アニメ『義妹生活』の良かったところをネタバレしないで語る
私のnote記事の傾向などから最近はノベルゲームを嗜んでいる風ですが、アニメもそれなりに見ています(各クール両手で十分数えられるくらいですが)。
その中で2024年夏アニメとして放送されたTVアニメ『義妹生活』が独特な作りになっており小説原作アニメとしても洗練されていて、最近観た中でも一段と面白かったので、その話をしていきたいと思います。
明確なネタバレはしていないつもりですが、気になる方はお気をつけください。
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『義妹生活』とは
まずはじめに、簡単に『義妹生活』という作品について紹介します。ちなみに私はノベル版未読でアニメから入りました。
『義妹生活』は原作・三河ごーすと先生、イラスト・Hiten先生によるメディアミックス作品であり、アニメはその一つです(原作の三河ごーすと先生はノベルゲーマー向けに言うと『サメと生きる七日間』の原案・シナリオの人です)。
物語は、高校生・浅村悠太が両親の再婚をきっかけに、同級生の綾瀬沙季とひとつ屋根の下で暮らすようになるところから始まります。
『義妹生活』というタイトルから、突然できた義妹との生活にドギマギしたりハプニングが起こったり学校の友人からからかわれたり、なんやかんやあって二人が互いを意識してアワアワするところを見守るようなラブコメをイメージする人もいるかもしれません。最初に断っておくと、アニメ『義妹生活』は(そしておそらくノベル版も)ラブコメではないです。
本記事の冒頭に書いたあらすじにあるように、本作品は「恋愛生活物語」というジャンルを謳っています。二人の恋愛模様を描いてはいますが、主軸になっているのはそれ以上に二人の生活模様であり、そこには過度にデフォルメされたラブ要素もコメディ要素は存在しません。
昨今の作品では技術の進歩も相まって絵でもシナリオでも作品のコンセプトを印象付けるような刺激的で尖ったものが目を引きます。しかし、『義妹生活』には(一見すると)そのような取っ掛かりはありません。
では、アニメ『義妹生活』は見ていてつまらないのかといえば当然そんな訳はなく、シナリオとキャラクターはもちろんアニメを構成する絵、音響、そして時間の流れを最大限活かした作りになっており、独特で印象深い視聴体験となっていました。
ということで、この辺りの魅力を語っていきたいと思います。
なお、原作はMF文庫Jのライトノベル……と思わせて、実はyoutube漫画が初出らしいです。びっくりです。しかもyoutube漫画はかなりエンタメに振り切っており、アニメやノベルを知らなくてもネタバレを気にせず視聴できるものでした。むしろどうしてあのノリの動画からアニメ(やノベル)の温度感のシナリオが生まれたんだろう……?
動画は一通り見た感じネタバレはないので、気になる方はこちらもどうぞ。笑いあり笑いありの動画です。
3ヶ月という時間の積み重ね
3ヶ月は1クール3ヶ月ではなく作中時間の3ヶ月です。第1話、両親の再婚を期に浅村悠太と綾瀬沙季は出会い、生活を共にし始めます。ここで、本作では演出の一環として特に序盤では現在の日にちが表示されています。第1話に浅村家に綾瀬家の二人が引っ越してくるのが6月7日。そして最終話付近ではある会話の中において中秋の名月が見える頃であると言われており、2024年では9月17日です(夏アニメで7月から9月に放送されていましたが、かなり現実とリンクした時間になっていました。狙ってやったに違いない)。この3ヶ月間、悠太と沙季は多くの時間を共に過ごし、言葉を重ねます。
アニメに限らず物語として二人のキャラクターにスポットを当てていく場合、時間が進むに連れて何かしらの変化が訪れるものです。義妹生活もその例に漏れず、またあらすじにあるように、悠太と沙季の関係は他人から兄妹、家族となり、その先へと少しずつ変わっていきます。
