見出し画像

「諦めなくていいよ」って、悲しい涙

今日は、前のnoteで掘り下げきれなかったことを書いてみようと思います。

いつもよりあえて雑に。

私の感情の流れを書いてみます。

親の機嫌を伺って、良い子にして褒められて。
ずっと諦めることが当たり前で。

引越しを繰り返して、時々ライフラインも切れて。
"普通"の生活は無くて。

でも、それが私の人生なのだと思ってきた。


違和感を持ったり、諦めたり、抗ってみたり。

そうやって何回も何回も、

「どうせ私だし」「まあ...ずっとだし」
どうせ。 やっぱり。 また。 だよね。

そう自分に言い聞かせて、心を殺してきた。


だから、「諦めなくていいんだよ」と言ってもらった時、
私は、ほっとしたと同時に虚しくなった。

だって、もしそれが本当なら。

過去の自分は何だったのだろう。
「逃げられる」と信じきれなかった。
「変えられる」行動が出来なかった。

私を救えなかった。

(それは自分が悪かったのかな。)
そうじゃない、そういうことじゃないよ って分かっていても。
虚しくなってしまう。
希望を見せてもらったはずなのに、その希望に私は殺されてしまう。

それは一種のフラッシュバックなのかもしれない。

「諦めなくていいんだよ」「これから良くなるよ」「あなたは悪くないよ」

そういう類の言葉は何回も聞いてきたけど、1度も私を救えなかった。

一瞬、救われた!! と思ったことは何回もあったと思う。
そして、その回数分だけ、私は「そうだよね、やっぱり無理だよね…」って感じて期待するのが怖くなった。

「期待しない」っていう強さを身につけた。


私は、この類の言葉を言われて泣かない日をまだ知らない。

今が良いから、なんて単純じゃない。


でも、ひとつだけ聞いて欲しい出来事があるの。

私の過去の話を聞いたひとが、「これからは自分の人生を生きて欲しいって思うなぁ、好きなことをして欲しいって僕は思ってしまうなぁ…。」って言ってくれて。

その言い方に優しさを感じて、嬉しくて、

でも、
あぁ...そうだよね。って思った。
いつもみたいな流れだなぁって。

・・・それで終わりじゃなかった。

「でも、分かんないよね。これまで自分の人生なんて無かったのに、いきなり、そう言われても。」

続きのことばが私に届いた。

なにかがストンと落ちた音がした。
重荷がおりた。つっかえてた物がとれた。こころが軽くなった。

なんというか、
「人生を楽しまないといけない」「生きていかないといけない」
そんな縛りが緩んだ気がした。

そのことばを言ってくれたのは、私の覚えてる限り2人しかいない。

わかんなくてもいいや。
分かんないこと、分かんないままにしておこう。
そのうち分かりたくなるかもしれないし。

そう思える日が時々あって、それは全てをはっきりさせたい性格の私にとって、凄く珍しいことだけど、生きやすいなって思う。

Sena.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?