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初音ミクについて『語る』ということ/身体を想定すること(加筆分)

語るこということ

なんというんでしょうね。

いつもはもうちょっとカッチリと書きだすんですが、今回は議題が議題なのでお茶を濁しながら書く感じです。

それが作法なのかもしれませんね。もしかすると。

結論から言うと、到達できないものを言葉で語ろうとするパラドックス的なアレを言いたいわけです。

僕は基本的に歌っている姿の初音ミクしか想像できないんですよね。
ライブのMCとか例外的にしゃべったりもしますが。

「生活に根差した初音ミク」が想像つかないんです。

「がんばれマスター!!」とか声をかけてくれる初音ミクとか
「はよ曲作れや」とか詰ってくる初音ミクとか
エロいことしてくれる初音ミクとか

全く想像できません。
いや、仮定してる時点で想像してはいるのですが。

今回の議題はパラドックスですので。

じゃあお前が抱いているのはどういう初音ミク像なんだよと聞かれると
先ほど述べた通り「歌う」、それだけです。

おなじみのあの曲で
そして僕のpiapro studioで
歌っている、それ以外にないです。

初音ミクに関して、語れば語るほど嘘になっていくなぁという感覚が常々あります。

だから作曲してるわけですが。

でも作曲にとどまらないものも少なからずあって、備忘録的な書留だと言い訳しながら打鍵しているわけです。

語ると嘘になる。だからなるべく曲に言いたいことを詰め込んでいる。

でも分かりにくさっていうのは、批評ありきなんですよね。

詩も文学も、ある意味そうです。

自分一人で自己完結するほど強い芸術をもつ人なんてそうそういませんよ、多分。

だからなるべく語りたくないけど、やっぱり語りたいわけです。

「わかりやすさへの抵抗」的なかっこいいことを言えればいいんですが、徹底できるかと言えばやっぱり難しいです。

雑駁なnoteになってしまったな…(加筆するかも)。

身体を想定すること

加筆分です。

というのも、身体を想定することが思考を駆動させることに有益だなと思うようになった、といういきさつがあります。

とはいえ、相変わらず「歌う」から激しく遊離した身体はなかなか想定できませんが。

初音ミクは疑似身体である、という感覚は概ね同意です。
僕は男性なので、女性ボーカルにはなれません。

その代わりに、初音ミクをヴァーチャルに起動させるというわけですね。

初音ミクの代わりに曲を書く。
僕の代わりに初音ミクは歌う。

他者を思考に挿入することで、思考が駆動するような。
最近はそんなイメージを模索しています。