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古流と居合

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古流の身体操法について書きます。身体を観察する、ということ。
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2018年12月の記事一覧

わからなさを嗅ぎ分ける

古流の動きを見ていると、「どうやって身体を動かしているのかわからない」と思う。 準備動作なしに手が伸びてくる。抑えているはずなのに、持ち上げられる。全力で抵抗しているのに、たやすく投げられる。重い刀なのに、自在に変化する。 実際に技をかけられているときはもちろん、横で見ているときでさえ、「どうやってるか、わかんない」と思う。 古流の動きができているか否かは、この種の「わからなさ」の有無で判別できる。 わからないとは、動きを予測できないことである。ぼくらは普段、他人を見

鞘を引く。

居合を始めると、最初のうち、繰り返し言われることがある。 「刀を右手で抜いちゃいけない。左手で鞘を引くの。そうすれば自然と刀が抜けるでしょ」 初心者のうちは、ふむふむと頷く。鞘をビュっと引いて刀を出す。鞘を引いた分だけ、刀を抜いたことになる。刀は左手で抜くんだ! おお! できた! そうか左手で抜けばいいんだ。 そう思って、意識的に左手を使う練習をする。そのうち無意識に左手を使えるようになる。これでもう刀を抜く動作はマスターした、なんて、鼻を高くする。 しかし、そう

生きている刀、死んでいる刀。

はじめて刀を振ったとき、1kgもある刀は、容易には止まらなかった。びゅん、と斬り下ろせば、止めたいところで止まらずに、行き過ぎてしまう。 うまい人は、決まった位置で刀を止めているのに……何が違うんだろう。 「どうやったら刀が止まるんですか」と聞いた。その人は「手を雑巾を絞るようにするんだ」と言った。なるほどと頷きながらやってみると、刀は止まった。少なくとも、斬りおろした位置でピタリと止まりはじめた。この方向性だな、と納得した。 けれどそのうち、片手で袈裟に斬る必要が出て

身体の声を聴くーー武術のセンス

「武術やってるんだってね。強いの?」と訊かれて、うーん……と言葉に詰まった。強いか弱いかで言ったら、ぼくはまだ弱いだろう。筋肉も少なく、骨格もたくましくない。 でも、普通の人とは違う身体の動きを実行できる。もしくは、その違う動きをできる萌芽がある。この動きは、普通の人の盲点なので、結果的に相手を制することができる。 たとえば、「重心のかかっている脚を、そのまま上に引っこ抜く」ことができる。 普段ぼくらが歩くときには、右足から左足に重心を移動させて、重心のかかっていない右

甲野さんの稽古会

「合気道をやってるんだ」と言うと、友だちは「へぇ、ちょっとやってみせてよ」と言いながら、片手を突きだしたり胸をつかんできたりする。 どんな技を見せてくれるのかと期待して、顔がキラキラしている。 ぼくは苦笑いをしながら、両手でゆっくりと、技がかかった状態にまで関節を誘導する。「ほらね、ここで力を込めると……」相手は痛テテ、という表情をする。「こんなふうにやるんだ」 これ、ぜんぶ茶番だ。 技を見せてよって言ってくる相手にさえ、その場で技をかけられない。力を入れて抵抗する人

型を突き詰める

大晦日なので、さいきんサボっていた勝手にコルクラボを超特急で書いています。 Q.あなたが「とりあえず」ですませられないことは? 甲野さんと出会ってから「自分の感覚は間違ってなかったんだ……」と確信した。 古流の動きができない人に「形(かたち)ができてない」と言われるのが、とても嫌である。まあいいかと、すませられない。 ぼくの道場の問題なのか、それとも現代居合の問題なのかわからないけれど、形を異常に重視する。 もちろん形が重要性をもつ段階はある。最初に動きをインストー