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「だから、もう眠らせてほしい」を読んで感じる安心と恐怖

死は誰のものなのかと考えた時に、それはやはり遺される人たちのものではないかと私は思う。だって死んじゃえば本人にはわからないしね。なるべく遺される人に影響を与えずに死にたい。遺される人は私の死に左右されずに生きていってほしい。特に子供は。

でもこの気持ちは、遺される人たちもまた私の世界であるのでその世界が壊れないということは私の世界も終わらないということになるという考えからくるのもあるのかも。だから遺される人への影響を少なくしたいのかもしれない。

「だから、もう眠らせてほしい」の中に出てくるユカさんとY君それぞれのエピソードがあるが、ユカさんはご主人との世界をY君は看護学校へ通う日常をそれぞれ大事にしている。

その世界が最後まで壊されず尊重されていたのは、読んでいて安心感があった。

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私は、私に大きな病気がわかって、先行き不明になった時に子供にお願いした。

「今までと変わらない生活を続けてほしい。今まで通り好きなことをしてほしい。お母さんは、何が悔しいって今の生活が崩れるかもしれないというのが悔しい。今の生活は、お母さんが好きなことを集めた生活だから。あなたが好きなことをしているということは、お母さんの生活の一部でもあるのだからそのまま暮らしていてほしい。それは、例えお母さんの病気が治らなくても。」

「ブラックジャックによろしく」に末期がんの母親のエピソードがあるが、その中で母親は同じく余命いくばくもない患者にこう話す。

あなたがいなくなっても……何も変わらない……
毎日は続いていくの……だけどそれは……あなたが独りぼっちっていうことなのかな……?
うまく説明できないけど……世界が続くならあなたはきっと一人じゃない……(ブラックジャックによろしく8巻 佐藤秀峰) 

病気がわかった時に、一番怖いのが一気に「あちら側とこちら側」の世界に分かれる感覚がすることだ。「病気だから痛いのは当り前」「子供2人いるなら(治療で子供が産めなくなっても)いいね」「女優でもないのに外観にこだわるの?」。病気がわかった瞬間に病気を軸にした色々なジャッジをされる。

私は何度か手術をしており、それにより細かな不具合があったので最後の手術は本当に嫌で、加えてあまり状態もよろしくななさそうだったこともあり治療もしたくなかった。なので相談すると、なだめすかして発破をかけるためなのか上記のようなことを色々言われた(主治医には言われてないけど。言われてたら通院やめてた。)。

最終的に治療しようと思ったのは、主治医の

「治療の目標は『普通の生活を送ること』です。我慢しなくていいです。」

という言葉だった。もしかしたら『我慢しなくていい』とは言っていないかも。私がそう解釈しただけで(図々しい)。

「死ぬよりはましでしょ?」という論点で説得されると「でも、死んだことないんで」と返したくなるし「お子さんいるんだから生きないと」と言われると「いえ、夫は育児ができますし両親にも頼れますし。」と答えてしまって、そういう詰められ方をしていると「なんのために生きているんだろう。っていうか、そこまで大した人生でもないですし。」となってしまうのだが、「普通の生活を送るために治療しましょう」という提案はとても腑に落ちた。

私は、私にとっての生活とは周りの人の生活とも一続きで、うまく言えないけれどもみんなは私の生活の一部だし、私もみんなの生活の一部であり続けたかったのだと思う。主治医の言葉は、「病人なんだから」で私を分けてしまわないで同じ世界に立って発してくれたように私には聞こえたんだろう。

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ただ、やはりこちらの本を「再発したらどうしよう」という目線で読むとなかなかの恐怖がある。今は寛解して引っ越しもしたので、当時の病院にかかることはない。現在の経過観察をお願いしている病院にはホスピスも緩和ケアもない。再発したらどのように死ねるのか大変不安だ。転院するか、上手い具合に交渉するかしないといけないのは非常に気力がいる。

以前の病院は全種類(放射線、麻酔、緩和ケア、腫瘍精神科、腫瘍内科)揃っていて、「チーム医療とはこういうものか」といった感じで何人もの先生や専門家(看護師、薬剤師、受付スタッフ)とお話しできた。それ以外に大きな治療や節目の検査以外は「かかりつけ医」と連携するという制度だったため普段の心配事や細かい相談などはクリニックに気軽に相談できた。

今の地域ではそれは望めないだろうと思っていて、それでもまあ緩和ケアの分野はどんどん進歩するだろうと思っていたので楽観的に考えていた。

やっぱり病状が進むと苦しそうだな。とユカさんの描写を読んで思った。勿論その時にならないとわからないし個人によって病状はかわるだろうが。

それはちょっとどころじゃなく恐怖で、「死」が怖いと言うよりも「痛み」が怖い。本当に怖い。痛みは自分を失ってしまう。周りのことも目に入らなくなってしまう。それは今までの日常を壊す。死ぬ前に私の世界がなくなるのは勘弁してほしい。死は遺される人のものだと思うが、生も生きている人のものなので。痛みをなくすることは、「生」も「死」も守ってくれると思う。

どうか私が死ぬときには痛くありませんように。「死ぬんだから痛くて当たり前」のような処遇を受けたり言われたら死力を尽くしてぶん殴ろうと思う。

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この本を読んで、私に関わってくれた色々な専門家や先生を思い出した。もしかしたらそちらばかり思い出して本文があまり頭に入っていないかもしれない。色んな人が治療に関わり伴走してくれた。
だからと言って「生きてて良かった」かどうかは、治療以来続く不調に「死んでみなければわからないので」と言いたくはなりますが(笑)。

そして、今お世話になっている病院のことも思い出した。以前「リモートや電話診察にしないのか」と今の主治医にきいたら

「僕はね、あなたの顔を見たいんだよ。ちゃんと。」

と言われたのだが、その理由がこちらの本を読んで何となくわかった気がします。




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