拡張次元と現実次元が交差する

いまポケモンGOでは、期間限定でミュウツーに出会うことができる。少し前なら特別の条件を満たした人しか出会えなかったのに、いまは全員に解放されている。

さいきん再開した人はもちろん、積極的にポケGOをしてこなかった人も、みんなミュウツーに会えるようになった。ポケGOマニアにとっても、ミュウツーをたくさん捕まえるいい機会だ。

だから、ポケモントレーナーは街に集う。

ミュウツーに会える場所は、場所と時間で固定されている。

ミュウツーは、特定の時間だけジムに現れる。ジムとは、マクドナルドとか有名なモニュメントとか、現実の場所に紐づいてAR的に存在するものだ。

ポケモントレーナーは、そのジムに行って、ミュウツーが出現するのを待つ。出現時間はゲーム内で事前に知らされる。ランダムだけれど、10個ジムがあったら、たいてい一つはミュウツーがいる。トレーナーたちは、自転車や徒歩で回れる範囲を縄張りにして、その中にミュウツーが現れたら急行する。

こんな感じでミュウツーを捕まえにいくのだ。

ぼくは今日、京都の繁華街にミュウツーを捕まえに行った。

マクドナルド、モニュメント、お寺……こういうところがジムに設定されている。ぜんぶ繁華街のなかにある。

ただでさえ人が多い土曜日の日中に、ポケモントレーナーが集合する。ひとつのジムに、同時にだ。

通勤時間帯のプラットフォームのようである。60-100人が狭い道に立ち止まる。みんなスマホを見ている。歩く人は、迷惑そうにトレーナーを見る。

「何やってるのあの人たち」「ポケモンGOだよ」「気が狂ってるなw」なんて声が聞こえてくる。しかし、トレーナーたちは、ミュウツーを捕まえるのに必死である。そんな声は無視する。

ひととおりミュウツーを捕まえ終わると、人の波は、つぎのジムに向かう。民族大移動である。トレーナーの群れが「つぎはここだな」とか言いながら、スマホを片手に繁華街を移動する。意思をもった集団のように見える。

しかし意思はもっていない。ポケモンGOのアルゴリズムに支配された動きである。

思えば、ポケモンGOがブームになった当初、渋谷区にミニリュウが大量発生する公園があった。ミニリュウをたくさん捕まえて進化させると、当時最強のポケモンになる。トレーナーたちはその公園に集結した。関東近郊では、この公園だけにミニリュウが大量発生していたのだ。

閑静な住宅街にある、小さな公園。

そこに関東中から人間が終結した。地獄絵図である。公園のキャパをオーバーした人数が、まるでゾンビのように公園内を歩きまわる。ミニリュウが出現すると、そこに向かって人波が移動する。走ったり、歩いたり、座ったり。なんでもアリだ。

真夏だった。公園内の自販機は、昼前に飲み物がつきた。ゴミ箱はペットボトルでいっぱいになり、周囲にまでペットボトルが積みあがっていた。

昨日までふつうに公園を使っていたと思われるお母さんらは、スマホを見つめて歩きまわる気味の悪い集団のなかで、子どもたちを遊ばせていた。

当然ペットボトルのゴミは問題になった。普段から遊ばせていたお母さんたちからも不満の声が上がった。数週間のちに、この公園ではポケモンが大量発生しなくなった。「ゲームをするのは良いけれど、ゴミを片付けないのは問題ですね。小さな公園に膨大な人数が集まるのも、ちょっと違うんじゃないかな」。そういう声に、運営が対応したのである。

ミュウツーを捕まえながら、あの公園のことを思いだした。

現実に新たな意味を付与して、一個上のレイヤー”ポケモンGO”で遊ぶ。でもトレーナーの身体は、現実にある。

だから、拡張次元と現実次元の摩擦が生まれる。摩擦を解消するための壮大な社会実験だ。

この記事が参加している募集

イベントレポ

サポート金額よりも、サポートメッセージがありがたいんだと気づきました。 読んでいただいて、ありがとうございました。