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大怪獣のあとしまつ「最初からそうしろよ」とは?

賢明なる特撮ヲタクの皆さんなら、大怪獣のあとしまつの冒頭シーンで、これは「ウルトラマン」の話だとすぐに気づくはず。もしかしたら、ポスターのビジュアルからピンときた人もいるかもしれない。いくら鈍感な人でも途中の回想シーンで主人公が光にさらわれたら、さすがに気づくはず。

それなのに、ラストでアラタが変身した時に、賞賛ではなく怒りの感情が沸き起こったのは何故か?

この映画でよくある酷評に、「最初からそうしろよ!」というのがある。
では、最初からそうしなかった理由は?

観客は死体の「解体」「廃棄」を想定していたが、劇中の政府は「保存」と「収益化」を決定した。
穴一つ開けることにも抵抗される状況で、宇宙に廃棄なんてしたら大顰蹙!
「最初からそう(廃棄)」するなんて、できる雰囲気じゃないのである。

そう考えると、すべての作戦が必要なものだとわかる。
観光資源として収益化するには「イメージ」が大事である。
親しまれる「名前」を付け、「ウンコ・ゲロ」といったマイナスイメージは払しょくしなければならない。

有害物質は検出されず、問題は悪臭だけ。
ダム爆破作戦も水に沈めて無臭化をはかっただけで、決して海洋投棄ではない。

実はアラタが実行した八見雲作戦で、悪臭処理は成功していた。
アラタもラスト直前まで「保存」を目指していたのである。人類の未来のためにそれが必要だと信じて。。

ところが雨音は違った。
彼はアラタの正体を暴き、ユキノのもとから追放することが最優先で、怪獣の死体なんてどうでもよかった。

彼はアラタにミサイルを浴びせ、八見雲作戦を台無しにするとともに、アラタの正体を暴くことに成功した。
彼がすでに人間ではないと知り、ユキノも元婚約者アラタへの恋心を諦めざるを得なくなった。

結果的にアラタが怪獣の死体を宇宙へ廃棄し、問題は解決したかに見えた。
だが人類は「希望」を失ってしまったのだ!

もはや復興財源の捻出は不可能。人類の未来は「あと死待つ」しかない。。

余談だが、三木聡監督は、アラタが宇宙に飛び去る際に「最初からそうしろよ」というナレーションを入れたかったらしい。ただこの言葉は、アラタに向けられたものではなく、欲に目がくらんでゴミを後生大事に保存しようとした政府に対して向けられたものだと、私は思っている。
政府が最初から、「廃棄」を目指していたら、こんな悲劇は起こらなかったはずだ。

決して難しいストーリーではないと思うのだが、何が特撮ヲタクの目を曇らせてしまったのか?
やはり、ヒーローは無条件に人類を守ってくれる存在であるべき!という先入観が邪魔してるのかな?
色恋沙汰で不祥事起こして任務放棄して逃亡するヒーロー(の風上にも置けない奴)なんて、前代未聞ですからね。(笑)

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