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《羊たちの沈黙》のトマスハリスが新たなヒロインを生み出した 『カリ・モーラ』 【読書ログ#59】

カリ・モーラ(トマス ハリス)

アマゾンのレビューを見ると、トマス・ハリスのファンによる、失望が深すぎて恨みに昇華したような酷評が並んでいる。

確かに、確かに最初読んだときはがっかりした。最後まで読み切るのがつらかった。だが、それは私のトマス・ハリスへの期待が強すぎるからだ。いやちがう、トマス・ハリスではなく、ハンニバルに対する期待が強すぎるからだ。

たしかに、本作に登場する悪役は、トマス・ハリス作品に期待するであろう「気持ち悪さ」を携えて恭しく登場する。もう、本当に気持ち悪い。

どうしたって期待が膨らむ。

ハンニバルとは全く違うキャラクター造形で、徹底的に気持ち悪さ、無慈悲さをアピールしてくる。

そらきた、そらきた、エチケット袋の用意はいいか!?

でも、物語が動き出すと、そのワクワクは一気に覚めてしまう。えぐい登場をしたわりに、普通の悪役でしかない。確かに悪い奴だが、仲間から気持ち悪がられている変わり者でしかない。

あいつ、いっつもイナゴ食ってるよな。みたいな。

ヤンキー漫画で、目がぎょろぎょろして、いつも舌が出てる奴。セリフも活字じゃなくて、作者が顔の脇に「ウキャキャ」とか手書きで書いて済ませちゃう位の感じ。あー、コレジャナイ! となってしまう。

ハンニバルは特別すぎた。『羊たちの沈黙』のハンニバルは、最高に気持ち悪くて、最高にカッコイイ、最高に魅力的なモンスターだった。

他の作品では評価が分かれるけど、『ハンニバル』のハンニバルも、今思えば悪くない。中二的な気持ちをもって挑むと魅力たっぷりだ。

つい、フィレンツェに行った時に、わざわざサンタマリアノヴェッラへ石鹸を買いに行っちゃう位には魅力的だった。

トマス・ハリスは、おそらくハンニバルと自分を重ねていた。彼が一番ギラギラしていただろう時期の嗜好や趣味、生活スタイルや思想が、そして膨らみに膨らんだ妄想がハンニバルに乗り移り、なんといえない重層的で複雑な魅力を持つモンスターとなった。それはもう、とても魅力的なモンスターだった。

この作品にはハンニバルが居ない。あの頃のトマス・ハリスは居ない。13年間マイアミで隠居していたおじさんしかいない。それがトマス・ハリスのファンを失望させている。

でも、でもだ、ちょっと冷静になって読んでみると、これはこれで面白いのではと思えてきた。

本作ヒロインのカリ・モーラは獣医を目指す25歳の移民だ。飛び切り前向きで、同じく移民としてアメリカに住む親戚には、家族とかわらない愛情を注ぐ。仲間や友人にも優しく、信頼も厚い。移民申請が取り消されるのでは? という不安に苛まれながらも、獣医になるという夢に向かって真面目に取り組んでいる。彼女の周りの奴らも気のいいい奴らだ。だが、彼女はサブマシンガンを1分以内に組み立てちゃう謎の一面も。実は少年兵としてゲリラ組織で訓練を受けていた過去が。なかなか魅力的でしょ?

悪役は実に悪役らしい悪役だ。人を人とも思わない臓器ブローカーや金塊に目のくらんだギャング、その取り巻き、腰巾着、悪徳弁護士、思いつく限りの悪者どもが物語を適切にドライブさせている。

これらのキャラクターが、麻薬王エスコバルの残した金塊をめぐってマイアミのビーチを舞台に派手に立ち回る、ちゃんとドキドキもハラハラもある犯罪小説だ。スピード感もあるし、悪趣味もちりばめられている。

トマス・ハリスファン以外の方は、失望することも無く楽しめるだろう。なんつったってトマス・ハリスである。作品としてはちゃんとしているのだ。

ただ、ハンニバルが居ないというだけで酷評されているのはもったいない。

帯に「ハンニバルよりも異常な猟奇殺人者」なんて書くからいけない。

帯に「『羊たちの沈黙』を超える美貌のヒロイン」なんて書くからいけない。

帯に「恐怖お狂気に彩られた圧倒的展開!」なんて書くからいけない。

ということで、この酷評はすべて帯が悪いので、トマス・ハリスに過剰な期待の無い方は普通に買って読んでいただいても問題ないかと思うのです。

トマス・ハリスに期待しちゃう方は、まず、帯を捨て、そこに書いてあったことを一度忘れてから読むと良いのではないかと思うのです。あ、ベテラン作家が新しい小説を書いたのねと。自作の焼き直しなんてしないで、新しいチャレンジをしているのだねと。

帯を書いた担当者は、カリ・モーラに五体投地で謝るべきである。

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