいて、抱きしめたことを覚えてる。涙目で歩いた事も、頂いたメモをくしゃくしゃにしたことも。抱きしめすぎて、小さな「くふっ…」という鳴き声を初めて聞いた事も。

私は当時15歳くらいの女の子で、親の許可無しに犬を飼えるわけがなかった。だから「この子を保健所に連れていくなんて…出来ないよ」と、涙声で心からのお願いをした。親は割とすぐに許可してくれた。(飼い主さんは見つからなかった)

ジャンティを拾った あの日、私も泣いていた。

もしこれで駄目だと言われていたら、私は壊れていただろうなって思う。苦しい10代を生きてこれたのはジャンティのおかげだと、本当に思ってる。

ジャンティを拾った日は、どしゃぶりの雨。

もう少し…1年ほど遡ろうと思う。
私は14歳くらいの時に母が再婚して沖縄の離島に引っ越した。少し経って妊娠したと聞いた。出産まで後1ヶ月という時に、健診に行った母から電話がかかってきて「検査結果が悪くて帰れない」と言われ、突然 養父と2人の生活になった。母が帰ってきたのは妹が産まれてから。
さらっとまとめると数行なのだけど・・・ あまりにも変化が激しく不安定な生活を送っていて、私は潰れそうだったし 順調に潰れていってた。

当時、私は学校にも行けてなかったけど、教会に通っていて そこが唯一の居場所だった。教会のお兄さんお姉さんに可愛がってもらったし、PCを使って色々作る役割をもらえて楽しくて嬉しかった。

なのに あの日、「もう教会には行けないよ」と教会から帰る車の中で、急に言われた。少し前から両親は教会に行かなくなっていたけど、私は行きたかったし、行けなくなるなんて考えてなかった。両親が先生と口論したことが理由らしい。
(どうして今言うんだろう。)(「また来週!」ってバイバイしてきたのに。)(私に直接関係無いのに どうして・・・?)って思ったけど、どうにもならないことも分かったから、ぽろぽろ泣いていた。とても寂しくて悲しくて悔しかった。

泣き疲れて口数も少なくなった頃、家に着いた。
一瞬静かになった車内で、母が「ん?あれ!?今 犬がいたよ!」と驚いた声で言ったので、急いで顔を上げた。少し周りを見渡すと、どしゃ降りの雨の中 びしょ濡れになった犬がいた。

ゆっくり近づいて、「おいで…」と声をかけて、抱き上げて・・・ もうその時には私は笑っていたと思う。びしょびしょの小さなかたまりが可愛くて仕方なかった。抱いたまま家に入って母を見たら、やっぱり涙がこぼれたけど、腕には震えてるわんこがいるのだから すぐにそれどころじゃなくなった。

沖縄にいた時のジャンティ

そうして、犬と暮らす楽しい毎日が始まりました! と、言いたいのだけど、実際には家での問題は消えてなくて、とても大変でした。

その話を今度書こうと思います。
続けて書けたらいいなと思ったのだけど、また今度。過去のことは、どうしたって書くのに気力を使うものだから。

あっ… おじいさま犬のジャンティさんは元気です!

Sena.🐾


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