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2022年おおみそかの日記。

2022年も最後の1日となってしまいました。びっくりです。

私にとって今年ほど「忙し過ぎて何がなんだかよくわからない1年」は未だかつてありませんでした。2021年もバタバタしていましたが、今年はそれに輪をかけて忙しかったし、余裕なんてものは一切ありませんでした。ありとあらゆることが次から次へと噴出してきた年だったからです。

いったいなんだったのか、、、

今から来客のため「見えるとこだけ掃除」を猛スピードでせねばなりませんが、その前に一瞬だけ今年をふりかえりたいと思います。

不安定なスタート


まず、長年悩んでいた夫がついに転職を決意した1月。

この「長年」というのは30年です。代々〇〇なのだから自分も〇〇になるのだろう、と疑問を持たずに大学に進んだら、あれ、、、もしかして自分にはまったく向いてないかもしれない、、と気づいてしまったパターン。就職活動でなんとか方向転換してみようかと頑張ったそうですが、結局〇〇の分野に行き着いてしまったそうでした。

人生100年だとしたら、って100年なわけないんですけど、便宜上100年だとしたら、セカンド・シーズンくらいは自分らしく生きたい、働きたい、と思うのは自然なことだと思います。本当は50まで待つより気づいたときに軌道修正したほうがよいと私は思うのだけど、人にはそれぞれ「その人のタイミング」というものがありますし、思い立っても動けないこともあります。だから家族としては待つしかありません。

いや、実際のところもう待っていませんでした。子育てでそれどころではなかったからです。そのタイミングが来るかもわかりませんでしたが、一緒にいるあいだにそのタイミングがもし来たのなら、一緒に乗り越えるしかないかもしれないと思っていました。

そのタイミングが今年来てしまったのだから驚きです。
じつは一生来ないだろうと思っていました。夫は石橋を叩いて渡らないタイプだからです。石橋を叩くことも滅多にしません。石橋を叩かずに渡ってしまうときもある私とは正反対ですから、この展開にはとても驚きました。何が彼を突き動かしたかは彼のみぞ知るところです。でもそのタイミングというものがやっと訪れたのなら、一応まだ同じボートに乗っている者としては応援して支えるしかありません。

そんなわけで今年は出だしから一気に不安定になりました。いろいろなパターンの「不安定」は今まで何度も想像してきましたが、まだ住んでいる家の土台が揺らぐパターンはもうずっと想像してこなかったのです。私自身もいつのまにか安定に胡坐をかいていたのだ、、、と思い知りました。

家族も次々と続く


そういう意味では初めての「不安定」のなか、息子もいつのまにか「人生の岐路」に立っていました。

もちろん今までも何度か大きな選択をしてきましたが、状況的に選択肢が限られていたこともあって、本人が主体的に人生の岐路的な選択をする機会というのはなかったように思います。早期大学に進むという選択も、もちろん早く専門的なことだけ学びたいという気持ちが非常に強かったからその道を進んだのですが、今思うと、当時の「現状」から抜け出したいという思いもかなり強かったのかもしれません。

そうして抜け出してみて、いろいろな人達と出会って、いろいろなものを見て、いろいろな失敗や挫折や失望も味わって、実際もだえ苦しんでいたのですが、そして私は遠くから無事を祈るしかなくて毎日が心臓をえぐられる思いだったんですが(笑)、結果的に初めてひとりで自分に向き合う機会となり、結果的に進むと決めた道に対して改めて積極的になっているので、それはもう本当によかったと今は思っています。

来年は新たに挑戦する1年となるため、頑張ってほしいです。

同時期に親族の諸々もあり、今年はもう本当に四面楚歌でした。どこかで書いたかもしれませんが、私には病識のないきょうだいがいて、そのことでもう20年近く悩んでいます。もちろん私には家族があるので、家族を最優先にしてきました。きょうだいのことは両親に任せて、でもいろいろ調べては何度も提案してきたし、動くなら手伝うからとも言ってきました。でも結果的には放置のまま今日まできてしまった。

