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忘れたことは数えられない【米徳優里恵】

米徳です。屁理屈をこねます。(余談:「へりくつ」のこと、ある時点までは「へりつく」だと思ってた気がする。)

どこかに忘れてきたもののことを「わすれもの」っていうじゃないですか。でも忘れたできごとのことは「わすれこと」とは言わないです。忘れたできごとを呼ぶ言葉はないんです。

ここで国語辞典で「忘れる」を調べるのは、やめときましょう。
へりつくはふいんきでいいんです。

どこで撮ったか覚えていない写真

話を戻して。
「わすれもの」は、気がついた時に「あ、傘忘れてきた。」と忘れたものが明確です。それに対して、忘れたできごとは、忘れているので何を忘れているのかは分かりません。というかそもそも忘れていること自体に気がつけません。でも、忘れていることはあるんです。そうじゃないと、脳みそが記憶でパンパンになってしまいます。何を聞いても、何を見ても既視感に襲われて、その既視感にすら既視感を覚えるのかもしれない・・・恐ろしいループ。もしそうなったらと想像すると、なんかすごく老化が早く進みそう。

忘れているできごとは、呼び方もないし、認識もできないので、存在を確かめることはできません。だけど、完全に消えてるわけではないですよ。電車で見かけた中学生が、自分が中学生の時にほんの少しだけ関わった子と似ていて、その子のことがぶわっと呼び起こされるということがありました。その子のことを記憶していたことに自分でも驚きました。脳みそはちゃんとしまっておいてくれてるんですね。

忘れているできごとは、あるのに、確認できないし、確認できたら、その時それはもう忘れているできごとではなくなってしまう・・・。
(どっかで聞いた未確認飛行物体のお話みたいだ・・・)

別に生きるのに必要ないから、仮に「わすれこと」とおくそれらは認識できないことになっているのかもしれないけれど、その「わすれこと」たちは自分とは切り離せないもののような気がする。

もしどこかの国の言葉でそれを呼ぶ言葉があったらすてきだなぁと思う。





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