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シマ唄とフラメンコ。

私の大好きなものふたつ、それは奄美のシマ唄とスペインのフラメンコ。


私が今住んでいる奄美大島では、「シマ唄」という音楽がある。ファルセットとこぶしの効いた唄と三味線、囃子(合いの手、掛け声のようなもの)、チヂン(小さな太鼓)、指笛(文字通り、指を使って笛を吹く)で構成される奄美独自の音楽だ。たいていの人はそう聞くと、BEGINの「島唄」を思い出すと思うが、実は沖縄のそれは「沖縄民謡」、奄美のものが「シマ唄」である。そこんところ、間違えると奄美の人に白い目で見られるので気をつけていただきたい。

移住してから1年強。私のシマ唄歴も早1年である。シマ唄をはじめたのは、ひょんなことがきっかけだった。天気の良い日に職場の目の前にある公園のベンチでお弁当を食べていたときのこと。おもむろに、島のおじいが現れ、私に話しかけた。ひとしきり世間話を楽しんだ後、私は軽く、「せっかく島に来たからには、島のことを学んでみたい。料理とか歌とか、、」などと話した。
即座におじいは返した。「おれの行ってるシマ唄の会はすごくいい!毎週木曜日の19時から。見学だけでもいいから、一回来てみて。」
かなりグイグイと誘われ、「じゃあ見学だけなら、、、」と公民館の扉を叩くと、70才から80才ぐらいのおじいおばあが30人ぐらいでひしめきあい、シマ唄を歌っている。大きい部屋で和気あいあいと。その独特な雰囲気に一瞬で魅了された。

よくよく聞くと、鹿児島県に位置する奄美は、昔薩摩藩の支配下にあり、かなりの迫害を受けてきたとのこと。奄美の方言(現地の言葉で「シマぐち」という)で歌われるそれは、ロマンチックな恋の歌や、両親の大切さ、普段の生活の中から得られる教訓などの内容の他に、薩摩藩に虐げられてきた悲しいネガティブな歌詞が多い。

シマ唄は、私が学生時代に青春を捧げたフラメンコに似ている。フラメンコも世界中を放浪してきた民、ジプシー(別名: ヒターノ)が作り上げた音楽だ。歌と踊りとギター、さらには手拍子と掛け声からなっている。フラメンコといえば、長いスカートを履き、足をカタカタ鳴らし、赤いバラをくわえた情熱的な踊りだというイメージがあると思う。しかし実際は、放浪者であるジプシーたちがその土地で虐げたげられながら移動したので、これもまた、悲しかったり辛かったりといった感情を表現している曲種が非常に多い。ちなみにバラはくわえない。


また、どちらも即興性が求められたり、子どもからお年寄りまで続けられる一緒の趣味になったり、元々はステージで披露するようなものではなく、家族、仲間内でテーブルを囲んで、お酒を飲みながら楽しんでいたというスタイルも似ている。


ところで、毎年スペインのセビージャで春祭りが行われる。そこでは日本でいう盆踊り的存在、「セビジャーナス」を誰もが踊り狂う。しかし今年は例の如くCOVID-19の影響で中止。そこで日本では「#セビジャーナスつなぎ」というハッシュタグを使い、セビジャーナスを録画し、次に踊ってほしい人を指名しバトンをまわして、盛り上げようという取り組みが起きている。

私も先日それがまわってきたことで、2年ぶりにフラメンコを踊ることとなった。軸もブレブレ、手の動きもぎこちなく、音楽にもイマイチ乗れず、ずれたりヨロヨロしたりと、お世辞にも素敵な踊りができたとは言えなかったが、学生時代に熱中した日々や人を思い出し、とても楽しかった。


という、オチのない話。
コロナ収束後は、スペインのセビージャに行ってワインを飲みながら踊りまくりたい。ついでにバルでムール貝を食べたり、ガウディの建築物を見たり、スペイン友達を訪ねたり、チュロス食べたりしたい。

通っているシマ唄の会はコロナの影響で7月いっぱいまでお休みである。CDを聴いたり先生の録音を聴いたりして自主練に励んでいるが、毎週木曜日の楽しみが失われたことは残念だ。早くおじいおばあと一緒に歌いたい。「いつも感心じゃが〜」と褒められたい。

という、オチのない話。
今は、自分のためにも他の人のためにも、ステイホーム。お家でできることをして、楽しもうと思う。

つまり、シマ唄とフラメンコって、似てる。


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