そして両親はもう超高齢で、自分達のことに手一杯で、今さら何もできません。何度も言ってきたのに結局私の予想通りになってしまったことが、ただただ悲しいし悔しいし腹ただしいです。今年は医療機関にも相談してみましたが、本人がこまっていなければ何もできないと言われ、そりゃそうだよなと思いつつも絶望過ぎて涙も出てきませんでした。

来年はどうなるのでしょう。私はどうすればいいんでしょう。まったくわかりません。まったくわかりませんが、私たちは皆平等に、イヤでもなんでも立ち止まっていても前に進んでいるし、進むしかないので、どうせ進むなら前向きに気持ちを持って、私にできることはする、できないことは一旦保留にして、とりあえず進むと。それしか私にできることはないんだな、、と思いました。

SEM&おうちSEMの活動


私にとってはライフワークになるであろうSEM&おうちSEMの活動も、今年はバタバタと大忙しでした。家族親族のこともあったため、精神的にも大学院を中退することも考えましたが、UConnの教授の皆さんの励ましと支えがあって、なんとか踏ん張って最終課題を提出したのが2月。私のなかでは死ぬ思いでしたが、提出後は一瞬放心したくらいで、すぐに次の活動に追われてしまいました。

今となってはあまり覚えていませんが、確か春には、日本個性化教育学会の夏の全国大会で自由研究発表をしてみようかと思ってしまったことが一つ。講演会などは経験済みでしたが、学術学会で、研究者の方々の前で、何かを発表するなんてことは生まれて初めてのことでしたから、私にとっては心身が青天の霹靂のような状態でした。

全国大会の前に、卒業したらぜひやってみたいと思っていたレンズーリ先生方のインタビューも行いました。息子のことでアメリカや関東に行ったり来たりとバタバタしているなかでの準備でしたから、頭は混乱するし身体は疲れるし、心はいろいろなことでいっぱいで不安ばかりで、今思い出してもあの時期をどう乗り切ったのか全然覚えていません。

ただ、UConnの教授の皆さんも含めた家族以外の方々が常に励ましサポートしてくださったので、私もこの1年今日までなんとか乗り切ることができたのだと感じています。励ましの一言なんて誰でも言えるし、なんの力にもならない、と思うことも以前はありましたが、誰かのたった一言で、こんなにも励まされて力になるなんて。今年はそういう発見がとても多かったです。

2022年の後半はインタビュー動画の字幕作業や(なかなか再開できていない)おうちSEMラジオ、論文執筆、そして講演会などで、大学院時代より忙しかったです。来年はまた新たな活動にも取り組む予定で、その準備でバタバタもしています。なかなか大変ですが、大好きなSEMのことですし、充実しているということで、私の救い&支えになっています。ありがたいことです。

2023年


来年は、今年いろいろ耕してきたことが芽を出すといいなと思っています。夫や息子や、あと同年代の友人たちを見ていて改めて思いますが、やっぱり「好き」は生き続けるための原動力以外の何ものでもありません。仕事にしなくてもいいですよ。でも「好き」があることで「もう少し生きてみようかな」という希望が見出せます。私もSEMという「好き」があって本当によかったと心から思っています。

今年は私たち家族3人それぞれの大きな転換期でした。
来年は3人それぞれに新しい場での挑戦が待っています。私は頑張ります。ほかの2人にもそれぞれのペースで頑張ってほしいです。少なくとも息子と私は「好き」で活動できるので、大丈夫だと思ってます。

来年こそは新たにオープンダイアローグなど勉強してみたい。
でもやっぱり時間がないかもしれません。SEMだってもっともっと勉強しなきゃですから。学べば学ぶほど自分が専門家とはほど遠いことを実感する毎日です。

まあいいや。
来年の抱負やらバケットリストは年始にでも書き出してみましょう。とりあえず今は掃除します(笑)

今年1年は多くの方に励ましていただいたり助けていただきました。多くの方に支えていただきました。本当にありがとうございました。。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

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