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文章修行日記・十八・「20年間座っていただけ」「その人に特別感を与えてあげること」

「完成に至らぬ病」
今日は必ず昨日のショートショートを投稿するはずだった、もう完成しているはずだった、だから「推敲」ではなく「見直し」と書いたのだがいざ見直してみるとどんどん変化して原稿用紙1枚以内で終わるはずが1200字まで増えてしまった、最近全く作品を完成させることができていない。

「20年間座っていただけ」
あれからずっと引きずっていたのだけれど思えば、あの場でもいくつも疑問があった、まず教え方がいくらなんでも下手すぎること、俺が教わろうとしていた部分はもっとも基礎の始めて最初に学ぶ部分なのに例題にすらもたついている、例題と模範解答を見てもはっきりとわかっていない様子、結果ここはこうであれはこうしてとあれを見てといった様にやたらと「これ」「あれ」「それ」を多用するがそもそも具体的に何をさしているのか説明がない指示詞を使う、自分の持っていない資料のことまで指していたことがあった、質問をするたびに何か資料を見てその調子なのでまったくわからない、そして質問をするとそれはさっき言っただろとキレ始める(怒ってるんじゃなくてキレている)20年以上学んでいたのにいくらなんでも伝え方が下手すぎる、それで後から考えて思ったのが20年間なんとなく漫然と参加することに満足して何も学んでいなかったのではないかという事、そのことは自分で自覚しており心の底では触れて欲しくない部分だったのだと思う、俺の質問はそこを刺激してしまいキレ散らかしてしまったのではないだろうか?(昨日は一応怒っているという表現を使ったがキレているという方が正確だと思う、その人は普段は泰然としている風で穏やかなのにキレると時場所を問わず口調が変わり大声になるのですぐわかる、それにしても昨日は異常だった、いつも以上の変貌ぶりに恐ろしくなってしまい、思わずもういいです、帰りますと言ってしまったくらい)
20年間漫然と何も学ばず座っていただけ、普通なら考えられないことだけれどあの人の場合あり得る、あくまで想像だがもしそうだとしたら、それはそれでそら恐ろしいことだと思った。

「その人に特別感を与えてあげること」
とりあえず難局を乗り切り終わったころ薄い小冊子を出して来年もこれ買おうかなと言いだした、見るとお値段3万円。
そこに俺はカルトと信者、霊感商法の根っこの部分が見えた気がした、
「その人に特別感を与えてあげること」
まわりには分からないかも知れないけれど選ばれたあなたならわかるはず、価値があるはず、そう思い込ませられればバカげた教えも価値がでる、ただの壺にも価値がでる、自分が選ばれた特別な何かである何かになれる、その欲望を満たしてやれば思っているほど複雑な理論や過程なしでも意外と簡単に人はコロッといくのではないだろうか?

「進捗」
何もなし、今最初の方の低めの坂を登っているところだがもう歩みが止まりそうで疲れて前に進む気力がわかない。

とりあえずショートショート一作完成
明日こそ投稿できると思う。
俺は正直超ショートショートを舐めていたと思う、自分の書きたいことを原稿用紙1枚にまとめるのは意外と難しい、ちょっとアイデアが膨らめばすぐに文字数は増える、そして中途半端に長くなる、あと色々考えた。


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