それは一見当たり前のようでありますが、義妹生活のすごいと思うところは、二人の関係の移り変わるきっかけやその瞬間が12話を通して1つの線の上に連なっているところです。
第1話冒頭において、二人は互いに期待しないという約束を交わし、その後も互いの考えを言葉にして互いの価値観をすり合わしていきます。そうして赤の他人だった二人は近づいたり離れたりしながらその時々で適切な距離感を探っていき、最終話において二人はまた一つ大切な言葉を交わします。
その言葉は多くを語るものではなく、何なら沙季の中には言葉にできてない想いが多くあることが察せられます。ただしそれは逆にいえば、この最終話で見せた二人の会話が、第1話から続いた3ヶ月の間、二人の間で互いの考えをすり合わせ続けた時間があったからこそ辿り着いた場所として読み取れるものになっています。
悠太と沙季はその生育環境から人付き合いに対して独特な価値観を持っています。その考えが近かったからこそ最初の約束が交わされるわけですが、その後も互いに期待しないドライな関係であるからこそ、共同生活を送る上で必要な考えのすり合わせを直接話し合うということを度々行います。それは例えば会話するときの言葉遣いであったり、お風呂のお湯を張り替えるかどうかであったり、干渉はしなくても心配はするとかであったり。
こういった価値観のすり合わせ、友人同士だと契約書みたいかと笑われるようなヤツですが、沙季にとっては相手の考えていることをわかりやすく話し合える相手というのは貴重なようで、それに応えてくれる悠太は非常にやりやすい相手でした。
また、すり合わせの中で知る互いの考えだけでなく、すり合わせができるということそのものに居心地の良さや、共同生活の中で垣間見える気遣いといった言外の価値観もまた徐々に感じ取っていきます。
こうした時間の積み重ねによって、悠太や沙季がどのような人物で、互いが互いをどのように見ているかを丁寧に描いており、それが二人の心情の変化や最終話の会話に繋がっていきます。
当たり前のようでもありますが、始まりと終わりがその間にある時間の連なりによって一つに繋がっており、3ヶ月の時間の積み重ねを感じられました。
三河ごーすと先生の言葉を借りるなら(先生はシナリオの連なりというより作画や演出などの調和に対して語っていましたが)、『義妹生活』はあるシーン一点を切り取って良さを読み取るというより、各話に散りばめられているその点がつながってできる線や面にこそ魅力が表れていると思います。
まあ考えてみれば、物語が物語としてある意義はそこにあるだろうという話で、一つの到達点だけでなくそこまでの過程としての点が繋がってこその物語として語る意義があると強く思いましたし、『義妹生活』にはシナリオのそうした連なりを読み取ることができました。
音のこだわり
音の良し悪しはあまり詳しくはないですが、それでもアニメ『義妹生活』のこだわりには凄まじいものを感じました。
『義妹生活』は悠太と沙季の生活物語であり、刺激的な展開はなくありふれた日常の風景がシーンのほとんどを埋めています。しかしながら、普段の生活は意外と様々な音が鳴っているものです。たとえば足音、たとえばノックの音、たとえば雨の音。そういったSEはもちろん、場面によっては印象的なBGMも流れています。
『義妹生活』は二人の生活を描いていますが、より詳しくいえば二人が何を考え、何を感じ、そしてどう変化していくかを綴っています。そして、音響はそういった二人の有り様を、映像や台詞では伝わりきらないところまで描いているように感じられました。
そもそもなのですが、悠太と沙季はかなり温度の低い性格をしていて、生活の中でそこまで感情を顕にするキャラクターではありません。互いに期待しないという約束もあるため、二人の間で交わす言葉にも熱は見えません。しかし当然ながら二人は何も感じていないわけではなく、映像や言葉では現れにくいその心情を音響が彩っています。
ちなみに義妹生活のyoutubeチャンネルにはかなりちゃんとした作業用BGMがあります。すごい。
