今、宝塚歌劇団について思う事

ようやく、先日行われた宝塚歌劇団の会見全てと、外部の専門家が作成した報告書を全て拝見しました。それを受けて、今素直に感じる気持ちを、自分の思考の整理もかねて残しておきたいと思います。

最初に、私がどの程度のファンだったかを記載しておきます。
最初に宝塚歌劇団に興味を持ったのは、2015年です。名前は存じておりましたが、詳しくは知りませんでした。友人が観劇したら凄く素敵だったという話を聞いて、興味を持ったのがきっかけです。宝塚とは離れた場所に住んでいた事もあり、最初の出会いは、星組さん「オーシャンズ11」のDVDでした。そのDVDを選んだ理由は、映画にもなっていたし、初心者には入り易いかな、というものでしたら、それが大当たりでした。紅ゆずるさんにどはまりです。初めて東京宝塚劇場で星組さんを観劇した時は、本当にこんなに素敵な世界があるんだ、と心から感動した事を覚えています。その作品は、「ガイズ&ドールズ」でした。その後も、星組さんを中心に東京、ムラと自分の可能な範囲で観劇をして楽しんでいました。
「宝塚の、紅さんの舞台を観たい」という気持ちは、私に力をくれました。一時期、飛行機や新幹線に乗る事が怖かった事がありました。その時期が、丁度紅さんがトップスターさんだった頃なのです。飛行機に乗るのは怖い、でも、ムラの舞台に立つ紅さんと星組の皆様が見たい。
その気持ちは、私の背中を押してくれて、今では飛行機も、新幹線も、平気になりました。「好き」という気持ちは、ひとを強くしてくれたり、新しい世界を見せてくれます。それは宝塚歌劇団に限らず、アイドルや、絵画や、オーケストラやバレエ、そのような芸術がもたらしてくれる力であると思います。
何が私をそこまで夢中にさせたのかと改めて振り返りますと、こだわりぬいた美しさと、オフィシャル媒体から自分が感じたジェンヌさんたちの努力と、宝塚の舞台にかける情熱だったと思います。インタビューなどの端々から、とてつもないハードな毎日を過ごしていらっしゃるのだろうなという事、序列がつけられる事が前提の世界なのだから、厳しさと競争はあるだろうという事は、理解していたつもりです。
ただ、実際に報告書を読んで、「こういった細々とした業務までを担いつつ、舞台に立つお稽古をしていたのか」という悲しみにも似た驚きがありました。新人公演のお衣装を、上級生のどなたに借りるかなんて、一つの部署で演者のサイズを一元管理して自動的に割り当てらるような仕組みを作ればいいじゃないか…と思いました。舞台に立つ俳優がそれをやる意味が、私には見出せませんでした。
私は、芸能の世界とは全く無縁ですので、それが芸の道というものなのだと言われれば、「さようでございますか」というしかありません。
だから今から私が記す事は、芸能の世界に生きる方々には笑止千万と思われるかもしれません。でも、書きます。一般企業で働く一人の会社員が不思議に思ったことを。

1.報告書に、「一般的な社会通念上、度を越してるとは言えない」という出来事が数回出てくるが、一度の出来事がそうであったとしても、それが数回に渡り続いた場合は、どのような認定になるのだろう? そしておそらく、その数回の「御指摘」を受けるに至った背景は、恐らく膨大な業務量と長時間勤務による睡眠不足と心身の疲労の可能性が大きい。

