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【読書ログ#174】『子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(ブレイディみかこ)

このnoteをマクドナルドで書いている。只今、平日の23時過ぎ。近くの席では小さい女の子と、母親らしき女性が座って食事をしている。

母親は、コンビニのレジ袋からビールを取り出し、プシュと飲み始めた。そして、箸を割り、総菜を食べ始める。たまに子供の前に置いてあるポテトを箸でひょいとつまんで食べている。

子供はポテトをつまみに、ジュースを飲んでいる。

ガラス窓に映る二人を見ているので、よくわからないが、二人とも疲れている様に見える。なんだか、もう、いろいろと限界なのだろうな。子供の為を思うなら、今すぐにでも暖かい布団につれていくのが親としては正しい行為なのだけど、実際に二人を目の前にすると、非難するような気持ちにはなれない。非難する理由もないし、意味もない。いまこの瞬間が母娘にとって幸せな時間なのかもしれないし。

幸せも不幸せも、人それぞれ。でも、例えばTwitterで今の状況をつぶやけば、母親に対して「虐待だ!」と非難するリプライが来るのかな。

話は変わって。友人がシェアしていた参議院の木村英子議員の記事を読み、施設での虐待が当たり前に行われていた事を知る。きっとそうなのだろうなと、漠然と思っていたことが現実であったと知り、暗澹とした思いに支配される。党が気に入らないとかあるかもしれないけど、まあとにかく。この方を国政に引っ張り出したメロリンQは偉い。

どのような社会にも格差はある。国ごと貧しい事もあるし、地域が貧しい事もあるし、ぽつんと貧しい家庭があったりする。木村議員のようにハンディキャップを持つ場合もあるし、環境や政治、経済にも振り回される。

今日の本『子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から』の著者であるブレイディみかこさんは、曰く「最底辺が集まる託児所」に勤め、様々な問題を抱える子供たちとのやり取りを通し、英国の抱える家庭の問題、移民の問題、貧困の問題、政治や行政の問題を見てきた。そして、政治や経済の大きなうねりは、まず最初に弱い最底辺の人々からさらっていくと言う。

だからこそ公的な支援が必要なのだけど、そういったものは得てして動きが遅くて、すぐには役に立たない。下手したらずっと役に立たない。場合によっては虐待の現場になっていたりもする。

そんななか、必死に目の前の事柄を、筆者の場合は、今にも押し潰されそうな子どもたちを何としても助けようと、ベストを尽くす。その努力はやはり大きな流れに飲まれてしまうのだが、それは、ブレイディみかこさんたち、保育士たちもまた最底辺の人々だから。

本書、是非読んでほしいなとおもう。理由は二つ。

まず、本書は圧倒的に面白い。重たいテーマなんだけど、ブレイディみかこさんがロックでちょっとアナーキーで凄く優しい。ガチでカッコいい。ネットでの連載記事をまとめたもののようで、一つ一つの記事が濃くて重いのに、ユーモアと優しさが勝っているのでするする読めてしまう。そして、章が終わるたびに、みかこさんの同僚にでもなったような気分で一緒に憤慨したりビックリしたりしている。

読んでほしいなと思うもう一つの理由は、遠い対岸の出来事としてよめないから。先の事はわからないけれども、現実として移民は増えているし、その子供たちも、学校にたくさん居る。しかし、そういった子供たちのケアが適切にされているかといえば、実感としてそうとは思えない。日本には移民なんて居ないと言う人が居るそうだけど、その人はコンビニにも居酒屋にも行かない貴族なのだろう。建前はどこかに置いておいて、現実の問題を解決することはできないものかしらと思う。


