型を突き詰める

大晦日なので、さいきんサボっていた勝手にコルクラボを超特急で書いています。

Q.あなたが「とりあえず」ですませられないことは?

甲野さんと出会ってから「自分の感覚は間違ってなかったんだ……」と確信した。

古流の動きができない人に「形(かたち)ができてない」と言われるのが、とても嫌である。まあいいかと、すませられない。

ぼくの道場の問題なのか、それとも現代居合の問題なのかわからないけれど、形を異常に重視する。

もちろん形が重要性をもつ段階はある。最初に動きをインストールするときには、形を通して学ぶ必要がある。でも形を学ぶのは、型を身につけるためなのだ。

でも「剣は膝の高さ・膝からこぶし一つ離れたところ」「刀の位置が教科書と数センチずれてる」みたいに、あたかも形が絶対基準なんだと思わせる指導は、理解ができない。

型や形をインストールするとは、古流の動きを身体にインストールすることである。古流の動きができているかどうかを、絶対の判断基準にするべきだ。なのに、形ができているかどうかを常に言われる。

ぼくは、そのレベルで居合をしていない。

さいきん、自分の動画を見て驚いた。

正座から刀を抜き出すまでの動作が、恐ろしく情報量の高い動きをしている。怖かった。こんな動きをする人が、いるのかと思った。見たことがなかった。

普通の人が見れば、「何にもないじゃないか」と思うだろう。そう思わせるのが、術としての動きである。

でも少しでも眼のある人が見れば、「怖ろしい」と思うはずだ。

問題は、その後の動きが怖ろしくないことだ。ぼくは、そこを稽古したい。なのに、形がなっていないと言われる。いいですか、形は人並み以上にできている。

もっと型を突き詰めたい。

サポート金額よりも、サポートメッセージがありがたいんだと気づきました。 読んでいただいて、ありがとうございました。