長時間勤務による心身の疲労 → 集中力がなくなり、ミスが多くなる →御指摘を受ける → 益々疲労がたまる → ミス → 御指摘

この悪循環を、とめる術はなかったのか。
「今の人たちは皆出来ていたから」=「だから、これからも皆出来る」ではないと思うのです。人間は、ロボットではありません。一人一人に個性があります。器用な人、不器用な人、頭の回転が速い人、ゆっくり丁寧に物事にあたりたい人。そして勿論、取巻く環境や人間関係だって、常に同じ状況ではありません。過去に出来た人だって、もしかしたら状況が違えば、「出来ません。力を貸してください」と言っていた可能性だってゼロではないと思うのです。
「そんな事も出来ずに、宝塚の舞台に上がるな!」と仰る方もいるかもしれません。でも、タカラジェンヌのお仕事は、素晴らしい舞台を作り上げる事だと私は思います。俳優が出来ないというのなら、そこをフォローする為に劇団があるのではないでしょうか? 「出来ない」と言えない文化は、なくなってほしいと私は思います。

2.「110年続いた伝統」の本当の意味とは?
会見で、「ずっと続いてきた伝統でございますので」という発言があった。長の期の学年の方々が、新人公演を取り纏めるのは良い。それは伝統だろう。ただ、それに付随する様々な業務(報告書にあったような衣装の割り当て、振り写しの場面決定、スケジューリング等)までもをその方々に担わせるのは、伝統ではなく、「今迄ずっとそうだったから」という非効率な思考停止の状況だったのではないか? そういった業務を他の部署に任せれば、俳優は稽古にもっと集中出来るのではないか? 
理事長は、「そういった事まで長の期が行っていたとは知らなかった」と発言していたが、俳優が多忙を極めている事は同じ劇団内にいれば知っていたはず。むしろ、管理監督者として、知っていなければいけない。そこを、「伝統だから」とヒアリングせず、ヒアリングをしないから何をしているかも分からない。故に、改善も出来ないという状況ではなかったか?

「伝統」という言葉は素晴らしくもあり、色々な負の遺産を隠す隠れ蓑にもなりえるのではないか、と思いました。「伝統」には正負両面があります。それは人だけではなく、国もそうでしょう。どの国にも伝統はあるけれど、それは誇れるものも、そうでないものもある。そして、時代が変われば「正しい」とされる事も変化していく。極端な例で言えば、昔は運動部の部活で水を飲むのは軟弱だという風潮が一部にありました。今では、考えられない事です。「伝統」の正しさもそうであると思うのです。勿論、所作の一つ一つ、舞台に立つ心構え、そして連綿と受け継がれてきたタカラジェンヌの誇りなど、揺るがない素晴らしい伝統が宝塚にはあると思います。ただその中に、2023年の今、「伝統」ではなく、「受け継がれてきたけれど、今では宜しくないと捉えられるもの」もあるのではないだろうかと思ったのです。もしそれが、人の心にささくれを作るようなものであるとしたら、改善していく必要があると思います。

3.上記、1・2を受けて感じた事
宝塚の夢から目覚める時間がきた

なんか、これでした。タカラジェンヌの皆様の事は、変わらず大好きで尊敬しています。なので、上手く言えないのですが、「ああ、宝塚に見ていた夢は、覚めたな」です。「冷めた」ではなく、「覚めた」。
もしかしたら、これからも宝塚の舞台を観るかもしれない。でも、今は当分観ないだろうな、と思っています。本当に上手く表現できなくて歯がゆいのですが、ジェンヌさんたちを尊敬する気持ちは本当で、宝塚に対する今迄の感謝の気持ちも本物です。でも、今宝塚を見ても、(私が思う)本当の夢の舞台だとは感じられないと思うのです。だから、今は私は見ません。でも、宝塚へ感じている感謝は本当で、これはずっと変わりません。
願うのは、タカラジェンヌの皆様、劇団で働く方々の雇用環境が改善され、安心して素晴らしい舞台を作り上げる事に集中出来る状況になる事です。そして、今も大好きなジェンヌさんを応援している方々が本当に大勢いらっしると思います。その方々の多くが、宝塚歌劇団は良い方向へ改善していけると信じ、願っていらっしゃると思います。その気持ちに、劇団が真摯に応えて下さいますように。

心より御冥福を御祈り申し上げます。御遺族様の御気持に、劇団が誠心誠意向き合って下さいますように。



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