より詳しい話は上野壮大監督監督が語られているのでこちらも見てください。(注意:当該ページは3話のネタバレがあります。)
サマーセイルさんがよすぎる
サマーセイルさんよすぎるんですよね(唐突な頭の悪い感想)。
サマーセイルさん、もとい藤波夏帆は終盤に悠太が交流するキャラクターです。「サマーにセイルで夏帆、売る方じゃなくて張る方のセイルです」
藤浪夏帆の出番はだいぶ少ないのですが、彼女との出会いは悠太にとってかなり大切なものになっています。それは沙季との関係に関するものでもありますが、何より悠太の(そして沙季の)他人に期待しないというスタンスを深く理解しているからこそのもの。悠太や沙季のような人間にとって、その言葉はある種の救いかもしれません。
「だって、私達は人間なんですから。」
上野監督が描く『義妹生活』という物語
これはアニメの良さとは若干外れますが、アニメ『義妹生活』について三河ごーすと先生が毎話5000文字前後の長文感想ポストをされています。個人的には制作サイドの言葉を聞くはそこそこ程度に留めるのが好みですが、ざっと眺めるだけでも非常に興味深い語りでした。
さて、メディアミックスにおいて原作が蔑ろにされるケースはままあります。しかし、三河先生の熱い語り口からも、『義妹生活』においてはノベル原作の良さ最大限引き出した上で、上野監督が感じ取った二人の生活として昇華された作品となっていることが伺えます。
私はノベル版未読なので詳しくはないのですが、実は結構アニオリ要素が多く入っていたり、ばっさり省略したシーンもあったりするらしいです。しかし、それは決して原作を無視したものではなく、むしろ真摯に二人の生活に向き合ったからこそ生まれた要素なのだというのが、アニメ勢たる私の感じるところです。
水槽とか幼少沙季とかが原作になくて、花火や写真もなくてって言われるとびっくりなんですよね。最後の沙季も、上野監督曰くコンテ描いてたらこうなったって仰っていて、けどそれが観てみるととてもしっくりきている。本当にすごかった。
他にも先述した音響しかり、映像的な演出や掛け合いの間のような、アニメだからできる描き方にこだわって作られていることがよくわかります。
なお、三河先生の長文感想ポストはXにて「"原作者によるTVアニメ『義妹生活』"」で検索すると一通り出てきます。3話だけ出てこないので4話のツリーなどからどうぞ。なお、サムネイルレベルのネタバレがあります。
二人のこれまでとこれからの関係
アニメ『義妹生活』は二人が出会ってから3ヶ月の時間を描き、その中で悠太と沙季の関係は”他人”から”家族”へと少しずつ変わっていき、そして第12話にて一つの結末を迎えました。その関係は他人ではなく、さりとて義理の兄妹とも違うかもしれない。けれど、まだ恋に至っていないかもしれない。
個人的にこういう枠に留めない関係の描き方は大好きで、二人の関係はその二人だけのものであり、二人の間で時間と言葉と意味を積み重ねて形にしていく二人のための物語として非常に見ていて楽しいものです。
悠太と沙季の物語、二人の生活はここで終わるのではなく、これからもまた少しずつ形を変えながら、二人なりの関係を築いていく。そんな未来へ続いていることを感じる終わり方でした。
あとがき
冒頭にも述べましたが、アニメ『義妹生活』は最近観たTVアニメの中でも群を抜いて面白く、原作ノベルの良さを活かしつつもアニメができる表現を取り入れた素晴らしい作品だったと思いました。原作三河ごーすと先生に上野監督はじめ関係者の方々には本当にありがとうございましたという気持ちです。
実は何かの折に原作1巻だけ買っていたようなので時間を見つけて読んでいきたいと思います。二人のこれからの物語も気になりますし。あと買えるうちに買っとけということで勢いで画集も買っちゃいました。綾瀬さんかわいい。
以上、最後まで読んで頂きありがとうございました。
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