私も母子家庭で育ちひもじい気持ちで生きていたけど、私の子供時代は、周りも似たようなものだったので、幸い、特別恨めしい気持ちは無かった。ご飯は毎日食べていたし、毎日地域の子供達と遊んでいた。朝目を醒まして、夜に寝ていた。医者の家とか、パチンコ屋の家とかの子たちは、家にエアコンがあったり(札幌の一般家庭にエアコンなんて無かった)、ラジコンがいつも新しくてピカピカしていてうらやましかったけど、それ以外の家は、特別貧しくもなければ、特別裕福でもない、そんな家庭が大半だった。貧しい家庭の子供も沢山居た、貧しいおうちは、大抵お父さんが昼間から居る。そして酒を飲んでいた。だめな男は迷惑だな。そんなおうちでは、父親に殴られている子供が大勢居た。教師もよく生徒を殴っていたからそういう時代だったのかもしれないけど。家庭での暴力は、教師による暴力とは比べ物にならない位に強烈だ。近所の友達の家に遊びに行ったとき、私の目の前で、友達が酔った父親に頭が割れるほど殴られ、聞いたこともない悲鳴を上げ、顔を血と涙で濡らしながら泣いているのをみたが、あまりの恐怖に私も一緒に泣いてた。あれは本当に怖い。一度でも殴るところを見ると、その人がそこに居るだけで怖い。そんな人が自分の親だったらとしたら、いったいどんな気持ちで毎日を過ごしたら良いのだろう。

中学生の時、一言も言葉を話さない同級生が居た。授業中に教師にあてられてもニコニコしているだけで一言も話さない。テストは0点ではなかったが、とにかく何も喋らない。教師も根性が曲がっていて、彼が一言も喋らない事を知っているのに、あえて当て続ける、そしてそのたびに文句をひとつ、ふたつ言う。

その彼とは、何故か一緒に帰宅することが多く、そんなときは僕が一方的に話をして、彼はニコニコと相槌を打つというコミュニケーションだったのだけど、ある日突然彼が「〇〇はエイズになればいいんだよ!」と叫んだので、ビックリして、つい「しゃべれるのかい!」と裏声で突っ込んでいた。〇〇とは、前述の嫌味な教師の名前だ。今思うととんでもなく酷い発言だが、当時は、内容よりも何よりも、彼が喋った、しかも教師をディスったのが面白くて、その日は大はしゃぎで、二人でしりとりをして帰った。

ある日、教師が性懲りもなくその彼を指名し「将来の夢を言いなさい」とやったので、また気分の悪いことをするなと思って嫌な気持ちになっていたのだけど、その時彼は、いつもと違い返事をした。いつものニコニコした笑顔で返事をしたのだ。その返事が「殴らないおとうさんになります」だった。教師は唖然としていたし、教室も騒然としたけど、彼と話をするようになっていた僕は、誇らしい気持ちになったし、教師を唖然とさせた発言にもしびれた。なにもかもが酷い話なんだけどね。

元気かな、彼。彼には弟が居て、その弟はものすごく普通の男の子で、一緒に下校していたら、家から「にいちゃんただいまオチンチン」と全裸で飛び出してきて、私を見てギャーと叫びながら家に入っていった。ひょうきんに遊ぶ兄弟だったのだろうな。

昔が良かったなんて言う老人がいるが、良かったのはあんただけだよといつも思う。あらゆるところで暴力が行われていたし、多くの教師たちは社会性のない狂人だった。今が一番良いとも思う。娘の通う幼稚園や小学校は、普通の家が通う普通の幼稚園、小学校なのだけど、私の子供の頃に比べたら、格段に環境が良い。暴力はまれだし、教師たちは普通の常識を身に付けた普通の社会人なので、本当に安心している。ただ、日本語が不自由な子供には、とてもつらそうだ。助けがない。その辺がなんとかなると良いのに。

世の中には、富める人も貧しい人も、どちらもいる。主に、貧しい人の方が多い。色々な事情を抱え、苦しい生活を余儀なくされる家庭が多い。本書に出てくる子供達も、沢山、沢山問題をかかえている。世間には、困窮する人、困る人、失敗した人を捕まえて、自己責任だなんていう人が居る。そういう方には、是非本書をよんでみてほしい、木村議員の記事を読んでほしい。そのうえで、それでも自己責任だなんて言葉を吐ける人が居るのか知りたい。

ということでオススメ!

「それって有意義だねぇ」と言われるような事につかいます。